とはいえ,東急電鉄線の目黒から田園調布まで,全線を歩いたわけではない.
 夏真っ盛りの8月中旬,大岡山を訪ねる必要があって,ちょっと時間を盗むことができたので,ちょっとだけ洗足方面へ歩き,地下への入口を眺めただけである.

目蒲線といえば,田園調布駅の片隅でデワ3041だか3042だか,はたまた3043だかが荷扱いをしている風景を“眺めた”記憶が,強く残っている.
 もしかしたら写真も撮っているかもしれないが,すぐには出てきそうにない.
 また,目黒ウェ機を出たところの築堤によじ登って,出入りする緑色の電車を撮影したことも,ある.
 もうひとつの思い出は,東急電鉄社員の親睦クラブが催していた模型運転会を,大岡山駅の近くの施設へ見学に行ったことだろうか.いずれも昭和40年代末から50年代前半の話しである.
 平成になることからは,OJゲージのクラブである機動楽会の例会が武蔵湖山駅の近くで開催されるようになって,少なくとも年に一度はお世話になり続けている.この3年は,COVID-19幹線拡大の煽りで休会が続いているが,来年にはぜひの復活を楽しみにしているところである.

というところで,最初は武蔵小山駅が地下に潜って間もない頃の跡地である.
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武蔵小山駅方面から西小山方面をのぞむ.画面右が機動楽会例会会場.地下化完成が平成18/2006年7月2日で撮影が平成21/2009年11月28日.線路跡の公園への整備が終わった直後ぐらいだろうか.
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設置された案内板.道ではなく,武蔵小山緑道公園という名前の,公園なのだそうだ.

それから12年後の,大岡山.実はこちらの方が,地下化の完成は早くて平成19/1997年のこと.まだ目蒲線の時代で,目黒駅の地下化と同じ年だった.
 駅の上には巨大な建物が立っている.東急病院である.大井町線は地上に顔を出すことなく進み,目黒線は数百メートルの間,地上を走った後に地下へ姿を消す.今日の目的は,その,地下へ潜った線路の上部.地上がどうなってるかの確認.
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大岡山駅方面から洗足駅方向をのぞむ.桜新道という名前の,道である.品川区と大田区との違いだろうか?

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少し洗足駅方向に歩いてから振り返った風景.随所にベンチが置かれた,公園と遊歩道の中間のような存在なのだろうか.黄色い看板には“この先行き止まり”の文字が.なにやら工事して利用すではあったが,どのように変化するのだろうか.遠くに東急病院が見える.その舌が駅である.
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と,いうことのようである.
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少し駅へ戻ったところの跨線橋から眺めた地下への出入口.この先でやや左にカーブし,環七通り(環状七号線)を潜るともう洗足駅.この跨線橋の名前は清水窪歩道橋だそうである.

線路は洗足駅を通った後に一旦は地上へ顔を出すが,すぐにまて地下へ潜る.最初に紹介した緑道公園は,その辺りから西小山緑道公園という名前で始まる(どっちが起点だか判らないが)ようだ.
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と,遊んでいたら,なにやらテールサインを取り付けた編成が通過して行った.3020系の東急100周年記念ラッピング編成だった.

ちなみに大井町線は,この写真の左手に見える,不自然な形の有料駐車場(コインパーキング)の地下を走り,数百メートル先で地上に顔を出す.

そこで,日吉での折り返し時間を見計らって,待ち構えることにした.
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注目は真っ白な屋根が印象的な中間車2輛.3421と3521(奥).4月に披露された時には6輛編成だったのが,その後,8輛編成となったことの,記録である.

さて,ここで今日の散歩はおしまい.次に小貫方面へ来るときには,洗足と西小山の間を歩いてみなくちゃ.

※2022.09.30:誤掲載写真差し替え