国鉄で蒸気機関車が現役だった頃には,学校が休みになると九州へ出かけていた.大阪の住人としては,九州は高校生でも手が届く遠征地.なにしろ,そ
の頃は京阪神間始発の九州夜行急行が数え切れないほど走っていて,ほとんど思いつきのように普通車に乗り込んで,座席か床に寝っころがり,夜が明ければ,
そこは現役蒸機の一大聖地だったのだから.
最初は昭和44/1969年だったから,もう45年も前のことになる.きっちりとネガを調べ直せば細
かい旅程はわかるはずだが,記憶によれば,“音戸”か“ななうら”で発ち,糸崎でヘッドマーク付きの急行“安芸”の発車シーンを撮り,機関区へ寄ってから
さらに西進,九州へは夕暮れに到達.どこで泊まったのか記憶が定かでないが,もしかしたら初めて一人で旅館に泊まったのが,この晩だったかもしれない.翌
朝は日豊本線を白昼に南へ向かう“日南”で鹿児島へ.C61やB20と対面してそのまま鹿児島本線の“かいもん”で北へ.そして山陰本線を東へ向かって長
門市,浜田,米子の機関区を歴訪した.
最後の春は昭和48/1973年だったのではないかと思うが,その間,“春”に限れば5回,その他の季節を含めても10回になるかならないか.今にして思えば大したことのない回数であるけれど,“蒸機といえば九州”として,記憶に刻まれている
蒸機がなくなり,住まいも東京へ移って九州とは少し疎遠になってしまったわけだけれど,あるとき,駅の売店で“ボンタンアメ”を発見し,それ以来,九州が懐かしくなると買い求めて気分を味わってきた.
今年もそういえば,というわけで,10日ほど前に山手線の売店に立ち寄ったところ,どこをどう探してみても姿が見えない.あれえぇ?というわけで日を改めて,別の駅の売店を見ても,ない.
これはどうしたことか.製造元のセイカ食品は盛業中で,同社のウェブサイトにも“大正15年以来…”と,独立した一項目を設けてセールス中であるのに.
ということで,実は今回のこの項は,ボンタン飴の箱と,古の九州国鉄蒸機の写真を重ね合わせて……と目論んでいたのだが,発見できないうちに今日になってしまった.
ということで,南国への思いをさらに募らせつつ,写真のないブログとなったわけである.
もちろん,東京都内の“駅の売店”での探索は続行するつもり.駅で買えば,その目の前にある線路は,はるか九州へと繋がっているわけだから.