先日,10月30日の日曜日朝,久し振りに大宮の鉄道博物館にお邪魔してきた.
この日のメインイベントは,なんといってもEF58 61収蔵のお披露目.ここの読者ならば今さら説明の要もないだろう.とれいん本誌11月号の“いちぶんのいち情報室”でもお伝えした通り,9月末に大井工場…ではなく東京総合車両センターから陸路搬入され,据え付けと最終のおめかしが行なわれていたものである.
9時から始まったセレモニーでは,まず博物館の大場喜幸館長からの挨拶で始まった.続いてさいたま市の清水勇人市長から祝辞が述べられ,そして除幕式へと進む.
僕のカメラに内蔵された時計の記録によれば,午前9時19分のことであった.
そしてフォトセッション.左から大場館長,緑川清志JR東日本大宮駅長,清水市長,鉄道少年段代表として渡辺星空さん,そして木村法雄JR東日本執行役員総務・法務戦略部長.あまりの天気のよさに,影の処理が難しく,すこし特別のお願いをしてしまったことである.
続いて大場館長と奥原哲志主幹学芸員から保存の経緯と意義などについて説明が行なわれた.
この日のメインイベントは,なんといってもEF58 61収蔵のお披露目.ここの読者ならば今さら説明の要もないだろう.とれいん本誌11月号の“いちぶんのいち情報室”でもお伝えした通り,9月末に大井工場…ではなく東京総合車両センターから陸路搬入され,据え付けと最終のおめかしが行なわれていたものである.
9時から始まったセレモニーでは,まず博物館の大場喜幸館長からの挨拶で始まった.続いてさいたま市の清水勇人市長から祝辞が述べられ,そして除幕式へと進む.
僕のカメラに内蔵された時計の記録によれば,午前9時19分のことであった.
そしてフォトセッション.左から大場館長,緑川清志JR東日本大宮駅長,清水市長,鉄道少年段代表として渡辺星空さん,そして木村法雄JR東日本執行役員総務・法務戦略部長.あまりの天気のよさに,影の処理が難しく,すこし特別のお願いをしてしまったことである.
続いて大場館長と奥原哲志主幹学芸員から保存の経緯と意義などについて説明が行なわれた.
解説中の大場館長
奥原さんからは,磨き出し部分はコーティングで錆を防いでいること,太陽光による車体の褪色防止は,ホールの窓ガラスに紫外線などをカットする対策を施したことなどが,詳しく解説された.さすがに行き届いた配慮と感心したものである.
そして麗姿.
今回の保存に際して,新たに塗装を更新することは行なわれなかったそうだが,屋根まで含めて丹念に磨き上げられ,御召専用機の風格が充分に再現されていると思う.日章旗は,当分の間掲揚の予定,とのことである.
事前に発表されたニュースリリースや当日配布された記念リーフレットには,参考資料として,かつて精魂こめて調査編集して上梓した,形式シリーズEF58の名前を加えてくださっていた.光栄の至りである.
詳しい内容は,ぜひ現地へ足を運んでください!ではあるのだが,それでは素っ気ないにもほどがあるというもの.そこで奥原主幹学芸員から伝授されたハイライトをいくつかご紹介しようと思う.
まずは,クロ151のパーラーカー.どこに保存されていたの?と思ってしまったが,実際には,今回の企画展のために再現されたレプリカなのだそうだ.でも,いわれなければ…いわれても…オリジナルとしか思えない仕上がりである.ソファの表地など,織物会社と入念に打ちあわせて,そのものではないにしても,極めて近い色や柄の生地を使っているそうである.
続いて腰掛.
“特ロ”のリクライニングシート.これは“本物”である.使われていたのはスロ60か,はたまた?脇にはスロ54の模型が展示されている.
展示はその後,“こだま”“ひので”“SLブーム”“ディスカバージャパン”“鉄道100周年”…….僕の記憶にも鮮明な時代へと続き,
青函トンネル開通の時代になる.とはいえ,既に30年以上前のできごと.充分に歴史の範囲である.
奥原さんが前期の展示物の中で,“これだけは特に残しました”とおっしゃるのが,盛岡付近での昭和20/1945年8月15日の運転状況記録.
“あの日”にも,日本中で列車や電車が動いていて,それが人々を勇気づけた,という話は各地で記憶されているが,その実際が文書として記録されている例は,ほとんど,ない.
文書といえば,会場の一角で“珠玉の秘蔵資料特別公開”も開催されている.この企画展の開催期間中,通常は展示されるチャンスのない資料類を,3週間ごとにテーマに分けて公開するという試みである.
特別コーナーへの入口.内部には蠱惑の資料が…….この日のテーマは“明治期の鉄道史料”だった.
それらの中から,1800形のサイドビュー.寸法の記入はないし,機関士(火夫か?)が描かれているから,イラストというのが近いかもしれない.彩色されているので,チムニーキャップや蒸気ドームが磨き出しであったことをうかがい知る,資料でもある.
もう1点は,謎の路面電車図面.車体は7枚窓でオープンデッキ,明り窓付き……,どこにでもいそうなスタイルんだのだけれど,台車が当たり前のブリルではなさそう……加えてゲージが全く不明.そもそもなぜこの図面が鉄道博物館に収蔵されているのか…….
そして麗姿.
今回の保存に際して,新たに塗装を更新することは行なわれなかったそうだが,屋根まで含めて丹念に磨き上げられ,御召専用機の風格が充分に再現されていると思う.日章旗は,当分の間掲揚の予定,とのことである.
事前に発表されたニュースリリースや当日配布された記念リーフレットには,参考資料として,かつて精魂こめて調査編集して上梓した,形式シリーズEF58の名前を加えてくださっていた.光栄の至りである.
そして,実はこのお披露目の前日から,博物館では鉄道開業150年記念企画展の後期展示が始まっていたのである.明治から大正,昭和初期に掛けての前期展示は,ついに観覧する機会を逸してしまったから,後期はぜひ!と思っていた.絶好の好機というわけである.
2階スペシャルギャラリー 「鉄道の作った日本の旅150年」の入口.
詳しい内容は,ぜひ現地へ足を運んでください!ではあるのだが,それでは素っ気ないにもほどがあるというもの.そこで奥原主幹学芸員から伝授されたハイライトをいくつかご紹介しようと思う.
まずは,クロ151のパーラーカー.どこに保存されていたの?と思ってしまったが,実際には,今回の企画展のために再現されたレプリカなのだそうだ.でも,いわれなければ…いわれても…オリジナルとしか思えない仕上がりである.ソファの表地など,織物会社と入念に打ちあわせて,そのものではないにしても,極めて近い色や柄の生地を使っているそうである.
続いて腰掛.
“特ロ”のリクライニングシート.これは“本物”である.使われていたのはスロ60か,はたまた?脇にはスロ54の模型が展示されている.
展示はその後,“こだま”“ひので”“SLブーム”“ディスカバージャパン”“鉄道100周年”…….僕の記憶にも鮮明な時代へと続き,
青函トンネル開通の時代になる.とはいえ,既に30年以上前のできごと.充分に歴史の範囲である.
奥原さんが前期の展示物の中で,“これだけは特に残しました”とおっしゃるのが,盛岡付近での昭和20/1945年8月15日の運転状況記録.
“あの日”にも,日本中で列車や電車が動いていて,それが人々を勇気づけた,という話は各地で記憶されているが,その実際が文書として記録されている例は,ほとんど,ない.
文書といえば,会場の一角で“珠玉の秘蔵資料特別公開”も開催されている.この企画展の開催期間中,通常は展示されるチャンスのない資料類を,3週間ごとにテーマに分けて公開するという試みである.
特別コーナーへの入口.内部には蠱惑の資料が…….この日のテーマは“明治期の鉄道史料”だった.
それらの中から,1800形のサイドビュー.寸法の記入はないし,機関士(火夫か?)が描かれているから,イラストというのが近いかもしれない.彩色されているので,チムニーキャップや蒸気ドームが磨き出しであったことをうかがい知る,資料でもある.
もう1点は,謎の路面電車図面.車体は7枚窓でオープンデッキ,明り窓付き……,どこにでもいそうなスタイルんだのだけれど,台車が当たり前のブリルではなさそう……加えてゲージが全く不明.
この日展示されていた資料は,博物館の所蔵資料ではなく,JR東日本が購入した資料の寄託を受け,そのお披露目を兼ねて展示しているものである,というご指摘をいただいた.全部で9つのテーマを展示するうちの3つのテーマが,寄託資料紹介とのことである.2022.11.07追記
新しい資料を見ると,新たな疑問がわいて出てくるという,いかにもありがちな展開をもって,大宮をあとにした僕であった.
気がつけば写真13点という“大作”になってしまった.失礼しました.
※ここに掲載した写真は,取材のため,あらかじめ許可をいただいて撮影したものです.
気がつけば写真13点という“大作”になってしまった.失礼しました.
※ここに掲載した写真は,取材のため,あらかじめ許可をいただいて撮影したものです.
※2022.11.07:企画展に関する記述一部訂正及び追記.