11月12日,東京の新しい台所として定着しつつある豊洲市場にほど近い公開空地に,1輛の蒸気機関車がお目見えした.
J8B_4258
山崎孝明江東区長や喜多村樹美男西武鉄道社長をはじめ地元自治会関係者,鈴木健夫芝浦工業大学理事長,佐藤元哉芝浦工業大学附属中学高等学校校長,そして附属中学高等学校の生徒の皆さんによって催された除幕式.

1886年(明治19年)に英国のナスミスウィルソンで製造されたこの機関車は,軸配置1B1で,鉄道作業局ではA8クラスと分類されたのちの500形や600形,700形と同系の機関車である.
 4輛が鉄道庁から発注されたが,日本に到着してすぐに日本鉄道へ貸渡し,後に譲渡されている.明治27/1894年には鉄道作業局に返却,明治32/1899年には房総鉄道に譲渡,1907年には国有化,1909年の機関車称号改正により400形を名乗ることになった.
 それもつかの間,大正3~4/1914~1915年には4輛とも払下げとなり……だから“鉄道省400形”ではなく“鉄道院400形である……,3輛が東上鉄道(現在の東武鉄道東上線)へ,1輛が川越鉄道へ移動……なんとも複雑な経歴だが,東上鉄道の3輛のうち2輛は釜石製鉄へ,1輛は三井三池から美唄へと遍歴した.
 川越鉄道の1輛は5号機を名乗った.川越鉄道はその後,武蔵水電という会社を経て西武鉄道(旧)が独立,昭和20/1945年には武蔵野鉄道と合併して西武農業鉄道となり,すぐに西武鉄道(新)に改称した…….これで落ち着くかと思いきや,昭和36/1961年になって八高線の丹荘から発する上武鉄道が借り入れて1965年まで使用…….西武への返却後はユネスコ村で展示されたが平成18/2006平成2/1990年の同園閉鎖後は西武鉄道横瀬に移送され,つい先日まで保管され続けたのだった.
J8A_4285
137年の歴史を刻んだ機関車の全景.置かれたレールには特段の銘はなさそうだが,足元の石垣が,ずば抜けた文化財なのである.

そう,高輪海上(海中)築堤で使われていた石を組み上げたものなのである.
 現地及び移築して保存される石垣を除けば,たくさんの石が発生したわけである.その活用について,令和3/2021年11月には佐賀県の佐賀城公園に長さ10mの築堤を再現する計画が発表された.今回の利用は,それに続く……完成は佐賀県に先んじることになった……既に完成しています…ものである.
J8A_4320
機関車の傍らに設けられた高輪海上築堤の説明板と,石単独の展示.

話は機関車に戻って……,キャブ内.
J8A_4359
極めてシンプルな機器配置.壁面中央が圧力計で,メーター類は,これひとつ.右手灰色のレバーは逆転機.保護のアクリル板による反射で少し見え難いが,逆転機の向うのレバーが加減弁.画面左端が手ブレーキハンドルである.

この日はお披露目ということで,特別に発煙や汽笛吹鳴,走行音の再現なども行なわれた.汽笛や走行の音は,明治村で運転されている9号機関車…1912年(明治45年)ボールドウィン製Cタンク機…から採られたものだという.

キャブの公開は,当面,月曜日から土曜日までの午前9時から午後5時の間とされている(臨時に変更される可能性は,ある).
 煙や音の演出は,いまのところスケジュールが公表されていない.
J8A_4344
後方から見た右側面.前方頭上を,ゆりかもめが走る.

さてさて,この機関車がこの地で保存されることになった経緯.
 芝浦工業大学附属中学高等学校の前身となる東京鐵道中学が大正11/1922年に開校して以来,令和4/2022年で100周年を迎える,その記念事業の一環として,というのが最大の理由である.
 東京鐵道中学開学が鉄道50周年記念事業のひとつであったこと,東京鐵道中学…芝浦工業大学工業高等学校の学舍が池袋にあったから,東上鉄道に払下げられた同形の3輛は,同校のすぐそばを往来していたというご縁もある,と,僕は思うのである.

海沿いで,なおかつ公開空地という制約から上屋を設けることができないという,永続的な保存のためには厳しい条件にあるこの機関車だが,工業系学校だから,実習という名目での保守作業も可能かもしれない.傷みやすいということは,小まめな手入れが必要なわけで,むしろ良好な状態を維持できるのかも,と,期待を抱く,僕である.

※2022.11.18:佐賀城公園の石垣は完成済み,ほか一部修正