平成26/2014年の東京は,おだやかな晴天で明け,それは今日,2日も続いた.一方で東北一帯は猛吹雪となり,さきごろ正式に廃止が発表された特急“あけぼの”の元旦発上り列車は2時間ほどの遅れで上野に到着,下りは5時間!遅れとなったようである.
僕の年越しはといえば,1月発売号の原稿を恒例のTV番組を横目で眺めながら書いたり,去年のいろいろなデータを整理しているうちに,除夜の鐘を聞くこととになった.まぁ,いつものことではある.
夜が明けたら,まずは形通りのお節をいただきながら,早々に届いた友だちや先輩からの年賀状を読み…….
昼ごろには,数年前からの恒例行事となった初詣に出掛けたのは昼ごろだっただろうか.
“そういえば子供のころの京阪電車や阪急電車,それに大阪市電とか市バスは日の丸をつけて走ってたよなぁ”などと思いつつ,いつもと変らない風情の西武電車と地下鉄丸ノ内線に乗って出掛けたのだった.
大阪人といえども,東京に住んで40年を越したとなれば,まぁ,東京のお寺や神社にお参りしても叱られないだろうというわけである.もっとも,子供のころ
の我が家では初詣という習慣はなかったので,大阪のお寺や神社の正月風景は,ほとんど知らない.さらに,年越しだけは家にいなさいということで,冬休み
の撮影行は12月と1月とに分断されていたけれど,別にそれで不満とも思いはしなかった.
と,懐旧に耽っているうちに,電車は御茶ノ水に到着した.御茶ノ水橋を渡って補強工事が始まった神田川堤の工事の模様をちらりと眺め,本当に人通りの少ないJRの御茶ノ水駅を経由し,聖橋を渡って向かった先は,神田明神.
関係者通路が線路際に設けられたので,工事完了まで,“いい写真の撮影”は絶望的になった.もともと南側に高い崖があって撮影しづらい場所ではあるし,電車を眺める分には関係ないけれど.
そ の神田明神.予想していたほどの混雑はなく,スムーズに本殿まで辿り着いたが,その途中で神田生まれの友人Sさんと遭遇.ちょうど家人との間で話題にして いたところだったものだから,本当にびっくりした.今年はなんだか,幸先がよいような気がした.そして参道では,東京スカイツリーを発見.本当にどこから でも見えるのだと再認識した.
本殿横に見える,東京スカイツリー.むこうは634メートル,こちらは神田といっても高台に位置しているから,見えて当然といえばいえるのだけれど.
ここまで来たらということで,坂をおりて万世橋に向かうことになるのは“性”というべきか.目的は,昨年夏にオープンした,“mAAch ecute(マーチエキュート)神田万世橋”.9月12日のここで お披露目の模様をお伝えしたが,その後の様子を観察できていなかったし,お披露目の時にはゆっくりとできなかった旧ホームの“N3331”というカフェ・ バーで,ゆっくりと電車を眺めたいし,旧駅遺構の写真も撮り足りていなかったので補充…と,いろいろな“イイワケ”をしつつ…….
電車を眺めながらのティータイム.こんな恵まれた場所は,本当に希有の存在と思う.惜しむらくは,空のビールケースや掃除道具が無造作に置かれていたことか.
1912
階段の階下部に置かれた情報表示装置の“重し”に気づかれた方はどのぐらいあるだろうか.お披露目の時に発見して担当学芸員さんに“あれ,いいですね”と
報告したら“指摘されたのは,小野田滋さんに続く,二人目です”と言われた.ちょっと嬉しかった.で,正体は,煉瓦高架橋の状態を調査するためのボーリン
グで取り出された“煉瓦の円柱”.
そして最後は,万世橋架道橋の再観察.
一見,普通のガーダーとしか思えないけれど,桁の真下に立ってみ上げれば,その特異さに気づくことになる.この桁の特異性については“カブリツキ鉄橋巡り-JR万世橋架道橋”というブログに詳しいが,昭和3/1928年製だそうである.プラレールや,遊園地の豆汽車にある“カーブしたガード”は,古くから実在するのだった.
市街地に架けられているだけあって,騒音をやわらげるために,床板が敷かれて線路にはバラストが撒かれている.“実物は模型よりも奇なり”の一例である.
さて,こんなことで始まった平成26/2014年.どんな1年になるだろうか.明るい話題が多いことを,願っている.