気がついたら,もうレイルNo.125の発売月である.124はいつご紹介したかと思ったら,なんと,まだだった.
そのレイルNo.124.表紙は三重交通北勢線の列車.裏表紙は川西池田駅でのC57とD51の出会い.
三重交通の電車は,すっかりお馴染みとなった,ヒギンズさんの私鉄巡りの中から選んだ写真である.経営体制などの変遷はあったものの,今もなお走り続けている路線の,半世紀以上前の姿を堪能していただけるだろう.そのほかの収録路線は,名古屋鉄道本線,河和線,岡崎市内線,谷汲線,揖斐線,岐阜市内線,美濃町線,広見線,三重交通北勢線,内部・八王子線,松阪線,三岐鉄道,北恵那鉄道,東濃鉄道駄知線,笠原線,豊橋鉄道渥美線,市内線…….
失われた鉄道の一つ,北恵那鉄道である.下付知の駅に停車中の木造車デ5と付随車サハ30の組み合わせ.奥にはバッファーの取付穴が残る有蓋車が…….昭和37/1962年3月10日 写真:J.W.HIGGINS
北恵那鉄道は,昭和48/1973年の12月に,飯田線訪問を終えて飯田からバスで峠を越え,南木曽から特急“しなの”への接続待ちの間に,黄昏時の中津町駅を訪問しただけに終わった,僕にとっては“心残り”の鉄道の一つである.最後は朝晩しか列車が走らない状態だったが,ヒギンズさんの写真によって,元気だったころの姿が“レイル”の中で,見事に蘇っている.
名古屋鉄道勤務の白井 昭さんとのお付き合いが深かったこともあって,名鉄本線の近代車輛もたくさん撮影されているが,それらはまた別の機会に纏めてご覧いただくこととして,今回は一ひねり効かせた写真をお目に掛けている.そのセレクトは.おもに名古屋レール・アーカイブスの藤井 建さんの手を煩わせた.
名古屋鉄道といえばパノラマカー.というわけでお披露目の日の模様をピックアップ.写真は試乗会の日の伊奈駅でのスナップ.カメラを構える人も多いが,純粋に乗車を楽しもうとしている人も,同じように多かった様子が知れる.昭和36/1961年5月21日 写真:J.W.HIGGINS
続くは,高見彰彦さんのコレクションによる,昭和10年代から30年代にかけての大阪とその周辺の蒸気機関車たち.
大阪駅10番線で発車待ちのC62 42牽引上り“はと”.隣はホームのない11番線.この,ホームがない姿を記憶に留めている人は,いまではもう少ないかもしれない.昭和30/1955年頃 写真:葛 英一
高架の大阪駅が完成してから間もない頃の大阪駅北側.C55が停車しているのは10番線.このあたりが賑わうようになるのは,ずっと後年のこと.昭和10年頃 写真所蔵:高見彰彦
大阪駅に最後まで残った蒸気機関車牽引の定期旅客列車は,福知山線からやってくる通勤列車だった.昭和43/1968年3月24日限りで姿を消すが,その直前に,中学生の僕も,僅かながらも写真を撮影している.その写真から発展したのが,中川常伸さんのお父様の思い出話.
なにしろ,お父様である中川重正さんの写った記念写真と,同じ日に同じ機関車の写真を写していたという“世の中,狭いねぇ”を,絵に書いたような物語である.
昭和43/1968年3月3日の,たぶん,午後に撮影された記念写真.所蔵:中川常伸
その日の午前に.僕が撮影したC5741.同じ日の撮影だろうという判断材料はいくつかあるが,決め手はロッドの位置.そうそう同じ位置で停車することはない,というのは,蒸気撮影経験者なら,よく理解していただけるだろう.写真:前里 孝
少し写したとはいえ,なにしろ中学生のスナップに過ぎない.そこで関 敏夫さんが通われた,福知山線の武田尾や生瀬での列車写真で,この稿に花を添えていただくことにした.
川西池田駅を発車する1726列車.牽引はC57 128.ご本人は“ドレンで機関車が隠れてしまって”とおっしゃるが,寒い冬の朝を感じさせる秀作と思う.レイルに掲載したのとは別の日の撮影である.写真:関 敏夫
そして掲載したのはC57 10が牽引する1726列車の写真.その日,昭和41/1966年12月26日は…….なんと,関 敏夫さんと,あの“摂津鉄道”レイアウトセクション作者である坂本 衛さんさんとの出会いの日でもあったのだという.
ここからまた,物語は新たな展開が始まるのだった…….続きはいずれそのうちにということで,楽しみにお待ちいただこくことにしよう.
そのレイルNo.124.表紙は三重交通北勢線の列車.裏表紙は川西池田駅でのC57とD51の出会い.
三重交通の電車は,すっかりお馴染みとなった,ヒギンズさんの私鉄巡りの中から選んだ写真である.経営体制などの変遷はあったものの,今もなお走り続けている路線の,半世紀以上前の姿を堪能していただけるだろう.そのほかの収録路線は,名古屋鉄道本線,河和線,岡崎市内線,谷汲線,揖斐線,岐阜市内線,美濃町線,広見線,三重交通北勢線,内部・八王子線,松阪線,三岐鉄道,北恵那鉄道,東濃鉄道駄知線,笠原線,豊橋鉄道渥美線,市内線…….
失われた鉄道の一つ,北恵那鉄道である.下付知の駅に停車中の木造車デ5と付随車サハ30の組み合わせ.奥にはバッファーの取付穴が残る有蓋車が…….昭和37/1962年3月10日 写真:J.W.HIGGINS
北恵那鉄道は,昭和48/1973年の12月に,飯田線訪問を終えて飯田からバスで峠を越え,南木曽から特急“しなの”への接続待ちの間に,黄昏時の中津町駅を訪問しただけに終わった,僕にとっては“心残り”の鉄道の一つである.最後は朝晩しか列車が走らない状態だったが,ヒギンズさんの写真によって,元気だったころの姿が“レイル”の中で,見事に蘇っている.
名古屋鉄道勤務の白井 昭さんとのお付き合いが深かったこともあって,名鉄本線の近代車輛もたくさん撮影されているが,それらはまた別の機会に纏めてご覧いただくこととして,今回は一ひねり効かせた写真をお目に掛けている.そのセレクトは.おもに名古屋レール・アーカイブスの藤井 建さんの手を煩わせた.
名古屋鉄道といえばパノラマカー.というわけでお披露目の日の模様をピックアップ.写真は試乗会の日の伊奈駅でのスナップ.カメラを構える人も多いが,純粋に乗車を楽しもうとしている人も,同じように多かった様子が知れる.昭和36/1961年5月21日 写真:J.W.HIGGINS
続くは,高見彰彦さんのコレクションによる,昭和10年代から30年代にかけての大阪とその周辺の蒸気機関車たち.
大阪駅10番線で発車待ちのC62 42牽引上り“はと”.隣はホームのない11番線.この,ホームがない姿を記憶に留めている人は,いまではもう少ないかもしれない.昭和30/1955年頃 写真:葛 英一
高架の大阪駅が完成してから間もない頃の大阪駅北側.C55が停車しているのは10番線.このあたりが賑わうようになるのは,ずっと後年のこと.昭和10年頃 写真所蔵:高見彰彦
大阪駅に最後まで残った蒸気機関車牽引の定期旅客列車は,福知山線からやってくる通勤列車だった.昭和43/1968年3月24日限りで姿を消すが,その直前に,中学生の僕も,僅かながらも写真を撮影している.その写真から発展したのが,中川常伸さんのお父様の思い出話.
なにしろ,お父様である中川重正さんの写った記念写真と,同じ日に同じ機関車の写真を写していたという“世の中,狭いねぇ”を,絵に書いたような物語である.
昭和43/1968年3月3日の,たぶん,午後に撮影された記念写真.所蔵:中川常伸
その日の午前に.僕が撮影したC5741.同じ日の撮影だろうという判断材料はいくつかあるが,決め手はロッドの位置.そうそう同じ位置で停車することはない,というのは,蒸気撮影経験者なら,よく理解していただけるだろう.写真:前里 孝
少し写したとはいえ,なにしろ中学生のスナップに過ぎない.そこで関 敏夫さんが通われた,福知山線の武田尾や生瀬での列車写真で,この稿に花を添えていただくことにした.
川西池田駅を発車する1726列車.牽引はC57 128.ご本人は“ドレンで機関車が隠れてしまって”とおっしゃるが,寒い冬の朝を感じさせる秀作と思う.レイルに掲載したのとは別の日の撮影である.写真:関 敏夫
そして掲載したのはC57 10が牽引する1726列車の写真.その日,昭和41/1966年12月26日は…….なんと,関 敏夫さんと,あの“摂津鉄道”レイアウトセクション作者である坂本 衛さんさんとの出会いの日でもあったのだという.
ここからまた,物語は新たな展開が始まるのだった…….続きはいずれそのうちにということで,楽しみにお待ちいただこくことにしよう.