月刊誌を含めた出版物の企画編集に携わっていると,ついつい“今から50年前にはどんなできごとがあったか”“40年前は?”“25年前は?”と,思いを巡らせてしまう.
 今年のそんな“周年”のひとつが,碓氷峠からアプトが姿を消して50年だったというわけである.
 しかし今回はそうではなくて,昨年のうちに,河村かずふささんから“草軽の憶い出” と,セットにして“碓氷峠の思い出”を書いてみようかというお話をいただいていたのだった.まったくタイムリーなことで,昨年は草軽の全廃から50年,今 年が碓氷峠のアプト廃止から50年だった…というか,きっと河村さんの頭のなかにも,そのような暦が浮かんだのだろうと,思う.

さてその碓 氷峠.大阪に生まれて育った僕の少年時代にはなじみの薄い存在で,初めて訪問したのは昭和45/1970年の夏のこと.高校の鉄道研究部の合宿旅行の行程 として,だった.恐らくは大阪を夜行列車で発ち,朝の小淵沢に到着して小海線の野辺山で下車,鉄道最高地点の周辺で撮影して小諸へ抜け,午後遅くに横川へ 着いてすぐさま機関区を見学した.泊りは碓氷温泉.
 翌朝は碓氷橋を目指し,引き続いて熊ノ平へ.徒歩が基本だったが,なんだかトラックの荷台に乗せてもらった記憶もある.ヒッチハイクしたのか,親切な運転手さんが載せてくださったのか…….
 その時の写真の一部は,今回,“手前味噌”として使わせてもらった.毎度のことながら,ネガを見返してみれば“なんでこれだけしか撮ってないの?”というほどに,残された写真は少ない.

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熊ノ平の小諸方引上げトンネルのポータル上から写した上り列車.今回,河村さんの写真を拝見して,僕の10年前に同じようなことをしておられたのを発見,おもわず笑ってしまった.昭和45/1970年8月25日

時 代はずっと下がって,東京に住むようになってからは,碓氷峠は列車でも国道でも,何度も越している.とはいえ,それほど熱心に通ったというわけではなく, どこかへ出掛けたついでに熊ノ平へ立ち寄るとか,その程度だった.むしろ,家族で釜めしを買いに行くためだけに出掛けた回数の方が,もしかしたら多いかも しれない.

ED421が動態復元された時には,黒岩さんが深く関与されたこともあって,二日連続で横川へ出向いた.式典の日が生憎の天候で あり,機関車を思うように撮れなかったからである.二日目は家族同伴で,こちらが機関車を撮影している間,家族は一般公開された機関区の構内に“放し飼 い”.おかげで青空の下,いい写真を撮らせていただくことができた.ちなみにK社のMさんも“きのうは雨でしたから”と,横川まで来ておられた.Mさんは 僕と違って完全に仕事モードではあったけれど.

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動態復元なったED421の勇姿.式典の日は生憎の天候だったため,出直して撮影し直した写真.K社のMさんとともにお願いして,特別にロープを撤去しても らってのわずかな時間での撮影だったが,やっぱり天気のいい日の方が,機関車は立派にみえるものだ.ちなみに,本文中に“車掌車にバッテリーを積んで走ら せた”と記してしまったが,実際には“架線から1,500Vで集電して車掌車に積んだ抵抗器で降圧して600Vで走らせた”が正しい.とりあえずここで訂 正しておきます.昭和62/1987年10月18日

そうこうしているうちに,いわゆる長野行新幹線の計画が具体化して,この 区間を含む信越本線をどうするかということになった.最終的な決断を群馬県知事が下したその当日,実は奇しくも,やはりどこかへ出掛けた帰りだったのだろ うが,熊ノ平でEF63を撮影していたのだった.

そして廃止されてからですら早くも幾歳月.機関区構内は“碓氷峠鉄道文化むら”として活用され,多くの車輛が保存されているばかりではなく,ロムニーサイズの蒸機も園内を走っている.加えて元の丸山信号場の先までは線路を復活させてトロッコが走り,終点には温泉が用意されている.
 当初の構想では,トロッコは順次延伸して軽井沢方の矢ヶ崎まで走らせるつもりだったという.文化むらの初代理事長Sさんは国鉄のOBでもあり,思い入れが強かったのだろう.ところが自治体の広域合併の煽りなどでその構想は頓挫.今では具体的な計画はないという.
 その代わりというわけでもないのだろうが,旧線跡は第一期として碓氷橋まで,そして第二期として昨年の春に熊ノ平まで遊歩道化,多くの人が明治の遺構に親しむことができるようになった.

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すっかり自然と融け込んだ旧線の遺構と遊歩道.日本では希有の規模である.

碓氷峠の全歴史を顧みるならば,恐らくは大部の本が出来上がることだろう.もしかしたら数巻単位になるかもしれない.それはとても手に負えないし,散漫になるだろうと,昭和38/1963年を軸としてその前後10年間ずつをまとめてみた.それがレイル87号である.

河 村さんの克明な思い出話を軸に,グラフページとして,高崎在住のベテランファンである田部井康修さん秘蔵の碓氷峠風景で構成.そして三宅俊彦さんには昭和 30年代から特急“あさま”登場のころまでの旅客列車運転史を綴っていただいた.旧線の現状は,弊社スタッフであり熱心な趣味人でもある脇 雅恵が,遊歩 道を往復して観察しレポートにまとめている.
 あくまでも碓氷峠の長い歴史の断片ではあるし,その前後については,時を改めてまとめてみようとは思っているが,実はこの時代こそが,その歴史の核心部分ではないかと信じての構成.ぜひともお手元においていただきたい一冊である.