早いもので,いわゆる秋田新幹線が開業してから今年で16年が経つ.開業に際して用意されたのはE3系電車.山形新幹線用の400系をベースにして
開発されたため,車体断面などは似ているが,前頭デザインや塗色は大きく異なっている.400系試作車とE3系試作車との年代差は5年.その間の時間の流
れを大きいと見るか小さいと見るか,それは見解が分かれるところだろう.400系だって,それまでの新幹線電車がアイボリー(白)+青または緑帯という組
み合わせ一辺倒だったのに対して,全身を銀色で纏ったのだから,充分に斬新だったのだけれど.ちなみに,あの画期的といわれた500系の登場は平成
18/1996年のこと.400系試作車から6年後のことである.
さて,新幹線電車にとって16年という歳月は長い.なにしろ東海道新幹線では,ついこないだ登場したばかりと思っていた700系すら廃車が始まっているのだから.昨年の春に引退した東北・上越新幹線の200系の寿命は,異例に長かったというべきだろう.
さて,そういうことで秋田新幹線用E3系にも世代交代の波が押し寄せて,時速320キロ運転が可能なE6形への置き替えが始まった.
いわるつ新在直通新幹線車輛は,東北新幹線を降りればいままでの在来線を走るのだから,メーカーからの納入に際しても在来線を使って輸送が可能であるわけ
で,実際,400系もE3形も,甲種輸送列車で運ばれていた.400系試作車編成は複数のメーカーで分担して製作したから,下松を起点として各メーカーの
工場に立寄りながら,最後は川崎貨物駅で東急車輛製車輛を組み込んで福島…庭坂を目指した.その“多層建甲種輸送列車”は,本誌でもリレーで撮影して採り
あげたから,ご記憶の方も少なくないだろう.
ところが,E3系の途中から,輸送はすべて船舶によることとなり,気がつけば,日本車両から浜松への甲種輸送も姿を消していた.
それが,今回のE6系では,川崎重工製の編成について,本当に久し振りに線路を使っての納入となったのである.
これは,後学のために見学に行かねばと思ったものの,5月に実施された初回は,スケジュールの都合で果せず,6月の14~16日に掛けて実施された2回目で,ようやく実見することができた.
関 東地方を通過するのが土曜日とはいえ,夕刻からの会合に出なければならないという制約から遠出は叶わず,さんざん迷った末,与野駅で待ち構えることにし た.大宮操駅でしばらく停車するから,その間に京浜東北線で追いつけるかもしれないと考えたから.そしてそれは大当たりだった.

京浜東北線与野駅ホームの大宮方で,大宮操に進入する列車を待ち受ける.この日の牽引は,偶然だろうか,EH200の試作機だった.赤羽方とこちらと迷った
のだが,こちらの方が,辛うじて機関車の長さの分だけ作業員保護のための仕切りが引っ掛からない箇所があった,というのが選択理由.

列車後部.E6の先頭部をほぼ真横から見る.時速320キロでの運転を実現するための苦労がしのばれる造形.400啓八重3系と比べれば中間車も随分小柄に
みえるのだが,これは空調などを床下の降ろした結果である.その主な理由は,トンネル突入時の微気圧波(いわゆるトンネルドン)対策とのことである.E2
系やE5形も同じ理由で屋根高さが低い.

すぐ後をやってきた京浜東北線の電車に乗って,さいたま新都心駅へ.予想通り,列車は幅の広い跨線橋の下に停まっていた.だから肝心のE6系電車の多くの部分が影になってしまう.なので,ここでは発車ねらい.

そして定刻,発車する列車.実は,どちらの駅も,京浜東北線の列車とかぶることを心配したのだけれど,2ヵ所に分散すれば,どちらかは大丈夫だろう,という計算ではあった.
僕
が撮影した,与野とさいたま新都心の両駅ホームにも,多くのファンや一般の人が詰めかけていたけれど,無茶なことをする人は皆無で,至って平穏無事だっ
た.これからもあと何回か,同じルートで輸送が行なわれるだろうが,撮影や見学に際してはくれぐれも安全確保に注意して,事故のないようにお願いしたいと
思う.