レイル86号が出来上がっています.その内容は……と,書き始めようとして,なんということだろう,その前の85号について記しそびれていたことに気づいてしまった.
 ということで,3ヵ月遅れになってしまったが,レイル85号についての感想やエピソードを少し,お話してみようと思う.

このレイルの表紙とトップは,草軽電鉄.筆者の河村さんは“なんの資料性もない,たんなる思い出を記しただけですから”とおっしゃるが,その思い出を記録することも,大切な資料保存となることは,歴史に少しでも興味をお持ちの皆さんなら,先刻ご承知のことと思う.
  河村さんが撮影された写真で,もっとも印象に残ったのが,思い切って2頁大で使わせていただいた,吾妻駅に停車中の列車の写真.1輛目に組み込まれている 客車が,元伊香保電車の2軸電車であるという貴重さ(写真説明で“2軸電車ボギーの客車…”と意味不明の文章になっているのは,もちろん“2軸電車をボ ギーの客車…”の間違い.この場で訂正いたします)ばかりでなく,駅名標の前にたたずむ二人の少年の姿に惹かれた僕である.撮影されたのは昭和 32/1957年春ということだから,左の小さい男の子は,ちょうど僕と同じ年ごろということになるわけだ…….

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昭和32/1957年春の吾妻駅.もう半世紀以上前の情景である.写真:河村かずふさ

大阪で生まれ育った僕に,草軽電鉄と触れ合う機会はなかった.残念といえばいえるけれど,昭和37/1962年の廃止だから,時代的にも趣味の目で接することはできなかったはず.ちょっとはあきらめがつこうというところか.
 ところで,草軽電鉄,みなさんはどのように読まれているだろうか.“くさかるでんてつ”だと思うのだけれど,河村さんにとっては,あくまでも“そうけいでんてつ”なのだそうである.同感なさる人は,どのぐらいおられるだろうか.

続 くは,正村修身さんのC60で計画された重油併燃装置のお話.近代国鉄制式機の歴史は,すっかり判明していると思いきや,まだまだ不分明の事柄があ る.C60の重油併燃装置もそのひとつで,実際には施工されなかっただろうとされてきたのだが,正村さんご自身撮影のネガから,テンダー形式のプレートが 再発掘されたとのことで,C60 11に取り付けられたそれは,明らかに重油タンクを搭載した形式=容量となっているのだった.
 今回も,真相が完全に明らかにされたわけではないが,解明へのひとつの手掛りが得られた.皆さんが,もしもC60のテンダー背面を撮影した写真をお持ちなら,改めて引き伸ばし,テンダー形式板を読み取っていただきたい.

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戦前製C59を改造したC60のテンダー背面に,このプレートが取り付けられている写真を発見したら,ぜひご一報を! 写真:正村修身

なお,このC60の考察に関連して,汽車会社で製造されたC591の写真を,完成状態ばかりでなく,部分写真についても大きなサイズで掲載しているので,併せて堪能していただければ幸い.

栗 生弘太郎さんは,京阪特急色のルーツについての考察を寄せてくださった.折りしも最新塗色への移行完了直前のタイミングで,3000系特急の引退時期にも あたったこの春,昭和20年代の,車輛デザインの過程の一端をうかがい知ることができる,貴重な記録としても,ご一読いただければ幸い.
 僕自身にとっては,物心つく頃から馴染んできた色との別れは,なんだか一区切りついたような,なんともいえない気持ちの今日この頃なのだが.
 この,京阪特急色の考察は,まだ続きそうな気配.いずれ稿をまとめていただけるだろうから,お楽しみに.

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3000系オリジナルの特急色.8000系とは微妙に異なる色調だった.この春に引退した時点では8000系と同じ色に変更されていた.その遷移過程はまだ完全に 解明されていないようである.また1900系の特急色も,なんだか違うような気もしないではない.でも,そのあたりは既に歴史のカーテンの向こうの事柄か もしれない…….野江 昭和61/1986年3月17日 写真:前里 孝

外国の話題は,プラハに留学中の大石真裕さんによ る,欧州大陸における蒸気機関車動態保存レポート.ドイツ,オーストリア,そしてスイスでの本線上での運転や,機関区跡地での保存活動の一端をご覧いただ くことによって,我が国における蒸気機関車(に,限らないけれど)動態保存活動のあり方についても,参考になるだろう.

林 義明さんと星野真太郎さんからは,83号に掲載した,北沢産業網干鉄道に関する歴史解明の補遺を頂いたので,それに合わせて,前回掲載できなかった蒸機の写真も掲載した.

ということで,このところ煙の薄かった“レイル”だが,一挙に“煙い”内容となった.来週ご紹介する86号は,さらに?