3月15日限りで東急電鉄の渋谷駅が地下に潜るということと,周辺の“賑わい(?)”は,脇が当日のここで記した通り.
  新しく誕生した5社相互直通運転という壮大なプロジェクトだが,翌日から混乱もなく淡々と運行されていて,この10日の間には僕も,何度か東急電車に乗る 機会があった…どころか,1本のホームの両側に止まっている電車がともに東急電車ということもあって,わかってはいても一瞬“あれぇ?”と首を振ることに なる.
 一方で,東横線沿線で育った,うちの奥さんは,“今日,東急電車に乗ったけど,なんだか懐かしいし,落ち着いて乗っていられたぁ”と感激 の面持ち.彼女が東横線を使っていた頃とはまったく違う電車なんだけど,と言っても,“だって,雰囲気が”と.やはり幼い頃の感覚や匂いというのは何十年 経っても残っているらしい.
 さて,東横の渋谷駅が地上から姿を消した1週間後,今度は世田谷区内の小田急線が消えた.
 こちらの“目玉”は,井の頭線と交わる下北沢駅周辺と,東京23区を取り巻く大幹線道路である環状七号線との立体交差部.
 僕にとって,ちょっと思い入れのあるのが,環状七号線…環七との立体交差部.地名でいえば代田二丁目から五丁目のあたり.
 ここは,環七の渋滞の名所の一つで,急いでいるときに限ってなかなか前に進まない.その目の前を,かつてはSSEやNSE,今ならMSEやVSEがすーーっと通過して行くのを,ただただうらめしく眺める羽目になるのだ.
  そしてもうひとつ,ここの特徴は,環七を建設するに際して,小田急との交差を立体にすべく,丘陵を切り開いて切り通しとしていること.だから,小田急線が なくなって歳月が経てば,きっと“この道は,なぜに無意味な切り通しの中を通っているのか”と疑問に思われること,間違いないと思うのだ.
 だから,小田急線の地下化計画が本決まりとなるやいなや,“静かなうちに記録しに行かなければ…”と思ってはいた.
 が,しかし,いうは易しで,気がつけば地上線最終日.午前中の撮影取材を終えて,ほぼ一目散に向かったのが,この立体交差の最寄り駅である世田谷代田だったという次第.

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現場に着いてほどなくやってきた新宿行きVSE.こうやってカメラを持っているときに限って,道路の渋滞はそれほどでもない.でも今日で最後なのだから,な んとしても撮っておかなければ.本当はこの歩道橋ではなく,道路上から線路を見上げた写真を撮りたかったけれど,それは“無理”というもの.

まぁ,正確にいえば小田急線の鉄橋と並んで,赤堤通という道路の橋が環七を越しているから,見掛け上は理屈の通らない景色にはならないのかもしれないが.

地 下区間の西の終端は,世田谷代田の隣の駅である梅ヶ丘.この地下化工事は,1回潜っておしまいではなくて,今後,さらに地下での複々線化工事が始まる…ト ンネルをもう1本掘ることになる.でないと,せっかく,梅ヶ丘から多摩川を越えた向ヶ丘遊園まで複々線化した意味が薄れる.
 ということで,梅ヶ丘駅はまだ姿を変えることになる.だから,切り替え寸前の姿を記録し,後日,切り替え後を撮っても,まだ“途上”ということになるのだ.

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梅ヶ 丘駅に到着する3000形8連の本厚木行き各停.切り替え数日前から,3000形のほか,1000形,2000形の8連には“3.23地下化”のステッ カーが貼られた.写真は3960他の8輛編成.ちなみに1000・2000形のステッカーは地色を青として3000形の白と変化をつけるなど,凝ってい る.

ここまできたら下北沢にも寄らなければ.ここの“名物”は,ホームの新宿方にある踏切.でも,踏切からでは,なかなか綺麗な絵にならないことは,以前訪問した時に判っていた.そこで,ホームの新宿方に立って,他のお客様の邪魔にならないよう,そっとカメラを構えた.

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下北沢を発車して新宿へ向かう8000形の急行.踏切が開くのを待つ大勢の人々の中で,カメラを構えているのは2人だけ.それも近所の通りすがりのお嬢さんという風情で,ある意味,とても微笑ましかった.

さて,地下化された小田急線には,実はまだ乗ることができていない.もう少し落ち着いたところで,ゆっくりとカメラハイクを楽しみたいと思っているのだが.

※2013.04.04:誤字修正