千葉ニュータウン鉄道に9200形が登場した.
そもそも,この千葉ニュータウン鉄道というか,京成高砂から千葉ニュータウンへの鉄道路線
については,沿線に馴染みがないと,ちょっと複雑な路線というイメージが強い.最初に建設されたのは北総開発鉄道の北初富と小室の間.新京成線に乗り入れ
を行なって常磐線の松戸に顔を出していたのだったか.しかし,東京の西側に住む身としては用事も少なくて,デザイン立案に際して黒岩保美さんが関与したユ
ニークな外観の7000形を実際に見たのは,昭和54/1979年の開業から随分時間が経ってからのことだったと記憶している.
路線が延長されて千葉ニュータウンに達したのは昭和59/1984年3月のこと.しかしそれは北総開発鉄道としてではなく,当時の都市・住宅整備公団千葉ニュータウン線として,だった.車輛も独自の2000形が2編成用意され,独自性が強調されていた.
北総開発鉄道はといえば,平成3/1991年に都心方の京成高砂への路線延伸を果し,京成線と都営地下鉄浅草線を経由して遠く京急線までの乗り入れ運転を開始,一方で翌年には新京成線との乗り入れを取り止めている.
都市・住宅整備公団線は印西牧ノ原,印旛日本医大と少しずつ路線を延長し,さらに成田空港への経路としても活用されることが決定して平成22/201年に開業したが,こちらは成田高速鉄道アクセス会社の路線として,であった.
また都市・住宅整備公団は都市基盤整備公団(都市公団),独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)に組織が改変されて,UR都市機構への移行に際して鉄道部門を分離し,新たに千葉ニュータウン鉄道が設立された.そして北総開発鉄道は北総鉄道に……あぁ,ややこしい.
と,いうことで,元の都市・住宅整備公団の路線としては二代目に相当する9200形を撮影取材するために,車庫の最寄り駅である印旛日本医大へと向かったのは,3月12日のこどだった.
そ して中継地点としての京成高砂駅に降りたったのは5年振りぐらいだろうか.建設中だった金町線の高架は完成し,ホームは?と探したら改札が別になっていて 驚いた.そして成田方面行きのホームで見たのは,同時刻発の同じ成田空港行き特急の案内表示.片や京成線経由,片や新線経由というのは,予備知識があれば わかることだけれど,でも,一瞬??となる.

京成高砂駅のホーム.左が新線経由のアクセス特急,右が京成線経由の特急.それにしても同時刻というのにびっくり.やってきたのは,アクセス線が3050形,京成線は,奇しくも元AE,3400形だった.
3050
形の特急はノッチオフ時の,継手からの音が一寸気になる以外は快適に飛ばし,あっという間に印旛日本医大.そういえば,3000形一族の中で,このグルー
プだけが130km/hの性能を備えているのだった.でも,北総線内でもフルにスピードを出しているのだろうか.
待ち合わせ時刻よりも少し早めの到着だったので,成田空港方に少し歩いて列車写真でも撮ろう……こない.なにも来ない.そろそろリミットとなった頃,ようやく空港行きのスカイライナーが“ビュンッ”と通り過ぎて行った.

雲ひとつない青空の下,白と紺の矢の如くスカイライナーが成田目指して通り過ぎて行った.

平成18/2006年10月に撮影した,印旛日本医大駅から成田方面への眺め.“なにもない”.このときには,本当に計画通りにアクセス線が開業できるのかどうか,ちょっと不安になったものである.
そして肝心の新車.京成3000形ファミリーとしては3050形,新京成N800形,北総7500形5番目のバリエーションということになる.基本的に京成電鉄3000
形8連車に準じていて,日除けカーテンや腰掛けの表布の色なども同じ.もちろん性能も運転取り扱いも共通.ただ,水色と黄色のストライプが新鮮で,洒落た
印象だった.また電動空気圧縮機に三菱電機製を採用したことと,台車の“新日鐵住金”と記された銘板が目新しかった.
今回の新造の目的は,都市・住宅整備公団線の開業時に投入された9000形の置き替えとのこと.とすれば,もう1本は時を置かずに投入されることだろう.今回投入の第1編成は,既に3月初旬から営業運転に就役している.

京成高砂方から見た編成外観.最近の日本車両の標準的工法であるブロック車体を採用したこの一族も,最初のグループからは10年を経過したが,古さは全く感じられない.

室内は京成の3000形に準じている.側扉上の液晶式情報表示装置は,北総線の車輛としては初採用.