2年前の4月,運転再開を待ちわびて,東海道本線の横浜と川崎の間,京浜東北線では横浜と東神奈川の間,京浜急行でいえば神奈川駅付近に,185系 電車の真横写真を撮りに出掛けた.その成果は,その年の7月号で,117系・185系特集の中でご覧いただいたわけだが,とにかく,あの年の特集取材に際 しては,いろんな意味で,苦労が多かった.けれどそれは,全くの舞台裏のお話.いずれもう少し落ち着いたら,楽屋落ちとして記すこともあるかもしれない が.
この,京急神奈川付近を訪れた時のことは,“東横線 東白楽・反町付近の線路跡が遊歩道に””と題して,この年の5月5日のここで記している.しかし実は,この日には他にもいくつかの発見があったのである.その中で,あの当時としては実に生々しい気がして,ちょっと紹介を控えてしまった“もの”があった.それは,国道1号線に架かる1本の道路橋.

橋の名前は“境橋”.下を流れるのは滝の川.その流れは横浜羽沢駅の近くに始まるという.国道の向うを東海道本線と京浜東北線が走る.折りしも通過するのはE231系.
この境橋のすぐそばには反町公園があり,ちょっと上流には神奈川区役所がある.川はその辺りから上流で暗渠の下に潜ってしまい,川沿いを辿って……という楽しみ方はできない.
で,橋を渡って左岸に移動すると,欄干の銘板には……

鋳鉄の立派な銘板.“昭和二年九月 復興局建造”の文字がしっかりと浮き出ている.関東大震災の際の復興で架けられた橋だったのだ.
関
東大震災の復興といえば,後藤新平が音頭取りで“帝都復興院”が設立され,大規模な事業計画が立案されつつも,各方面からの抵抗によって大幅に縮小され,
わずか数年間で“復興局”に格下げ,さらに“復興事務局”に改組,それすらも昭和7/1932年に廃止されてしまうという尻すぼみだったことが,歴史に
残っている.
そして後藤新平といえば,我々の趣味の世界では,南満洲鉄道…満鉄の初代総裁としての印象が強い人が多いだろう.その人となりは,
数多く著されているいる伝記で語り尽くされていると思うが,“東京の余所者”としての僕の印象に残る事業は,なんといっても昭和通りである.あの,汐留か
ら日本橋,上野経由三ノ輪に至る壮大な道路が大正期に計画,建設されたというのは,大きな驚きだった.御堂筋とは桁が違うもの.

反町公園の近くに建つ,“神奈川宿歴史の道”の案内板.周辺の史跡や建物などが紹介されているが,この橋のことは記されていない.
ちょっと淋しい気もしたけれど,一方では,ひっそりと目立たずに,地道に役目を果しているのが,いいのかもしれない.と,現代の“復興”のニュースを耳にしつつ,改めて思うのだった.