115系特集の取材では新潟へも行った.今回の特集の対象としては,もっともバラエティーに富んだ車輛が在籍している地域だから,欠かすことが出来ないわけだ.
その分,撮影しなければならない編成の運用区間が広く,しかも複雑なので,特徴のある車輛をどのように効率よく追いかけることができるか,そこにすべてが
かかっていた.なにしろ羽越本線の村上から信越本線の直江津,上越線の水上まで,そして越後線と白新線というのが守備範囲.同じ新潟から直江津へ向かうの
でも,越後線経由と新津経由とでは向きが変ってしまう…….
だから事前の調査にも充分な時間をかけて……といいたいところだけれど,目先の仕事に追われてしまい,なかなかそうもいかない.幸いにして現地調査の集積などを探索することによって補うことができたけれど.
出掛けたのは6月末.本来なら梅雨のまっ最中.天候も心配事のひとつだったけれど,こればかりは行ってみないことには始まらない.結果的には,暑すぎて困るほどの3日間だった.
と
にかく上越中越下越を駆けずり回ったのだけれど,その中でほんの少しの余裕を見付けて,元の新潟臨海鉄道線路跡を探索してみた.白新線との接続駅は黒山.
ほぼ90度の大きなカーブを描いて,一路新潟東港へと向かっていた.機関車はDE10の同系機を導入していたりして,それがまだピカピカの新車の頃に,白
新線車中から眺めたような記憶もある.
新潟臨海鉄道が廃止になったのは平成10/2002年12月のこと.もっとも,全線廃止ではなく,黒山
と,途中の藤寄との間では新潟トランシスで新造した車輛の甲種輸送に使われているのは,本誌読者ならご存じのことだろう.正式には“黒山駅分岐新潟東港専
用線”といい,藤寄から先の西埠頭までが“生きている”線路だという.
なお,実際には写真の順序と逆に埠頭から黒山駅に近付いている.
黒山駅構内.画面右が白新線.左が専用線.かつてはもっとたくさんの線路があったようだが,今残っているのは4本.そのうち使われているのは1本か2本だけのようである.
左へ約90度カーブした先から,県道3号線を跨ぐため,コンクリート製の高架橋がはじまる.最初の開業が昭和45/1970年だというから,その時代にふさわしいストラクチャーといえよう.高架下では,C20コンテナが比較的良好な状態で倉庫として使われていた.
ほぼ県道556号線と並行して線路が続く.歩道橋は海からの潮風にさらされて赤錆がひどい.踏切は線路側が遮断されている.
藤寄の構内には,駅舎や機関車庫が残っていて,機関車や除雪用モーターカーの姿も見えた.構内には監視カメラが設置されていて,敷地内に踏み込むと,スピーカーから警告が発せられる.構内を跨ぐ道路は国道7号線のバイパス.
途中,レールがアスファルトで埋め込まれた踏切“跡”を見ながら辿り着いたのがここ.西埠頭の入口である.この先はぐるっと迂回すれば,かつての太郎代とい
う貨物駅に行けるようだが,事前の情報ではレールが残っている可能性は低いということで,諦めた.夕方の,お目当ての編成の時刻が迫っていたし.