ほとんど10年ぶりに,青梅線を訪問した.朝から暑い日射しが照りつける夏の週末だった.
降りたったのは鳩ノ巣駅.ホーム横に桜の木が並び,春には列車との取り合わせを撮影しようと大勢の人でにぎわう駅である.
ローカル線の駅の例に漏れず,今ではJR社員としての駅員は配置されていない無人駅だけれど,簡易委託駅として,昼間は集札だけを行なう職員さんが常駐している.
青梅線にたくさんある駅の中で,この駅に惹かれたのは本屋の風情.青梅線の駅の本屋といえば,終点である奥多摩……かつての氷川が立派な山小屋風で有名だけれど,その陰に隠れてひっそりとたたずむ姿を,改めて見てみたかったから.
駅前広場から見た鳩ノ巣駅の本屋.駅の真ん前に葬儀場ができていたのには驚かされた.
この駅の開業は青梅線の御嶽と氷川の間の開業と同時である,昭和19/1944年7月1日.
立川と御嶽の間の青梅電鉄が国有化されたのはそれに先立つ4月1日のことだから,“私鉄時代”は存在していないわけだけれど,どう見ても鉄道省標準設計の
建築物ではない.それは氷川駅本屋にも当てはまることで,さらに加えて昭和19/1944年という“時代背景”には全くそぐわない佇まいである.
もっとも,路線の建設が構想された昭和のはじめには,青梅電鉄の子会社としての奥多摩電鉄という私鉄だったわけで,それを考えれば,風雅なデザインもうな
づくことができる.実際に工事が始まったのは昭和14/1939年というから,“資材節約”は叫ばれていたものの,まだまだ日本本土が戦場になるとは考え
られなかった時代である.

本屋から十数段の階段を経てたどり着くプラットホームの上屋.10年前の訪問時には,昭和17年1月の日付が刻まれた財産票が残っていたのだが.それにしても,オリジナルを崩さずに,よく手入れされていることに感心してしまった.
奥 多摩の山中に眠る石灰石を目当てに建設されたのがこの路線.途中からは東京市内の水道水確保のための小河内ダム(今では奥多摩湖の方が通りがよいが)建設 という目的も加わって,戦時下にもかかわらず建設が推進されたわけである.そのようなことだから,通常時の旅客輸送による収入は,最初から当てにされてい なかっただろうと,容易に想像できる.その一方では,山歩きなどの行楽客の需要喚起は目論まれていたに違いない.だからこそ,氷川の山小屋風建築も実現し たのだろう.

奥多摩方の踏切から見た鳩ノ巣駅構内.おりしも青梅行きが停車中.ホームの擁壁には構内踏切の痕跡らしきスロープの跡が見えるが,僕が初めてこの駅を通ったときには既に跨線橋があったような気がする.

上の写真を撮って奥多摩方を振り返った風景.トンネルに入るまでの間は,大きなコンクリートアーチ橋.

作り物ではない本当の“昭和の駅待合室”.燈具やベンチは新しいし,suicaの簡易改札機などという最新設備も見えるけれど,違和感なく融け込んでいるのは,本体が本物だからだろう.
奇跡的ともいえる幸運に恵まれて,昭和中期の空気を今に伝える鳩ノ巣駅だった.過度に観光化されることなく,自然の姿のままで在り続けてもらいたいと願う.