今年2冊目のレイルが発売中である.レイル82号.今回のメインテーマは,阪神間の皆さんには馴染みぶかい武庫川.
 少青年期を流域で過ごしたという早川昭文さんが寄せてくださった,さまざまな思い出と写真が太い幹である.心を込めて描かれた文章と写真からは,半世紀前の阪神間の様子が,現代に鮮明に甦ってくる.
  この武庫川は,その源をたどれば丹波山中に達する.しかし,その長さは大阪湾に注ぐまで100キロにも満たない.その短さにもかかわらず,この川には多く の鉄道が絡みついている.基点の傍らには福知山線が走り,やがて神戸電鉄に出会う.福知山線とは深い渓谷をともに通り,大阪平野に流れ出る.その出口には 阪急宝塚線と今津線が待っている.ここで流れの向きを真南に変え,一気に大阪湾を目指すわけだけれど,今津線と仲良くランデブー.
 そのランデブーの途中には山陽新幹線との出会いもあり,引き続いて阪急神戸線と東海道本線,阪神本線とクロスする.これで終わりと思うのは早計で,ほとんど河口に近い付近まで,今度は阪神武庫川線が寄り添う.
  ようやく終わりかと思うのはまだ早い.歴史を繙けば阪神国道…国道2号線には昭和50/1975年まで阪神国道線が走っていたし,武庫川線と東海道本線と の間にはかつてC12が走る線路があった….一体,いくつの鉄道と出会い,寄り添っているのか,すぐには答えが出ないほど.

僕自身も武庫川 との縁は浅くない.甲子園口に親戚が住んでいたものだから,物心ついた頃から正月や夏休みなどには,大阪市内から“省線”に乗って武庫川をわたっていたわ けである.だから,本文中,鶴 紘明さんの“流れの少ない武庫川を徒歩でわたって”という記述には,おおいに共感というか,同じ思い出を持っているわけで ある.
 さらに,川原へ水遊びしに行くたびに“なんか使ってない線路があるなぁ”と思いつつ,実質廃止の線路を跨いでいた.親戚か親か,どちらかに“戦争中に河口の飛行機工場まで汽車が走っていた”と教わったような気もする.
 カメラを持った頃,生瀬から武田尾経由道場あたりまでの渓谷美に魅せられたけれど時既に遅く,定期列車に蒸機の姿は既になかった.春や夏,秋の臨時列車にC57が充当されたのを狙ったのが,数少ない,僕の福知山線と蒸機の取り合わせである.

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トンネルから顔を出し,武田尾駅に近づくC57牽引の下り臨時列車…もしかしたら回送かもしれない.ウェブ上での小さいサイズだからお目に掛けるだけであって,レイルへの掲載にはとても耐えられない品質の写真である.昭和44/1969年秋

福 知山線の渓谷区間は,複線化に際してトンネルを穿ってショートカットされていまい,車窓風景が失われてしまった.早川さんの記述にももちろん登場するのだ けれど,星野真太郎さんと川上喜章さんには,その廃線跡の情況を紹介していただいた.厳密にいえばJR西日本の用地内であり,“道路”として整備されてい るわけではないから,現地訪問には,細心の注意が必要だけれど,歴史を検証するために掲載したものである.
 また,星野さんは,僕の幼い頃の“謎の線路”についても歴史を繙いていただいた.きわめて短い路線ながら,歴史に翻弄された足どりを,この機会に知っていただきたいと思う次第.

こ れらの鉄道について,昭和10年代は西尾克三郎さん,亀井一男さん,米本義之さんが撮影された風景をお届けした.その中で,僕にとっては そうそう,米本 さんが道場で撮影されたC58が,謎の風景.どなたかに,このC58の真相を一端でもいいから解明していただけると,とても嬉しい.
 戦後につい ては,早川さんのお仲間である鶴 紘明さんと名手由樹さんが手助けしてくださった.さらに地元の篠原 丞さんがご提供くださった昭和30年代の数多くの貴 重なシーンを掲載することができた.改めてお礼申し上げる次第.そういえば,西尾さんのライカ判ネガからも,昭和40年の風景を発掘して何枚か掲載してみ た.

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阪神本線の武庫川駅を大阪に向けて疾走する“喫茶店”.鉄橋脇の通路や,車掌台まで乗客が立ち入ることができる電車の構造など,“旧き佳き時代”が画面一杯に溢れている.もうこの辺りの時代は,充分に“歴史”であろう.昭和40/1965年3月29日 写真:早川昭文

圧 倒的な武庫川のボリュームに圧倒され気味ではあるが,この号では3本目の執筆となる星野さんの“中国鉄道と室戸台風”は,地元新聞に報道された台風被害と 復旧過程で渡船連絡という特異な運行についての稿.鉄道歴史探究の本道を行くようなきっちりした記述を,お見逃しなく.

さて,次は…….