横浜に市電が走っていたのは明治37/1904年7月15日から昭和47/1972年3月一杯までの,68年間である.
 大阪に生まれて 育った僕の横浜市電との最初の関わりは,中学校の修学旅行に際して,バスで市内を移動している時に,市電と併走した時である.今となっては市内のどのあた りなのか,電車の形式が何だったのか,記憶は定かでないけれど,ボギー車ではなく2軸単車であったような気がする.だとすれば,これが僕にとって,生きて いる単車を見た,最初かもしれない.もしも本当に単車なら500形ということになるはずだが.
 併走の場所については,その時の行程が,箱根の宿から横浜市内ドリームランドの宿への移動ということから,いろいろ推定はできるかもしれない.

次の接触は昭和46/1971年,高校の文化祭で“日本の路面電車”を展示しようということになり,夏休みに名古屋市電や豊橋鉄道,江ノ電,東京都電,そして横浜市電を撮影した時.久しぶりにネガを引っ張り出してみたら,本町4丁目という停留所が写っていた.

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本町4丁目停留所付近の横浜市電.路線図は市街地図と対照してみると,桜木町方面から本町一丁目方向を撮影しているようだ.とすれば,画面右側に分岐するのは尾上町から長者町,弘明寺に至る線路のはず.

ということで,お目に掛けた写真のずっと奥の方右手に,当時はまだ電話局だったはずの,横浜都市発展記念館で開催されている企画展,“横浜にチンチン電車が走った時代”である.3月号の本誌でその図録を紹介している通り,1月28日から4月1日までの予定で,横浜に市電が走りはじめた頃から全廃までが,克明な調査を基にして展示されている.

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昭和4/1929年建築の,横浜都市発展記念館.当初は横浜中央電話局として,のちに市外電話局などを経て平成15/2003年3月から,横浜都市発展記念 館と横浜ユーラシア文化館として利用されている.濃い茶色のタイルが特徴的.外観はモダンだが,内部には古典的な様式も見ることができたという.この建物 の真下が,みなとみらい線の日本大通駅.

この界隈には,占領後に港湾設備を利用するため米軍が意図的に目標から外したので はないかと思えるほどに,戦災を免れた数多くの歴史的近代建築物が存在している.せっかく横浜に来たのだからと,あちこち立ち寄ってみたくなるけれど,そ んなことしていると,いつまで経っても企画展にたどり着けない.ここは意を決して(ちょっと大げさ),記念館に踏み込んでみた.

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入り口近くには,資料が乏しいといわれている横浜電気鉄道時代の文書や絵葉書,地図などがふんだんに展示されていて,担当された方の努力と熱意をうかがい知ることができる.

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昭和30年代から40年代にかけて,最大のネットワークを誇った頃の写真や資料のコーナー.この辺りには,米本義之さんの未発表写真が多数展示されている.

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同じ建物の中にある“横浜ユーラシア文化館”では,路面電車同好会メンバーが協力し,“新しい都市の交通”と銘打った写真展示が開催されている.単に歴史を 振り返るだけでなく,“これからどうする”までも,観覧者に考えさせるとは,企画された方は,実に(いい意味で)欲張りといえよう.

な お,横浜都市発展記念館は,毎週月曜日が休館.開館は午前9時30分から午後5時まで.入館は午後4時30分まで.入館料は一般300円 小・中学生 150円.常設展と横浜ユーラシア文化館も観覧可能.なお,毎週土曜日は,横浜市内の小・中学生と高校生は無料とのことである.