日本の鉄道の玄関口ともいえる大ターミナル,東京駅.
 僕が知っている40年間,全くどこも工事をしていなかった時期って,あっただろうか.というほどに,常にどこかの部分が改良され続けてきた.
 そして今も,丸の内側は大きな“壁”で覆われている.その様子は,昨年4月15日のここでお目に掛けた通り.何の工事かは,その折にも触れたとおり,大正3/1914年の落成当時の姿への復原.
  第2次世界大戦中の爆撃による火災で焼失した丸の内の本屋は,戦争終了後の復旧に際して,“とりあえず”の形で復旧された.本来は3階建なのを2階建に, 丸屋根の南北ホールを寄棟屋根に……といった具合.それでも,いわゆるやっつけ仕事ではなくて,柱の頂部などはきちんと見栄えよく仕上げられていて,当時 の鉄道マンの心意気を感じさせる出来栄えだったと思う.
 それから幾歳月,“時代にそぐわないから建て直そう”“老朽化しているから建て直そう”“一等地なのだからもっと稼げるビルに建て直そう”……さまざまな改築論議が交わされ続けた.文化財的価値と経済的位置付けとの間に挟まれつづけ,復原が正式発表されたのは,ようやく平成19/2007年5月8日のことだった.
 前回のブログからさらに1年以上経ったこの6月中旬,“丸屋根が見えるようになった”と友人からの知らせがやってきた.
 さっそく見物に出掛けてきだのだが,注目すべきデジタルカメラの発表が続いたものだから,ようやく今週のブログでご紹介できるようになったという次第.

MT-20110707-01
丸ビル前から見た南口.まだ大部分が覆われているものの,その上に姿を現したのは,紛いもない,東京駅の丸屋根.

昭 和の終りごろだったか,どうやら保存復原が実現できそうな情勢となったとき,僕は黒岩さんに“もう寄棟屋根だった時代の方が長いのですから,現状のままの 保存がいいのではないかと思うのですけれど……”とつぶやいたことがある.そうしたら,黒岩さんは即座に“いや,あの建物は丸屋根で3階建でないと美しく ないのだよ.そうしないのなら,壊したほうがいい”と,思いもかけない強い口調で反論されてしまったのを,忘れることができない.

MT-20110707-02
覆いに描かれた復原工事の概要.とてもいい工夫だと思う.英語でも記されているので,全く事情を知らない本当の通りすがりの外国人にも,その意義を理解してもらえることだろう.

この工事,JRグループ各部門やグループ会社の共同体が設計し,鹿島建設と清水建設,鉄建建設の3社からなる共同企業体が施工を担当しているのだけれど,工事の概要をじっくり見るには,鹿島のサイトがもっともわかりやすいと思う.現況については1月以降更新が止まっているのが惜しいが.
  そういえばこの春の東日本大震災は,この復原工事にも影響を及ぼした.それは,丸屋根を覆う天然スレート.これまで使われていたスレートは宮城県の登米で 整備し,加えて石巻産の新品スレートも使う予定だったのが,石巻が津波の被害に遭い,一時はすべてを輸入品で代替しよう決定されたらしいのだ.その後,関 係者の努力によって,予定されていたよりは数が減ったものの,宮城県産のスレートも使われることになったという.やれやれ.ちなみに,最初の計画段階か ら,国産品だけでは数が足りないので大部分は輸入品を使うことになっていたという.

MT-20110707-03
1番ホームから見た,できたての丸屋根.このホームは,建設当初“丸の内の煉瓦駅舎との景観の融合を考慮して……”とされていたが,こうやってみると,さらなる“景観の融合”が欲しくなる.