ブラチスラヴァを6時前に出発したペンドリーノは,順調に走り……リュブリアナとマリボルの間よりもカーブが少なくて,それほど“振子”って感じは しなかったけれど.ちなみにこちらは7輛編成.しかし食堂車ではなくビュフェであるのはスロヴェニアと同じ.一方,1等ではコーヒーやサンドイッチなど無 料で配られる.早朝の出発だから本来なら“しめた”っていうところだが,実は宿の心づくしのランチボックスがあって,それを食べようと思っていたものだか ら,飲み物だけありがたく頂戴することにした.ちなみにその宿とは,ブラチスラバでもっとも古い地区への入り口,ミハエルスカ門の名前を採った“ホテル・ミハエルスカー・ブラーナ”. 外観はホテルとはとても思えない,実にクラシックな古民家なのだが,中に入ってびっくり.エレベーターはガラス張り,キーはカード…それもICカードで タッチ式.エレベーターの操作や部屋のキーオープンには,そのカードを“タッチ”しないとダメなのだ.説明を適当に聞いて“インサート式”と思っていたの でエレベーターが動かず,ちょっと恥ずかしい思いをしてしまった.

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これがチェコ国鉄のペンドリーノ.スロヴェニアの3輛編成とは違い,フル.しかし食堂車はない.それがちょっと残念.

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宿の心づくしのランチボックス.とてもおいしく頂きました.

さてそのペンドリーノ.とても快調に走るものだから,そのままプラハまでいってしまいたかったのだけれど,スケジュールの加減でそうはいかない.そこでブルノで折り返し……ではないのだけれど,ほとんどそんな感じで南下,ヴィーンへと向かわねばならないのだった.

ブ ルのの滞在はわずか4時間.しかもこの国はまだユーロが通用しないから,駅で両替しないとコインロッカーも使えなければ,トイレにも行くことができないの だ.ということで,最初は全財産を抱えたまま駅前で市電の撮影.ここの駅前の最大の特徴は,市電の複々線区間があること.いやはや日本では全く考えられな いことである.

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並走+すれ違い,加えて続行運転と,とにかくにぎやかなこと.やってくる電車は未更新からさまざまな更新タイプまでバラエティ豊かなT3に加えて,最新の シュコダ製超低床車まで.ところでT3の制御機の音って,昔からあんなにインバーター制御機みたいな音だろうか.それとも,制御器を更新している?

中 央駅も賑やかで,1時間に1本は国際特急Ecがやってくるし,そのECは各国それぞれの編成だから彩り豊か.国内列車も電車や気動車やプッシュプル運転と 飽きない.中には,チェスケー・ブヂェヨヴィツェからR929列車としてやってきて,ここでR664列車プルゼニュ行きに仕立て直されるなんて編成もあっ た.思わずビールの呑み歩きをしたくなる運用ではないか.ちなみに前者がブドヴァルの所在地,後者はピルスナー発祥の地.
 もうひとつ,ちょっと離れたところにホームが2本あり,そこから付随車を牽いた気動車列車が発着していたのだ.社会主義国家以前は私鉄だったのでは?と思わせる風情だった.

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かつての清水港線ホームほどではないけれど,本駅からやや離れたところにある2本のホームからは気動車列車が発着していた.後ろのまぁるい付随車も出自が大いに気になる.

11時24分,チェコ国鉄仕立てのEC“フランツ・シューベルト”でブルノをあとにした僕はヴィーンへ向かった.ウイーンでは市電を少し写し,どうしてもブルガリア国鉄の寝台車を見たいがために夜の西駅へも出かけたものだから,もう夜中近くになってしまった.

と いうところで,今回の旅日記,現地報告編はおしまい.だって,あしたの朝にはイスタンブール経由で日本に発たねば.やっぱりあっという間に終わったこの1 週間であった.しかし,中身は濃い.まだまだお話したいことの1割も書けていない.あとはおこのブログで折りに触れて採り上げるほか,本誌にも記事を書く ことになっている(当たり前だけれど).どうぞお楽しみに.