もう2ヵ月も前のことになってしまった,越前訪問.
この前に越前を訪ねたのは2013年7月のことだった.105系,107系,119系とその仲間たちの取材で,JR東海から譲渡された元119系電車の撮影にお邪魔した時である.
その時点で,えちぜん鉄道(京福電鉄福井支社)の車庫は既に新しい敷地に移転していたが,まだ元の車庫にも有蓋車の車体や木造の建物など,“京福”の面影は色濃く残っていた.
2013年7月23日の,えちぜん鉄道の旧車庫点景.事務所は木造が主体だった.
それから10年.今回の主な訪問目的は,3月2日付のここでお話した通り,福井鉄道の“フクラムライナー”ことF2000形だった.
けれど,えちぜん鉄道のことも,福井鉄道との相互直通運転などを含めて興味津々.時間を盗んで,少しだけ体感してきた.
そしてN700Sから681系に乗り替え,福井駅に到着したのは10時59分.もしかしたら最後になるかもしれない,北陸本線としての敦賀と福井の間の車窓風景を,じっくりと観察…いや,“垣間”見ることができた.
高架になった福井駅に降り立つのは,もちろん初体験.1階に降りてコンコースを出たらすぐに目に入ったのが,この“今庄そば”.かつては改札の中にもあったと思うが,ともあれ健在で何より.まずは早い昼ご飯をいただいたことである.
荷物を宿に置いて最初に出向いたのが,福井鉄道の市役所前電停.今は福井城址大名町と名を変えているが,レイルNo.126の裏表紙に使おうと思っていた,本島三良さん撮影の写真の場所を特定…いや,“市役所前”とあるのだから,それは間違いないのだけれど,不思議なのは,現在の武生方面行き安全地帯からは,同じ写真が撮れそうにない,ということ.
安全地帯に立つと,武生方面からやってきた電車が折り返すための渡り線が,ない.渡り線を入れようと思うと,交叉点の向こうから望遠レンズでこのような写真を撮らざるを得ない.はてさて.
結論をいえば,2017年に安全地帯が移転したため,同じ写真が撮れなくなってしまったということなのだけれど,とにかく周囲の建物も本島さんが撮影されたころとは様変わりし,さらに街路樹が立派に育ったために,様子が一変してしまっていて,本気で悩まされることになったのだった.
さて,田原町まで電車に乗って勇躍えちぜん鉄道へ.
直通運転の終点である鷲塚針原まで乗り通したのはいうまでもない.
鷲塚針原での福井鉄道F1003とえちぜん鉄道7005との出会い.ここでは折り返しのために専用の低床ホームが新設されているが,途中駅では広島電鉄宮島線を思い出させる,高低併設ホームを見ることができる.
直通運転は1時間に1本だから,F1000と戯れていると,あっという間に冬の北陸の陽は低く傾いてしまった.
慌てて,今度はえちぜん鉄道の電車に飛び乗る.乗ったのはMC7000形7001.やはり元JR東海119系である.けれど正面が大改造されていて,元愛知環状鉄道のMC6000形と見分けはつきづらい.
福井鉄道のホームにいるのは,元名古屋鉄道岐阜線の連節車770形773.美濃町線の880形に似ているけれど,独立した固定窓などが名鉄らしくて,僕は好き.
名鉄岐阜線の電車は福井鉄道と豊橋鉄道に転じたが,部分超低床車800形は福井経由で今は豊橋で走っている.JR東海と愛知環状鉄道の電車たちを含めて相関関係が複雑で,趣味的には楽しいことではある.
そして福井駅.1面2線の高架駅は,地上時代の何本も側線のあった駅を覚えていると,ちょっと淋しくはあるが,でも,県庁所在地とはいえどもJRの駅の東西両側に私鉄が発着している例は,多くはないのではないか.
これで新幹線と北陸本線との間に入り込むことができれば,福井周辺の鉄道事情は将来への発展図を描きやすくなったのだけれど惜しくも……という地元の声も聞こえてくるが.その場合には電化方式を大いに議論する必要があろう…あ,これからはデュアルモード車輛の導入で,ハードルは下がるかもしれない.
そういえば高架化工事の過程で,えちぜん鉄道の電車が新幹線用の高架上を走った時期があった.かつて阪急京都線電車が東海道新幹線の線路を走ったように.そのタイミングで来てみたかった!
2月の越前といえば……出発前に大いに“背中を押して”くれる人もあり,“翌日への英気を養わねば”いう“イイワケ”を付け加えて,僕としては大奮発の夕食となった.
この前に越前を訪ねたのは2013年7月のことだった.105系,107系,119系とその仲間たちの取材で,JR東海から譲渡された元119系電車の撮影にお邪魔した時である.
その時点で,えちぜん鉄道(京福電鉄福井支社)の車庫は既に新しい敷地に移転していたが,まだ元の車庫にも有蓋車の車体や木造の建物など,“京福”の面影は色濃く残っていた.
2013年7月23日の,えちぜん鉄道の旧車庫点景.事務所は木造が主体だった.
それから10年.今回の主な訪問目的は,3月2日付のここでお話した通り,福井鉄道の“フクラムライナー”ことF2000形だった.
けれど,えちぜん鉄道のことも,福井鉄道との相互直通運転などを含めて興味津々.時間を盗んで,少しだけ体感してきた.
そしてN700Sから681系に乗り替え,福井駅に到着したのは10時59分.もしかしたら最後になるかもしれない,北陸本線としての敦賀と福井の間の車窓風景を,じっくりと観察…いや,“垣間”見ることができた.
高架になった福井駅に降り立つのは,もちろん初体験.1階に降りてコンコースを出たらすぐに目に入ったのが,この“今庄そば”.かつては改札の中にもあったと思うが,ともあれ健在で何より.まずは早い昼ご飯をいただいたことである.
荷物を宿に置いて最初に出向いたのが,福井鉄道の市役所前電停.今は福井城址大名町と名を変えているが,レイルNo.126の裏表紙に使おうと思っていた,本島三良さん撮影の写真の場所を特定…いや,“市役所前”とあるのだから,それは間違いないのだけれど,不思議なのは,現在の武生方面行き安全地帯からは,同じ写真が撮れそうにない,ということ.
安全地帯に立つと,武生方面からやってきた電車が折り返すための渡り線が,ない.渡り線を入れようと思うと,交叉点の向こうから望遠レンズでこのような写真を撮らざるを得ない.はてさて.
結論をいえば,2017年に安全地帯が移転したため,同じ写真が撮れなくなってしまったということなのだけれど,とにかく周囲の建物も本島さんが撮影されたころとは様変わりし,さらに街路樹が立派に育ったために,様子が一変してしまっていて,本気で悩まされることになったのだった.
さて,田原町まで電車に乗って勇躍えちぜん鉄道へ.
直通運転の終点である鷲塚針原まで乗り通したのはいうまでもない.
鷲塚針原での福井鉄道F1003とえちぜん鉄道7005との出会い.ここでは折り返しのために専用の低床ホームが新設されているが,途中駅では広島電鉄宮島線を思い出させる,高低併設ホームを見ることができる.
直通運転は1時間に1本だから,F1000と戯れていると,あっという間に冬の北陸の陽は低く傾いてしまった.
慌てて,今度はえちぜん鉄道の電車に飛び乗る.乗ったのはMC7000形7001.やはり元JR東海119系である.けれど正面が大改造されていて,元愛知環状鉄道のMC6000形と見分けはつきづらい.
福井鉄道のホームにいるのは,元名古屋鉄道岐阜線の連節車770形773.美濃町線の880形に似ているけれど,独立した固定窓などが名鉄らしくて,僕は好き.
名鉄岐阜線の電車は福井鉄道と豊橋鉄道に転じたが,部分超低床車800形は福井経由で今は豊橋で走っている.JR東海と愛知環状鉄道の電車たちを含めて相関関係が複雑で,趣味的には楽しいことではある.
そして福井駅.1面2線の高架駅は,地上時代の何本も側線のあった駅を覚えていると,ちょっと淋しくはあるが,でも,県庁所在地とはいえどもJRの駅の東西両側に私鉄が発着している例は,多くはないのではないか.
これで新幹線と北陸本線との間に入り込むことができれば,福井周辺の鉄道事情は将来への発展図を描きやすくなったのだけれど惜しくも……という地元の声も聞こえてくるが.その場合には電化方式を大いに議論する必要があろう…あ,これからはデュアルモード車輛の導入で,ハードルは下がるかもしれない.
そういえば高架化工事の過程で,えちぜん鉄道の電車が新幹線用の高架上を走った時期があった.かつて阪急京都線電車が東海道新幹線の線路を走ったように.そのタイミングで来てみたかった!
2月の越前といえば……出発前に大いに“背中を押して”くれる人もあり,“翌日への英気を養わねば”いう“イイワケ”を付け加えて,僕としては大奮発の夕食となった.
で,その,英気を養って迎えた翌日はどうなったかって? その顛末は,ぜひともレイルNo.126をご覧いただきたい!
※2023.05.07:一部記述修正