先々週のここで,JR東日本鶴見線へのE131系電車投入をお伝えした.その末尾に,新潟からのE127系が,9月13日から南武線の浜川崎支線で使用開始となることも記した.
基地となる中原電車区……今は鎌倉車両センター中原支所に,最初の1編成が到着したことは,本誌7月号の“いちぶんのいち情報室”で速報した.
どのような仕様になるのだろうかと興味津々,営業運転開始を待っていたら,8月4日に報道公開が行なわれると案内をいただき,さっそく駆けつけた次第.
8月21日発売の9月号でもいちぶんのいち情報室に掲載しているが,一足早くフォロー(ちょっと変ではあるけれど)という次第.
尻手方から見た編成.手前がクハ126-12で浜川崎方がクモハ127-12.編成番号はV1となった.
まず目に入るのは帯の色.現在の支線用205系と同じ配色ながら,それぞれの色の配分は異なっている.正面の貫通幌は,新潟時代からクハE126には取り付けられていなかったから,それは変わらない.
そしてこちらがクモハE127-12.幌を外した跡が確認できるだろうか.
幌を外したのは,新潟では最大6連での運用があったのに対して,こちらでは2連での運用しかないから.だから密連の下の電気連結器も撤去してよいわけだが,これを外すためにはいろいろと手間がかかる.だから端末処理を行なって,機能は停止している.
機能停止といえば,ほかにはクハE126に設備されているトイレを鎖錠して使用停止とした.これに伴って汚物タンクも使用停止.寒冷地ではないのでレールヒーターも使用停止となった.
逆に新設されたのは連結面への転落防止外幌を筆頭に,運転室への仕切扉と扇風機の新設がある.
ごく標準的なスタイルと寸法の外幌である.左のクハE126の側扉脇の戸袋部には出入口表示装置の出っ張りが見えるが,これも使用停止である.その下に見える半自動スイッチは,浜川崎支線でも活用される.そうそう,行先表示は幕式のままである.
中原へやってくる2編成は,ともに東急車輛製なので,妻板に横のリブはなく,そのかわりに屋根より一段引っ込んでいる.E127系で東急車輛製はこの2編成のみである.偶然とはいえ,“地元に帰還”ともいえるできごとである.
台車に変更はないが,空転防止のために取り付けられていた先頭台車のセラミック粉噴射装置は撤去されている.スノウプロウは残された.写真はクハE126のTR126ATR246A.
ちなみにこの電車の主制御装置,新造時はGTOサイリスタのSC51だったが,新潟時代にIGBT素子を使った東洋電機製造製のSC102Aに交換されている.
さて室内.
28年前の新潟でのお披露目時には見られなかった光景.腰掛の上に大きな箱が鎮座している.ATS-Pの機器箱である.3名分の座面と背摺は撤去,蹴込内のヒーターは機能停止となっている.また,運転室との仕切壁にあった運賃箱や運賃表,側扉脇の整理券発行機は撤去されている.写真はクハE126だがATS-P機器箱はクモハE127にもおかれている.
なお現車標記の定員はクモハE127が136名,クハE126が134名となっている.新造時は140名と138名で,いずれも4名分ずつ減っている.これはATS-P搭載やその他の理由によるものである.
腰掛表地は変更されていない.写真はクハE126の連結面寄り.画面中央奥が,元のトイレ.業務用室の札が貼られている.
基地となる中原電車区……今は鎌倉車両センター中原支所に,最初の1編成が到着したことは,本誌7月号の“いちぶんのいち情報室”で速報した.
どのような仕様になるのだろうかと興味津々,営業運転開始を待っていたら,8月4日に報道公開が行なわれると案内をいただき,さっそく駆けつけた次第.
8月21日発売の9月号でもいちぶんのいち情報室に掲載しているが,一足早くフォロー(ちょっと変ではあるけれど)という次第.
尻手方から見た編成.手前がクハ126-12で浜川崎方がクモハ127-12.編成番号はV1となった.
まず目に入るのは帯の色.現在の支線用205系と同じ配色ながら,それぞれの色の配分は異なっている.正面の貫通幌は,新潟時代からクハE126には取り付けられていなかったから,それは変わらない.
そしてこちらがクモハE127-12.幌を外した跡が確認できるだろうか.
幌を外したのは,新潟では最大6連での運用があったのに対して,こちらでは2連での運用しかないから.だから密連の下の電気連結器も撤去してよいわけだが,これを外すためにはいろいろと手間がかかる.だから端末処理を行なって,機能は停止している.
機能停止といえば,ほかにはクハE126に設備されているトイレを鎖錠して使用停止とした.これに伴って汚物タンクも使用停止.寒冷地ではないのでレールヒーターも使用停止となった.
逆に新設されたのは連結面への転落防止外幌を筆頭に,運転室への仕切扉と扇風機の新設がある.
ごく標準的なスタイルと寸法の外幌である.左のクハE126の側扉脇の戸袋部には出入口表示装置の出っ張りが見えるが,これも使用停止である.その下に見える半自動スイッチは,浜川崎支線でも活用される.そうそう,行先表示は幕式のままである.
中原へやってくる2編成は,ともに東急車輛製なので,妻板に横のリブはなく,そのかわりに屋根より一段引っ込んでいる.E127系で東急車輛製はこの2編成のみである.偶然とはいえ,“地元に帰還”ともいえるできごとである.
台車に変更はないが,空転防止のために取り付けられていた先頭台車のセラミック粉噴射装置は撤去されている.スノウプロウは残された.写真はクハE126の
ちなみにこの電車の主制御装置,新造時はGTOサイリスタのSC51だったが,新潟時代にIGBT素子を使った東洋電機製造製のSC102Aに交換されている.
さて室内.
28年前の新潟でのお披露目時には見られなかった光景.腰掛の上に大きな箱が鎮座している.ATS-Pの機器箱である.3名分の座面と背摺は撤去,蹴込内のヒーターは機能停止となっている.また,運転室との仕切壁にあった運賃箱や運賃表,側扉脇の整理券発行機は撤去されている.写真はクハE126だがATS-P機器箱はクモハE127にもおかれている.
なお現車標記の定員はクモハE127が136名,クハE126が134名となっている.新造時は140名と138名で,いずれも4名分ずつ減っている.これはATS-P搭載やその他の理由によるものである.
腰掛表地は変更されていない.写真はクハE126の連結面寄り.画面中央奥が,元のトイレ.業務用室の札が貼られている.
運転室.基本的な機器配置は変わりないし,ここには写っていないが,客室状態観察用の鏡など,運転上必要なワンマン機能は残されている.扇風機もこの写真からは見えない.
ごく細かい点だが,乗務員室扉の下部にある把手も,中原入りのために付け加えられたディテール.模型化には苦労しそう…….
なお,転属整備は長野総合車両センターで施工されているが,近年のJR東日本の通例に従い,改造や更新の銘板はどこにも見当たらない.
そして第2編成は今も長野に留置されているようだが,いつ中原へやってくるのかは,公表されていない.
そもそも,新潟にいたはずのE127系が,なぜ南武支線にやってくることになったのか…….それは北陸新幹線の金沢延長開業が“起源”.
並行在来線となる信越本線の新潟県部分を引き継ぐことになったえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインで使う電車として白羽の矢がたったこと.総数13編成のうち事故廃車の1編成を除く12編成が在籍していたが,必要とされたのは10編成のみで,2編成が2015年以降もJR東日本に残ることになってしまった……弥彦線などで使用したものの少数派は扱いが面倒で,205系の後継車が模索されていた南武線浜川崎支線用として,再び“白羽の矢”が立った,ということのようである.
それにしても“この第1編成には阪神淡路大震災に被災した証しの傷があるんです”と,報道公開に際して,当時の大熊孝夫新潟支社運輸部長から説明されたことを思い出してしまった.この取材の成果は,本誌の1995年5月号(通巻245号)に車輌の視点として掲載している.
それにしても28年が経過した……歳月の流れの早いことを再認識させられた,8月4日の昼下がりだった.
ごく細かい点だが,乗務員室扉の下部にある把手も,中原入りのために付け加えられたディテール.模型化には苦労しそう…….
なお,転属整備は長野総合車両センターで施工されているが,近年のJR東日本の通例に従い,改造や更新の銘板はどこにも見当たらない.
そして第2編成は今も長野に留置されているようだが,いつ中原へやってくるのかは,公表されていない.
そもそも,新潟にいたはずのE127系が,なぜ南武支線にやってくることになったのか…….それは北陸新幹線の金沢延長開業が“起源”.
並行在来線となる信越本線の新潟県部分を引き継ぐことになったえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインで使う電車として白羽の矢がたったこと.総数13編成のうち事故廃車の1編成を除く12編成が在籍していたが,必要とされたのは10編成のみで,2編成が2015年以降もJR東日本に残ることになってしまった……弥彦線などで使用したものの少数派は扱いが面倒で,205系の後継車が模索されていた南武線浜川崎支線用として,再び“白羽の矢”が立った,ということのようである.
それにしても“この第1編成には阪神淡路大震災に被災した証しの傷があるんです”と,報道公開に際して,当時の大熊孝夫新潟支社運輸部長から説明されたことを思い出してしまった.この取材の成果は,本誌の1995年5月号(通巻245号)に車輌の視点として掲載している.
それにしても28年が経過した……歳月の流れの早いことを再認識させられた,8月4日の昼下がりだった.
※2023.08.12:台車形式訂正