8月26日,念願の宇都宮ライトレールが開業した.都市交通に興味と関心を持つ多くの人々が宇都宮に馳せ参じ,その前途を祝したことである.もちろん僕もその一人.
 とともに,将来への展望と課題が,初日から浮かび上がってきた.今後も,日を経るにつれて明らかになることがらもあるだろう.そして同時進行で,解決,改良に向けての方策が練られるに違いない.
 インターネットメディアでは,その速報性を活かして開業当日のレポートが各所に掲載されている.だから,ほぼ1週間を経て記すことになるここでは,僕が体験したことなどを,あえて断片的にお伝えしたいと思う.
 なお,開業フィーバーが落ち着いたころにゆっくり再訪して,その時に冷静な観察をしてみたいと思っている.乞うご期待!
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テープカットを待つ.宇都宮駅東口.

各停留場の駅名標下には,それぞれの場所にまつわる写真が掲げられている.起点の宇都宮駅東口は宇都宮全体の“名物”6種.左上から右へカクテル,大谷石の切り出し場,3×3バスケットボール,自転車のロードレース,ジャズ,そして餃子!
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11時40分には中尾正俊常務による出発合図があり,一番電車が出発して行った.写真:齋藤知之

中尾正俊常務は,長らく広島電鉄で活躍,2008年に引退するも,請われて宇都宮へ移住,ライトレールに参画し,開業に向けて力を揮われた方である.
 僕との関わりは1999年,ドイツのシーメンスで製造され,1号車が空輸(!)された5000形“グリーンムーバー”の取材に始まる.いつの間にやら四半世紀近い時間が流れた…….
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発車した一番電車は,すぐそのまま終点に向かうのではなく,角を曲がったところで祝賀パレードに取り囲まれた.写真:服部重敬

開業を祝うパレードと電車の取り合わせは,日本では珍しいように思うのだけれど,それもそのはず.何しろ,何もないところからの路面電車建設開業そのものが,日本では何十年ぶりのことか.この日,式典を待つ間に“戦後初めてかなぁ”と口走ったら,すぐさま服部重敬さんから“いや,そうではないですよ!”と鋭い指摘が…….
 では実のところどうなのか.改めて研究してみなくちゃ.

このあと,一般の営業開始である15時まで少し間が空いた.その間に腹ごしらえをして,沿線探訪に出掛けた.地元の齋藤さんにハイライトポイントを教えていただくとともに,案内までお願いしてしまったことである.

最初に向かったのは,車庫のある平石.試乗のための編成と,営業運転開始に向けての出庫編成が輻輳して,いきなりこんな風景が…….
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すべて“回送”表示ながらも3編成の揃い踏み.車庫線にも出庫待機の編成がいる.営業運転が始まったら,少なくともこの時間帯
にはちょっと見られないだろう光景であった.


続いて終点へ向かう途上の60‰区間へ.
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写っているのは芳賀・高見沢工業団地からの二番電車に充当するための回送車.画面右端の架線柱にはしっかりと60‰を示す勾配標が.

画面左端に見える交通信号機は完全二段式だが,さらに下段の右に張り出しがあって“電車用”として黄色矢印が現示されている.ということは自動車は赤信号でも電車は進むことが,システム上は可能ということか!?

そして芳賀・高見沢工業団地の停留場.ホンダ自動車の工場前でもある.
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発車を待つ二番電車.建設途上に訪問した時とは面目一新である.

その建設途上のレポートは,とれいん2021年10月号にCoffee Cupとして掲載した.お持ちの方はぜひ読み返していただきたい.まだお持ちでないかたがおられたら,ぜひともお求めの上,お読みいただければ幸い.まだ在庫はあります(!).
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最後にオマケ.案内してもらっている途上,平石と芳賀町工業団地管理センター前(長い!)の間の自動車屋さんで見掛けた“ホンダN-VAN仕様HU300形”!?