もうそんなに経ったのかと思いつつプレスリリースを眺めていたのだが,同じリリースの中には,副都心線開業15年という文字もあって,さらに感慨にふけることとなった.
 有楽町線の最初の区間である池袋と銀座一丁目の間が開業したのは,確か昭和49年……調べてみたら,間違いはなかった.池袋と銀座一丁目の両駅には,当時の東京圏では極めて珍しかった(初めて?…ではないようだ.2023.09.13追記)自動改札機が設置され,“東京もようやく関西に近づいたか”と,大阪出身の若い鉄道趣味人としては,根拠のない優越感(?)に浸ったものである.ただしこの自動改札機は,営団成増への延長開業の時だったかに撤去されてしまう.関西圏に比べて相互乗り入れ直通運転が複雑極まりない(それでも21世紀の現在と比べれば,微々たる規模にすぎなかったのだが)東京圏では普及は難しいのだろうなぁと思ったことである.
 その,最初の区間の開通から数えれば,有楽町線は来年で50年!半世紀の歴史を刻んできたことになる.
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これが,僕が現役の7000系を撮影した最後かもしれない.2021年8月27日,石神井公園の駅である.10輛編成はもうちょっと前の2月のことのようである.

開業からずっと働いてきた7000系電車は,千代田線の6000系をベースにして開発され……などということは,ここの読者ならば先刻ご承知かもしれない.最初のグループは6000系と同様,側窓が小さくて先進的なデザインの正面との対比が,ちょっと違和感ありだったのだが,増備の途中からは大きな一段下降窓に変更され,カッコよさが倍増した.ただし,車内では貫通路が吹き抜けからごく当たり前の構造となって開放感が失われてしまったが.
 この電車に関する資料は,とれいん2012年1月号で山下 満さんが纏めてくださったMODELERS FILEが随一である.ただし(今日はこの言葉が多いなぁ),残念ながら売り切れである.
そんな7000系電車は,15年後の新木場開業ののちも,ずっと有楽町線の主であり続け,副都心線開業後もなお,時代に即した改造を受けつつも働き続け,昨年の春に,ようやく的運用から退いた.

でも,記念すべき第1編成は新木場の車庫でいまもなお姿を見ることができる.昨年11月には“「懐かしの6000 系・ 7000 系車両撮影会 in 東京メトロ新木場車両基地”と銘打った撮影イベントが実施され,6000系(これも動態)と並ぶ姿を見ることができた.
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これがそのイベントに際しての晴れ姿.この時は“営団成増”の行先を表示していた.2022-11-12

そして先週日曜日の7101編成はといえば……
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まずは両脇に17000系トップナンバーと10000系10111編成を従え,和光市方先頭車に“副都心線開業15周年”記念ヘッドマークを取り付けてのお目見え.行先は小竹向原行き準急.

準急だなんて,なんとレアな表示……なのだが,副都心線が開業してから2010年の春までは,池袋と和光市の間で運転されていたのである.停車駅は途中の小竹向原のみ.だから,小竹向原行きという列車が存在したのかどうか,僕は見掛けたことがない.
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新木場方に回ってみれば,“有楽町線全線開業35周年”のヘッドマークが.行先表示は“新線 池袋”,

この“新線 池袋”というのは,小竹向原から池袋までの間が1994年に先行開業した時の表示で,新線区間の要町と千川は営業していなかった.そして“新線池袋”というのは現在の副都心線池袋駅のことである.線路名称も,この時点では“有楽町線新線”だった.
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そしてほどなく姿を見せたのがこのヘッドマーク.新木場開業時に装着されていたものを再現したのだそうだ.

さて冒頭に出てくるリリースとうのは,はとバスとの共同主催ツアーで,9時から昼過ぎまで,1回あたり定員35名で参加費は13,500円という内容.
 なぜ,はとバス?なのかといえば,新木場駅から車両基地(正式には和光検車区新木場分室)までの移動を担当したのである.
 そう,この車両基地,東京ヘリポート前行きの都バスはあるのだが,歩くと実に遠い.僕は夏の最中の報道公開で往復とも歩いてへばったことがある…….
 そこで!ということなのだそうだ.

登場したバスは,これ.
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8月に納車されたばかりの新車!いすゞGALA.これが目当てというお客さんも,きっといただろう.

ということで,まだまだ新しい企画が飛び出しそうな,東京地下鉄とはとバスとの共同主催ツアー.次は……丸ノ内線の02系が今年度中には2000系に置き替え完了となりそうだから中野車庫での撮影会はどうだろう.でも,新木場ほどには駅から離れていないから,はとバスで沿線をめぐっての撮影会とか…….夢は膨らむ.