夏真っ盛りの7月に刊行されたレイルNo.127に,“暖房車”が大集合した.
 この“暖房車”,本線の定期列車で活躍していたのは昭和40年代半ば過ぎまでだたから,もう55年以上も前のこと.保存車があるわけでもなく,どのぐらいの関心を呼ぶことができるのか,実のところ大いに不安だった.そもそも,どのぐらいの分量の写真類が集まるか,まったく自信がなかった.
 直接的なきっかけは編集後記にも記した通り,佐竹保雄さんからの“暖房車の写真がたくさんあるんだが,活用できないだろうか”というご提案である.福田静二さんを通じてそのご意向を聞いてリサーチを始めたのは今年の初め…暖房車の活躍シーズンだっただろうか.

僕が暖房車という車輛を初めて見たのは,昭和43/1968年1月の天王寺駅だった.そういう車輛が存在すること自身は,機芸出版社から刊行されていた,片野正巳さんのイラスト集“陸蒸気からひかりまで”によって知ってはいた.知ってはいたが,天王寺などという身近な場所にいる,などという具体的な情報はなにも持っていない中学生だった.
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スヌ312.“天リウ”とある.“リウ”が竜華を指すということは,どうやらら既に知っていたようだ.でも,その日その時に乗ったEF52牽引の紀勢本線直通列車には暖房車は連結されていなかったから,使い道はわからなかった.それは今でも不明のままである.天王寺 昭和43/1968年1月5日 写真:前里 孝

この年の4月には米原機関区でマヌ34 20を見ている.なぜここに?という疑問はあったはずだが,そういう記憶はあまりない.ということは,交直接続区間で使っていたことを,知っていたのだろうか.でも,その時点ではEF70はもちろん,ED70にも電気暖房装置を取り付けていたはずだから,なぜ残っていたのか,大いに疑問ではある.

では暖房車はどこで使っているのか,それを知ったのは,鉄道ジャーナル誌の昭和44/1969年4月号だった.レイルに再録した列車追跡シリーズ“暖房車は走る 電化区間のカマ焚き列車”だった.筆者は平井憲太郎である.
 今回,鉄道ジャーナル社のご厚意により再録させていただけることとなり,トップに据えてみた.そうしたら,“あの記事に感激して中央東線に行ったです!”というお声が,たくさん聞こえてきた.僕以外にも同じことを感じた人がたくさんおられたわけである.
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新宿駅で発車を待つ中央東線夜行列車のマヌ34 5と牽引機EF13 6.“いつか暖房車のついた列車に乗りたい”と,“少年”の心を鷲掴みにした写真である.新宿 昭和44/1969年 写真:平井憲太郎

実現したのは2年後の春で,なおかつ.それが最初で最後の体験となった.

と,いう具合であるから,暖房車を“趣味的に”実体験できた人というのは,少なくとも還暦を過ぎた年代ということになる.冒頭の不安の理由は,そこにあった.

資料としての暖房車は,藤田吾郎さんとそのお仲間である豊岡 潔さん,小松重次さんが図面や表を駆使して纏めてくださった.佐竹さんの写真とともに,この稿がなければ,レイルNo.127は,成り立たなかった.

一方,活躍情景の写真は,藤田吾郎さんのコレクションに加え,僕自身でもアンテナを張って手配した.いろいろな“難儀”を列挙しているときりはないが,なかからひとつだけご紹介するのが
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たった一度だけ,EF58 61が牽いた暖房車.御召列車ではないがご乗用列車である.有楽町(東京-新橋) 昭和28/1953年11月6日 写真:星山一男(西尾克三郎写真コレクション)

この年の夏に落成したばかりの御召牽引専用機が,初めて迎える暖房車の季節.蒸気発生装置に一抹の不安があったのだろう.スヌ31を特別整備して起用したということのようである.この時の写真は,佐竹保雄さんが撮影されているはずなのだけれど,ネガが見つからないということで,“どうしよう”状態だった.ふと思い立って西尾さんから引き継いだアルバムを繰っていたら,僕の目の前に姿を見せてくれたのである.西尾さんと星山さんは,同じ毎日新聞社にお勤めだったことを思い出し,相談した大先輩からも“ここで使えば,西尾さんも星山さんも喜んでくれるんじゃないか?”と言ってくださった.で,見開きでの起用となった.

グラフ頁を既にご覧になっている方にはお気づきのことと思うが,写真のトリミングや配置は,ふだんと大きく異なっている.
 それは,いつもと主役が違う,ということ.いつもなら,機関車を見開きで左右頁に割ることは,できるだけさけるのだけれど,今回に限っては,切れ目になっている写真が多い.
 星山さんのEF58 61も,その中の1枚.普段なら,EF58 61,それも日章旗を掲げて走る状況で,機関車を見開きの真ん中に置いて“泣き別れ”に配置するなど,まったくあり得ないことである.でも今回の主役はスヌ31なのである.
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和田岬線のD50.兵庫駅を発車するB50 25と木造客車による列車.昭和27~30/1952~1955年頃 所蔵:藤田吾郎

ボリュームの面では暖房車に圧倒されてしまったものの,内容的には必見といえるのが,高見彰彦さんの“和田岬線とB50”.最後の存在となった原形の面影を強く残す103系電車の引退にちなんで纏められたものである.
 歴代の和田岬線用車輛については,纏める気になれば,“有象無象”の木造客車やロングシートで片側のみ3扉…しかも両開き…のオハ64,片側にしかまともな側扉のないキハ35系など,ちょっとしたボリュームになるはずである.しかし,それらを集め回るには,相当のエネルギーが必要であることもまた,間違いない.
 同時に旋回橋“跡”についても研究を進めてくださった.これも使用開始,停止ともに時期が判然としないのだが,今回の稿によって,かなり絞られてきたようである.
 今後に期待したい……とはいえ,その道は険しいかもしれないが.

こうして,暖房車なんてまったく要らない夏の真っ盛りに完成したレイルNo.127
 僕の懸念をよそに,多くの追加注文をいただいた.いや,いまもご注文は途切れていない.ほんとうにありがたいことである.ありがとうございます.
 これからのレイルにも,引き続いてご支援くださいますよう,お願い申し上げます.