昨年暮から年始にかけて,日本各地で大雪や強風が襲った.被害に遭われた方々に,お見舞い申し上げます.
 これから先の新しい年には,いいことがたくさんありますよう.心からお祈り申し上げます.

さて,新しい年の最初の話題はなににしようか…….去年も同じことを書いたような気がして,1年前のブログを読み返したところ,東武鉄道から譲り受けた貨車の復元を果たした上毛電鉄の話題だった.
 その時の写真ファイルを見直してみたら,架線柱の写真が出てきた.それで思い出したのが,先日の東武特集で訪問した野田線の架線柱.
 実は,この両鉄道の架線柱が同形だったのである.いや,普通の架線柱ではなくて,“桜田式”と呼ばれる特別な構造だものだから,すぐに判るのだ.
 この,独特の構造を持つ架線柱の存在は,もう随分前から知っていたけれど,それが“桜田式”と呼ばれていることを教えられたのは,レイルNo.47に掲載されている,中川浩一さんの記事,“身延線回顧”の中で,だった.
 “チャンネルポール”と自社広告で謳うこの架線柱の構造を,文字で簡単に説明するのは難しい.百聞は……で,写真をお目に掛けることにしよう.

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最初は全体から.七光台の駅はずれに立つ門型.両方が桜田式である.しかしこれだけでは,この架線柱の特徴は判らないだろう.ということで,ぐっと近づいてみると…….

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チャンネル材の底にあたる部分を短冊状に打ち抜き,打ち抜いた部材を斜めに曲げて,向かい合わせに置いた同じチャンネル材からの部材と結んでボルト締め.というのが種明かし.

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上に向かってすぼまっているけれど,構造は同じ.

所によって,最初の写真でお目に掛けた門型だったり,あるいは元々は片持ち式だったのに反対側にコンクリート柱を建てて門型にした…あるいは老朽化した側だけコンクリートに取り替えた?…例も多く見かける.
 しかし,進みつつある複線化によって,この架線柱の数は,どんどん減っている.観察するならお早めに.

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最初の架線柱にほど近い,車庫の脇に建っている架線柱.僕の目には,元は片持ち式だったのではないかと見えるのだが,さて.

今 回,僕が訪問したのは柏と春日部の間.この区間の電化完成は昭和5/1930年のこと.中川浩一さんがレイルに提供してくださった桜田機械製造所(東京京 橋区木挽町)の広告は,昭和4/1929年の帝國鐵道協会協会報に掲載されたものだったから,まさにセールス活動真っ盛りの頃である.
 架線柱に は,この他にもいろいろな工夫がなされている.僕が知っている中でユニークな構造の柱には,“とれいん”で紹介した叡山電鉄の“結構柱”がある.取材に際 して教えていただき,しばし架線柱の前で首をかしげたものである.“とれいん”には図面も掲載した記憶がある……平成9/1997年6月号だった.お持ち の方は,書棚から引っ張り出して,眺めていただきたい.“あっ”と思われること間違いないから.

ということで,今年もまた,森羅万象,いろんなことに好奇心旺盛でありたいと思っています.どうぞご支援くださいますよう.