今日の朝,JR東日本の大宮総合車両センターで,C61 20動態復元作業の模様が報道公開された.
この復元工事については今年3月1日のこのブログと,本誌の4月号でもお伝えしている.
今回の見せ場は,なんといっても修繕を終えたボイラーを主台枠に載せるシーン.
しかし,それだけではなく,各パーツの修復状況がどうなっているか,そちらにも大いに興味と関心があったので,新年号の締切間際だったにもかかわらず,いつもより少し早起きして朝一番に大宮へ出掛けてきた.
前回と同様,作業は車体C棟という建屋で行なわれているが,今回はD51の姿はなく,入り口のすぐそばに,C61のボイラーが前向きに置かれている.
すぐ左には車輪がきれいに並べられ,奥には錆止め塗装のキャブやテンダーが見える.
で,ここで最初の“おや?”.
この機関車,第2先輪が戦前のC59用に振り替えられていて,その出自を調べるのに手間をかけたのだが…….2軸とも綺麗なプレート輪心……どころか,一
体圧延車輪ではないか.動輪を通り越して従輪とテンダー車輪を確かめたら,全部が新品であった.実用的には新品のほうが安心できるのは間違いないところだ
ろう.最近の電車用そのままだと,穴がなくて恰好悪いよぉ,と思いつつ確認してみたら,先輪には二つの,従輪には三つの,そしてテンダー車輪には四つの穴
が,ちゃんとあけられている.ほっ.
で,動輪に戻って二番目の“おや?”
動輪のタイヤが新品になっているではないか.それほど減っていないように見えたものの,こちらもせっかくだからということだろう.そういえば,C57 180も,復元に際して動輪のタイヤは新品に交換したそうである.

きれいに並べられた車輪群.写真手前が従輪.動輪は第3,2,1の順.奥が先輪.第2動輪はクランクピンも新品とのこと.
※今回の画像はいつもより大きなサイズでアップロードしています.クリックしたあと,驚かれませんよう.
キャ
ブやテンダーの外板は,そのほとんどが新製状態になるのかと思っていたのだけれど,実際には大部分がオリジナルのように見える.ただ,キャブの床板は全面
更新され,特徴ある網目板から現代の縞鋼板に張り替えられていた.新品が入手できないのだから,やむを得ないのだけれど,ちょっと残念.
テンダーなどは底面に当て板が何ヵ所もあって,永年の保守の苦労が偲ばれる状態……と,横に黒光りする四角い箱が.重油タンクのようである.形状寸法から推して,D51などと同様,横からは見えない工夫が凝らされているようである.

テンダー横に置かれた重油タンク.容量はどのぐらいだろうか.聞き損ねてしまった.目立たない形状寸法に仕上げられているのが嬉しい.
そしてボイラー.ぐるっと一周してみてすぐ気づいたのは,少なくとも前の管板が真新しく見えること.そして,既にケーシングされているので直接見ることはできないが,一部の罐胴は新製したとのこと.規定の厚みに足りなかったのだろう.
そしてバックプレート.“おや?”と思ったら,焚き口戸の取り付け位置が随分と下に移動している.より安全な作業環境を確保することを優先したのだそうである.
そうならやむを得ないが,せめて,エンジンは格好だけでもキャブ下に置いてもらいたいものである.

火室側から見たボイラー.焚き口戸の取り付け位置が下に移動し,ストーカーのためのスペースはなくなっている.一部の罐胴は新造されたとのこと.
そして10時すぎ,ボイラーは,まず灰箱を取り付けるために少し持ち上げられ,その後さらに上へ.そして静々と横に移動して,10時30分,無事に主台枠上に載せられた.

主台枠上に載ったボイラー.これから各部品の組み付け,車入れなどと作業は進み,多分,2月ごろには火入れにまで達するのではないか……と,これは僕の予想だけれど.
今日の発表では,完成時期は,当初予定通り来年春とのこと.次はどのような段階で見せていただけるのか,皆さんとともに,大いに楽しみにしていたい.
なお,JR東日本高崎支社では,特別に“C61情報”というページを設け,折々の作業風景を公開している.
※
2013.02.23:このエントリをターゲットとしたスパムコメントが発生しています.その対応策のために,しばらくの間,既にいただいているコメント
が見えなくなっていることがあります.ご容赦いただければ幸いです.暫定的に,これまでのコメントを,本文スペースで読むことができるようにしておきま
す.
団長 2010年12月12日(日)03時09分 編集・削除
ついにボイラーが乗りましたね。今から来年の春が待ち遠しいです。ところでタイヤを新品に交換したそうですが、保存機を見たときでさえ第三動輪と従台車とのクリアランスが僅かしかなかったのに『組み上げたら曲がれませんでした』なんてことは無いでしょうね?心配です。
まえさと 2010年12月12日(日)09時27分 編集・削除
団長さん,コメントをありがとうございます.
]第三動輪と従台車とのクリアランスが僅かしかなかったのに『組み上げたら曲がれませんでした』なんてことは
あはは…失礼しました.私が作る模型ではないのですから,多分,いや,ぜったいに,大丈夫でしょう.タイヤの寸法がオリジナルと違っていて,動輪直径が1,850ミリ,なんてことになってたら,そういうこともあり得ましょう…ないです.きっと.
待ち遠しいですね.次の途中経過レポートも,できるだけ早くお届けしたいです.
まえさと
がんばれC6120くん! 2010年12月12日(日)09時53分 編集・削除
復 元作業の近況報告を興味津々で拝見いたしました。一番気になっていたメカニカルストーカ。焚口戸の写真レポにもありましたが撤去されたようですね。扱い (操作・メンテ)が大変な代物との事ですが、SL技術の伝承という意味で、復元して欲しかったです。※でも、復元お金かかりますよね。あっても現代の機関 士さん達に負荷をかけそうだし・・・長距離運用でもないので。一ファンの我が儘です。
団長 2010年12月12日(日)14時30分 編集・削除
大丈夫だとは思うのですが、何しろC61が製造された当時組んでみたら動輪と従台車があたってしまいあわてて従台車を削ったと聞いているもので・・・
運転線区も軸重よりもカーブが問題になりそうな気がします
まえさと 2010年12月12日(日)18時11分 編集・削除
がんばれC6120くん!さん,コメントありがとうございます.
せ めて中身をオーバーホールして静態のまま載せてくれればいいんですけれど.掲載できなかった主台枠後部の写真には,エンジンを載せる台が残されているのが 見えますし,テンダー側のスクリューのための穴も塞がれていませんので,きっと[機関車上の静態保存]が実現するのだと信じていたいです.
まえさと
ゆうや 2011年01月07日(金)22時00分 編集・削除
どんな姿で出場するか楽しみですね
まえさと 2011年01月08日(土)08時33分 編集・削除
ゆうやさん,コメントをありがとうございます.
そうですね.春に完成予定とのことですから,もう,設計図は全部出来上がっていると思います.
[現役時代!]といっても,昭和20~30年代の仙台での姿にするのか,40年代の青森時代になるのか.それとも保存されていた姿を忠実に修復するのか…….
もうちょっとの間,想像や妄想(!)を楽しみたいと思います.
JR東日本からの,また,本誌での発表をお楽しみにどうぞ!
まえさと