慌ただしく過ぎ去った僕の2023年だったが,来れる新しい年が平穏であって欲しいと願いつつ,恒例のデータ整理をしながら迎えた2024年の元旦であった.
どういう風の吹き回しか,45年来初の白味噌の雑煮を味わい,親しい友からの年賀状を眺め,さて.
今年の初詣はどこへ行こうか…ちょっとだけ悩んで決めた先から池袋まで戻ってきたら,東武東上線が“地震検知で運転見合わせ中”とある.山手線も西武線も,何事もなく動いているし,案内放送もない.家人とともに首をかしげながら帰宅してTVのスイッチを入れて……“令和6年能登半島地震”だった.
とれいん新年号のため何年ぶりかの北陸訪問を果たしたことは既に記した.2日は,これも恒例の,うちのチビがやってくる日.久し振りの,他愛もない会話に花を咲かせて夕刻,送り出してTVのスイッチを入れたら……羽田空港での航空機衝突事故だった.
なんという波瀾の幕開け.犠牲となられた方々にお悔やみを申し上げるとともに,被災されたみなさまに,心からお見舞い申し上げます.そして救援活動に従事しておられる大勢の方々には,ぜひ,無事でありますよう,お祈りしています.
さて1日の午後.行こうと決めた先は豪徳寺.明治神宮あたりを皮切りとして,都内山手線沿線を中心に続けてきた初詣の巡礼.ブログで報告したのは2012年が最初だっただろうか.山手線はほぼ一周したつもりになっていたけれど,世田谷方面はまだ,だったことに気づいての豪徳寺だった.練馬の我が家からは池袋から新宿経由小田急線というのが順当なルートなのだろうが,やってきた電車が地下鉄直通だったものだから,そのまま新宿三丁目へ行って都営新宿線経由京王線で下高井戸へ向かった……どうも乗り継ぎのタイミングがよろしくなく,思いの外時間を要してしまったのは,ちょっと反省.運賃は最初からそのつもりだったけれど.
でも,下高井戸で待っていた東急世田谷線電車は“ネコ”.
300系第8編成がそれ.でも,スナップ写真を写しているうちに発車して行ってしまった.それにしても,京王電車から降りてすぐ横に世田谷線電車が見えているのにぐるっと階段を登り降りする必要があるのは,いささか面倒なことではある.
帰宅後に調べてみたら,2017年から,途中で小修正は施されているものの,このラッピングで走っているそうで,もちろん豪徳寺の“招き猫”にちなんでいるわけだが,最初は玉電開業110周年記念だったのだそうだ.
続いてやってきたのは青い(クラシックブルー)の303(第3)編成.そして豪徳寺いや,山下ですれ違ったのはピンク(チェリーレッド)の305編成だった.
全部で10編成だったと思うのだけれど,オリジナル塗装はいないのか?第1編成が玉電塗装風で,一時は“サザエさん”ラッピングだったのは,覚えているのだが.
小さな起伏が連続する世田谷線.向こうからやってきたピンク(チェリーレッド)の305を正面から見る.幅の広い線路に載った幅の狭い車体の取り合わせ,そして床下を通して向うがすっかり見通せるというのが,ちょっと新鮮な風景だった.
本殿の扉脇に貼り札があったのでなんだろうと読んでみたら,普段は閉じられている扉に引き違いの小窓が切られていて,そこから賽銭をいれるのだそうだ.なんだか“猫扉”のようで,可笑しかった.
どういう風の吹き回しか,45年来初の白味噌の雑煮を味わい,親しい友からの年賀状を眺め,さて.
今年の初詣はどこへ行こうか…ちょっとだけ悩んで決めた先から池袋まで戻ってきたら,東武東上線が“地震検知で運転見合わせ中”とある.山手線も西武線も,何事もなく動いているし,案内放送もない.家人とともに首をかしげながら帰宅してTVのスイッチを入れて……“令和6年能登半島地震”だった.
とれいん新年号のため何年ぶりかの北陸訪問を果たしたことは既に記した.2日は,これも恒例の,うちのチビがやってくる日.久し振りの,他愛もない会話に花を咲かせて夕刻,送り出してTVのスイッチを入れたら……羽田空港での航空機衝突事故だった.
なんという波瀾の幕開け.犠牲となられた方々にお悔やみを申し上げるとともに,被災されたみなさまに,心からお見舞い申し上げます.そして救援活動に従事しておられる大勢の方々には,ぜひ,無事でありますよう,お祈りしています.
さて1日の午後.行こうと決めた先は豪徳寺.明治神宮あたりを皮切りとして,都内山手線沿線を中心に続けてきた初詣の巡礼.ブログで報告したのは2012年が最初だっただろうか.山手線はほぼ一周したつもりになっていたけれど,世田谷方面はまだ,だったことに気づいての豪徳寺だった.練馬の我が家からは池袋から新宿経由小田急線というのが順当なルートなのだろうが,やってきた電車が地下鉄直通だったものだから,そのまま新宿三丁目へ行って都営新宿線経由京王線で下高井戸へ向かった……どうも乗り継ぎのタイミングがよろしくなく,思いの外時間を要してしまったのは,ちょっと反省.運賃は最初からそのつもりだったけれど.
でも,下高井戸で待っていた東急世田谷線電車は“ネコ”.
300系第8編成がそれ.でも,スナップ写真を写しているうちに発車して行ってしまった.それにしても,京王電車から降りてすぐ横に世田谷線電車が見えているのにぐるっと階段を登り降りする必要があるのは,いささか面倒なことではある.
帰宅後に調べてみたら,2017年から,途中で小修正は施されているものの,このラッピングで走っているそうで,もちろん豪徳寺の“招き猫”にちなんでいるわけだが,最初は玉電開業110周年記念だったのだそうだ.
続いてやってきたのは青い(クラシックブルー)の303(第3)編成.そして豪徳寺いや,山下ですれ違ったのはピンク(チェリーレッド)の305編成だった.
全部で10編成だったと思うのだけれど,オリジナル塗装はいないのか?第1編成が玉電塗装風で,一時は“サザエさん”ラッピングだったのは,覚えているのだが.
小さな起伏が連続する世田谷線.向こうからやってきたピンク(チェリーレッド)の305を正面から見る.幅の広い線路に載った幅の狭い車体の取り合わせ,そして床下を通して向うがすっかり見通せるというのが,ちょっと新鮮な風景だった.
本殿の扉脇に貼り札があったのでなんだろうと読んでみたら,普段は閉じられている扉に引き違いの小窓が切られていて,そこから賽銭をいれるのだそうだ.なんだか“猫扉”のようで,可笑しかった.
招福殿前のネコたち.このお堂の周囲,全てネコである.
往路は小田急の豪徳寺駅に惹かれて降りてしまったけれど,実は最寄り駅は宮の坂.帰りはここからひと駅だけ乗って山下へ戻ろう.
その宮の坂には,“世田谷線色”の電車が待っていた.いや,300形ではなく車体には601とある.江ノ電へ行って里帰りしてきた,もとのデハ87である.
スタイルは江ノ電601のままで,塗装は世田谷線という取り合わせで,ここにやってきて,40年近い歳月が流れた.大切にされているようで,なにより.
その山下……55年前には玉電山下だったような……でのすれ違い.左は乗ってきたラストナンバー310で“SDGs”ラッピング.右は往路でもすれ違った305.
これだけの電車に出会ったのに,オリジナル塗装は来ない.やっぱりいないのだ.
そして上がった小田急豪徳寺駅ホーム.冬の低い陽射しの中を,8000形8051+8252の編成が新宿目指して駆け抜けて行った.さて,この編成は西武にやってくるのだろうか.
そして恒例(?),正月の酒.
去年の僕にゆかりの地の酒を……と思って,さんざん迷いつつ探したのが,この3本.どうしても1本に絞ることはできなかった.左から富山の“立山”,福井の“一本義”,そして栃木の“蔵の街 純米吟醸”である.
選んだ基準は,ここをいつも読んでくださっている方なら,申し上げるまでもないことだろう.“立山”は富山地方鉄道は走らない砺波の産だし,“一本義”も勝山,“蔵の街 純米吟醸”に至っては栃木だから,直接には今回の“路面電車特集”に出てくる沿線ではない.でも,城端線はLRTでないものの,新たな包括的地域鉄道への動きが具体化しつつあるし,勝山は福井鉄道が乗り入れている,えちぜん鉄道の終点である.そして栃木は,宇都宮ライトレールとともに昨年何度も通った東武鉄道C11や“SPACIA X”を含めての代表銘柄ということで.
最後に.
白味噌仕立ての雑煮.東京に住みはじめてから50年,久し振りの…では,実は違う.大阪での我が家の雑煮は,すまし汁だった.
それは長年の“謎”だったのだけれど,母親が亡くなった折り,姉と子供のころの思い出を語り合っていて発覚したことのひとつが“実は母親は味噌がきらいだった”.
でも,幼い頃に買物のお供の途上,味噌屋で“あれとこれと……”などと,並べられた樽から味噌を合わせてもらっている姿が,鮮明な記憶としてあるのだ.不思議.
それも姉が種明かししてくれた.“いやね,みんなには味噌を使った料理を出してたけど,私自身は食べてへんのよ”.
60年以上を経て初めて明かされた,我が家の秘密であった.2年前のことである.
ことしも,本当に,みなさんにお世話になります.どうぞよろしくお願いします.どうかこれ以上は平穏無事でありますように……と,書こうとしていたのに,きのうは,かつて小倉で泊りの時に何度か立ち寄ったことのある魚町の商店街が…….ほんとうに,これっきりにしてもらいたいと,切に願う.