令和6/2024年も早や6月半ばに差し掛かった.
 僕が主に担当しているレイルも,4月にNo.130を上梓して,もう次のNo.131を印刷に入れる段階に差し掛かっている.いつも“前へ前へ!!”と進んで行くのはよいのだが,ともすれば,つい先日のできごとが,思わず遠い過去のことのように置き去りにされてしまうことがある.心して日々を過ごさねばと自戒する,今日この頃である.

さてその4月のレイルNo.130.ヒギンズさんのモノクロ写真は留まるところを知らず,中部九州の路面電車各線と熊本電鉄,三井三池鉄道で巻頭を飾っていただいた.解説はNo.128の福岡に続いて吉富 実さんと特定非営利活動法人 福岡鉄道史料保存会のみなさんが主体となって執筆してくださった.
 大分の別大線は早くに廃止となってしまい,三井三池鉄道も先年,惜しまれつつ姿を消した.しかしそのほかの路線はいずれも盛業中.
 今昔の比較に現地へ赴かなければ……と思っていたら,地元出身の熱心な読者から,早々にお便りをいただいた.それはもしかしたら,次のNo.132あたりで披露できるかもしれない.どうぞお楽しみに.
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いずれも目を見張る写真ばかりだが,なんといっても本文と表紙の両方に使わせていただいた熊本市電川尻線のこの情景は,誰の目にも“すばらしい”と映ることだろう.泰平橋 昭和32/1957年5月3日 写真:J.W.HIGGINS

それにつけても,うっかり筆が滑って“川尻線の終点”などと記してしまったのは痛恨の極み.すぐさま,ご指摘があったのはいうまでもないこと.

今回登場の各路線のうち,数次に亘って訪問したことがあるのは長崎だけ,それももう,うん十年も前のこと……というのは,言い訳にもなるまい.

二番目のテーマは,早川昭文さんの“お城と鉄道”.
 大阪市内に生まれ育った身としては,なんといってもお城といえば大阪城.それに加えて,近鉄の肝入りで“建築”された伏見桃山城も,身近といえばいえる存在だった.
 電車や汽車と絡めて撮れるのは大阪城.残念ながら大阪市電との組み合わせは見ただけで撮影することは叶わなかったが,地下から飛び出してくる京阪電車と天主の組み合わせや,片町線の寝屋川橋梁を渡るC11牽引貨物列車と天主の組み合わせは,何度か挑戦した覚えがある.とはいえ,京阪電車は望遠レンズが必要であり,片町線は道路が低くてお城がなかなか見えない…….当時は思うような写真をモノすることはできなかった.
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大阪城は早川さんご自身の撮影による市電との組み合わせを披露してくださった.昭和43/1968年4月30日 写真:早川昭文

京阪電車は福田静二さんが比較的近年の写真を見せてくださった.
 そのほか,全国各地の“お城と鉄道”をテーマにした写真が,早川さんのお仲間から寄せられ,“アルバム”は,より一層賑やかになった.早川さんの人望がなせる技だろう.
僕自身も,福井富山で“手前味噌”している.折しもこの企画の進行中に,とれいん2024年1月号“路面電車特集”の取材のため北陸に出掛けていたから,早川さんに“こんなのもあります”と“売り込んで”みたのだった.
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お壕端から回り込んできた“岩瀬浜”行き.環状線ならではの行き先設定である.国際会議場前 令和5/2023年9月27日 写真:前里 孝

続いては“暖房車 補遺”.“よりによって夏の盛りに刊行しなくても”と各方面から冷やかされた,暖房車特集レイルNo.127だったが,お蔭様で思いの外のご評価をいただいた.見てくださった方からの反応も,レイルにしては数多くあり,それらを紹介しなくちゃと思っていたら……高崎の原 訓久さんからの詳細資料提供もあり,“補遺”とはいえない大規模な稿に仕上がった次第.
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ヌ103 五稜郭 昭和31/1956年9月10日 写真:佐竹保雄

暖房車ではもうひとつ.北海道に配置されていた2軸暖房車ヌ100について,藤田吾郎さんなどのご努力によって,その使い勝手などが明らかにされた.なにしろ電気車研究会から発行されていた国鉄車両配置表にも,他の暖房車は載っているのにヌ100は除外されていて,昭和35/1960年4月1日版では“ヌ100(14両)は非運転用のため略”と記されてしまったいる…….
 しかし依然として北海道で実用されている姿は,見いだせないでいる.どなたか,ご存じの方があれば,ぜひともお知らせいただけないだろうか.

というところで,レイルNo.131は7月20日ごろ発売の予定である.さすがに今度のメインテーマは暖房車ではない.