前回,レイルNo.130を紹介した6月13日のここの冒頭には
“令和6/2024年も早や6月半ばに差し掛かった.”と記した.
時間が経つのは早いもので,もう1年の3/4が過ぎ去ろうとしている.いや,レイルが3ヵ月ごとの発刊だから,当たり前のことなのだけれど.
ちなみにレイルは書籍の扱いであり,“季刊誌”ではない.シリーズ書籍としての番号を振っているだけであり,それは文庫本や新書で“○○新書 第△巻”などと通し番号が振られているのと同じである.
ちょっと違うのは,新書や文庫では,1冊ごとにひとつのテーマで纏められているのに対して,レイルは,No.116のN電やNo.110の20系寝台客車,あるいは湯口 徹さんの“私鉄紀行”のような単独テーマで刊行することもあれば,幾つかの話題を乗り合わせでご紹介することもあるあたり.
けれども,話題の組み合わせにはいつも智恵を絞っているつもり.なんらの関係もない組み合わせのこともあるけれど,なんらかの関連性があっての組み合わせということも,少なくない.それらは,ある程度は僕が企図することもあれば,自然に(?)吸い寄せられるように組み上がってくることも,ある.
今回のコンビネーションは,そのふたつの,中間かもしれない.
No.126の刊行後すぐに,西村雅幸さんと八木邦英さんから後日譚が寄せられた.“いつ……”と思っていたら,高見彰彦さんから福井市の鉄道を頂戴した.
ならば……と考えたのが,八木さんと8620形機関車との触れ合いの思い出を語っていただこうと考えた.そして新澤仁志さんによる8620形の形態観察だった.それに加えて,レイル編集部秘蔵のメーカー写真一挙公開と,8620形機関車特集が組み上がった次第.
さらに加えて,そもそもの越美北線の後日譚と,高見さんの稿を組み合わせたら,“福井県の鉄道特集”ともなった.テーマがオーバーラップした,複合特集というのは,これまで,あまり例がなかったのではないかと,思う.
八木さんの作品中での極め付けは,越美北線での御召牽引の翌年に実現した,長崎県国体に際しての8620牽引御召列車.C11も加わって西九州各線で蒸機御召が乱舞したが,連日の快晴に恵まれて,昭和天皇のお出まし時の好天,俗にいう“晴れ男”が実証された1週間であった.早岐機関区 昭和44/1969年10月29日 写真:八木邦英
この時の模様は鉄道趣味月刊誌各誌で華々しくレポートされた.けれども趣味団体にも属さず,趣味人との個人的なおつきあいもなかった,当時の大阪在住の少年は情報入手の手段も知らなかった.いや,たとえ知っていたとしても,時間的資金的な制約から,実際にはただ指を咥えて西の空を仰ぎ見るしかなかったであろう.
新澤さんの形態分類は,モデラーらしい視点で纏められており,いつもと変らない“現地主義”に基づく,間違いのないレポートに仕上がっている.
最大の驚きは,テーマのご相談をした数日後には第一稿を見せてくださったこと.日常的な趣味活動の積み重ねがあってこその“スピード”といえよう.
恥ずかしながら,この稿で初めて深く認識した事実に,“曲げられた主台枠”というのがある.8620形機関車において,曲線通過をスムーズにするため先輪と第一動輪は島式先台車と呼ばれる,特殊な構造が採用されているのだが,台枠が曲げられ(絞られ)といるなど,思いもよらぬことであった.
新澤さんですら気づかれたのは近年のことのようだが,認識後はすぐに現車観察に出向かれている.これは“保存機の時代”となった現代ならではのことかもしれない.現役の,生きた機関車の主台枠をのぞき込むことは,たぶん,至難の業だっただろうから.
レイル誌面よりもトリミングし,さらに“絞り”の具合が判るように丸印で囲んでみた.機関車は北海道音更町で保存されている48624.写真:新澤仁志
ブレーキシリンダーに刻まれたインチ表記も興味ぶかく,僕も,図らずも今年の春に別の車輛で実見することになるのだけれど,それはまた別の機会に…….
越美北線の8620形写真では,西村雅幸さんが見せてくださった.越前田野と越前大野の間の真名川橋梁がとても新鮮だった.
52年前に8620形を追って訪問した時にはもちろん,昨年2月の再訪時にも気づかなかった情景である.
越前田野駅からは約1キロぐらいの距離とはいえ,単機回送区間ということもあって,全くノーマークだった好ポジション.この写真のように山々が美しく見えるかどうかは,運次第だが.越前田野-越前大野 昭和48/1973年3月15日 写真:西村雅幸
高見彰彦さんの“福井市の鉄道”では,主に福井鉄道と京福電鉄福井支社の古い情景が集められている.高見さんも“現地主義”の実行者であるから,単に古い写真を蒐集するのではなく,撮影場所の現状を熱心に探究されている.
また,国鉄……鉄道省の記録も充実していて,移転前の福井機関区の位置は,この稿によって僕の頭に認識させることができた.
新福井駅の踏切を渡る京福電鉄のテキ521.この機関車は,つい先日まで除雪など作業用に残されていたが,新除雪車輛の導入によって,残念ながら廃車となってしまった.昭和50/1975年5月24日 写真:豊永泰太郎
締めくくりはヒギンズさんの鹿児島市電と屋久島の森林鉄道.この項目だけが異質となったが,それもまた善き哉(!?).吉富 実さんとお仲間による解説によって,生き生きとしたグラフに仕上がった.今回はさらに,地元のベテランファンである水元景文さんが解説に加わってくださったことによって,一段と臨場感溢れるセクションとなった.
屋久島は,貴重な現役森林鉄道時代の記録.裏表紙にも使わせていただいた“乗り下げ”が圧巻.
伐り出した木を山からおろす時,機関車牽引の運材列車ではなく,台車ごとに人が乗ってコントロールするのが“乗り下げ”.屋久島でこの運材風景を記録した趣味人は多くない. 昭和39/1964年3月4日 写真:J.W.HIGGINS
ということで,駆け足でNo.131をご紹介した.10月には次のNo.132(とれいん10月号に予告を掲載してます)が発刊されるから,書店の店頭では残り少なくなっているはずである.お求めはお早めに!
“令和6/2024年も早や6月半ばに差し掛かった.”と記した.
時間が経つのは早いもので,もう1年の3/4が過ぎ去ろうとしている.いや,レイルが3ヵ月ごとの発刊だから,当たり前のことなのだけれど.
ちなみにレイルは書籍の扱いであり,“季刊誌”ではない.シリーズ書籍としての番号を振っているだけであり,それは文庫本や新書で“○○新書 第△巻”などと通し番号が振られているのと同じである.
ちょっと違うのは,新書や文庫では,1冊ごとにひとつのテーマで纏められているのに対して,レイルは,No.116のN電やNo.110の20系寝台客車,あるいは湯口 徹さんの“私鉄紀行”のような単独テーマで刊行することもあれば,幾つかの話題を乗り合わせでご紹介することもあるあたり.
けれども,話題の組み合わせにはいつも智恵を絞っているつもり.なんらの関係もない組み合わせのこともあるけれど,なんらかの関連性があっての組み合わせということも,少なくない.それらは,ある程度は僕が企図することもあれば,自然に(?)吸い寄せられるように組み上がってくることも,ある.
今回のコンビネーションは,そのふたつの,中間かもしれない.
No.126の刊行後すぐに,西村雅幸さんと八木邦英さんから後日譚が寄せられた.“いつ……”と思っていたら,高見彰彦さんから福井市の鉄道を頂戴した.
ならば……と考えたのが,八木さんと8620形機関車との触れ合いの思い出を語っていただこうと考えた.そして新澤仁志さんによる8620形の形態観察だった.それに加えて,レイル編集部秘蔵のメーカー写真一挙公開と,8620形機関車特集が組み上がった次第.
さらに加えて,そもそもの越美北線の後日譚と,高見さんの稿を組み合わせたら,“福井県の鉄道特集”ともなった.テーマがオーバーラップした,複合特集というのは,これまで,あまり例がなかったのではないかと,思う.
八木さんの作品中での極め付けは,越美北線での御召牽引の翌年に実現した,長崎県国体に際しての8620牽引御召列車.C11も加わって西九州各線で蒸機御召が乱舞したが,連日の快晴に恵まれて,昭和天皇のお出まし時の好天,俗にいう“晴れ男”が実証された1週間であった.早岐機関区 昭和44/1969年10月29日 写真:八木邦英
この時の模様は鉄道趣味月刊誌各誌で華々しくレポートされた.けれども趣味団体にも属さず,趣味人との個人的なおつきあいもなかった,当時の大阪在住の少年は情報入手の手段も知らなかった.いや,たとえ知っていたとしても,時間的資金的な制約から,実際にはただ指を咥えて西の空を仰ぎ見るしかなかったであろう.
新澤さんの形態分類は,モデラーらしい視点で纏められており,いつもと変らない“現地主義”に基づく,間違いのないレポートに仕上がっている.
最大の驚きは,テーマのご相談をした数日後には第一稿を見せてくださったこと.日常的な趣味活動の積み重ねがあってこその“スピード”といえよう.
恥ずかしながら,この稿で初めて深く認識した事実に,“曲げられた主台枠”というのがある.8620形機関車において,曲線通過をスムーズにするため先輪と第一動輪は島式先台車と呼ばれる,特殊な構造が採用されているのだが,台枠が曲げられ(絞られ)といるなど,思いもよらぬことであった.
新澤さんですら気づかれたのは近年のことのようだが,認識後はすぐに現車観察に出向かれている.これは“保存機の時代”となった現代ならではのことかもしれない.現役の,生きた機関車の主台枠をのぞき込むことは,たぶん,至難の業だっただろうから.
レイル誌面よりもトリミングし,さらに“絞り”の具合が判るように丸印で囲んでみた.機関車は北海道音更町で保存されている48624.写真:新澤仁志
ブレーキシリンダーに刻まれたインチ表記も興味ぶかく,僕も,図らずも今年の春に別の車輛で実見することになるのだけれど,それはまた別の機会に…….
越美北線の8620形写真では,西村雅幸さんが見せてくださった.越前田野と越前大野の間の真名川橋梁がとても新鮮だった.
52年前に8620形を追って訪問した時にはもちろん,昨年2月の再訪時にも気づかなかった情景である.
越前田野駅からは約1キロぐらいの距離とはいえ,単機回送区間ということもあって,全くノーマークだった好ポジション.この写真のように山々が美しく見えるかどうかは,運次第だが.越前田野-越前大野 昭和48/1973年3月15日 写真:西村雅幸
高見彰彦さんの“福井市の鉄道”では,主に福井鉄道と京福電鉄福井支社の古い情景が集められている.高見さんも“現地主義”の実行者であるから,単に古い写真を蒐集するのではなく,撮影場所の現状を熱心に探究されている.
また,国鉄……鉄道省の記録も充実していて,移転前の福井機関区の位置は,この稿によって僕の頭に認識させることができた.
新福井駅の踏切を渡る京福電鉄のテキ521.この機関車は,つい先日まで除雪など作業用に残されていたが,新除雪車輛の導入によって,残念ながら廃車となってしまった.昭和50/1975年5月24日 写真:豊永泰太郎
締めくくりはヒギンズさんの鹿児島市電と屋久島の森林鉄道.この項目だけが異質となったが,それもまた善き哉(!?).吉富 実さんとお仲間による解説によって,生き生きとしたグラフに仕上がった.今回はさらに,地元のベテランファンである水元景文さんが解説に加わってくださったことによって,一段と臨場感溢れるセクションとなった.
屋久島は,貴重な現役森林鉄道時代の記録.裏表紙にも使わせていただいた“乗り下げ”が圧巻.
伐り出した木を山からおろす時,機関車牽引の運材列車ではなく,台車ごとに人が乗ってコントロールするのが“乗り下げ”.屋久島でこの運材風景を記録した趣味人は多くない. 昭和39/1964年3月4日 写真:J.W.HIGGINS
ということで,駆け足でNo.131をご紹介した.10月には次のNo.132(とれいん10月号に予告を掲載してます)が発刊されるから,書店の店頭では残り少なくなっているはずである.お求めはお早めに!