今週のはじめ,10月15日の午前と16日の午後,東京の飯田橋に近い“大曲”の一角に,時ならぬ人だかりができた.
皆さんのお目当ては,道路橋の掛け替え工事中に“発掘”された線路跡の観察.9月27日に東京都から“神田川整備工事(その43)その2において発見された都電の遺構を公開します”という発表があったからである.
僕も,なんとか時間のやりくりをつけて,初日に参加してきた.
頭上を首都高速道路が走り,その下を神田川が流れる.ここが“大曲”.高架道路の向うには,かつて同潤会江戸川アパートや観世会館があり,そして都電……東京市電が走っていた.その高架道路の下の橋を渡って画面手前にも線路があり,その線路跡が,今回発掘されたものである.
その橋の名前は“白鳥橋(しらとりばし)”.この神田川には,江戸川橋から飯田橋に掛けて,何本もの橋があり,上流から華水橋,掃部橋,古川橋,石切橋,西江戸川橋,小桜橋,中ノ橋,新白鳥橋,白鳥橋,新隆慶橋,隆慶橋と続き,飯田橋に至る.
実はこのあたり,小桜橋の真向かいに,出版物の流通を扱う“取次”の大手であるトーハンという会社があって,今の仕事をはじめて以来,東京出版販売という名前の頃から,ほとんど毎月,いや,かつては毎週のように通い詰めで,それは半世紀を経た今も続いているから,僕にとっては,大いにお馴染みの地域なのである.
そればかりではない,石切橋の少し下流左岸には太洋社があって,そこからほんの少し北へ上がれば大阪屋東京支店があった.大阪屋は,栗田出版販売という会社と合併後に,楽天のグループ入りして楽天ブックスネットワークという名前で存続している.しかし太洋社は出版物の流通業界再編によって姿を消してしまった.
あ,忘れてはいけないこの地域の会社に,つい最近“トッパン”と名前をかえた凸版印刷がある.中ノ橋の北詰にあって,今は本社事務所やトッパンホール,印刷博物館などが聳え立つ.
閑話休題
線路は神田川左岸から白鳥橋を渡って右にカーブ,目白通りを早稲田車庫に向かっていた.これだけの急曲線だから,もちろん全て溝付きレール.白鳥橋を渡らない線路もあって,分岐があった.
白鳥橋の南詰から見た線路跡.画面奥の坂道は安藤坂.こちらに向けて複線間隔が拡がっているのが解る.
この白鳥橋付近では,東京市電の歴史に残る大事故が発生している.
時は昭和8/1933年7月3日の朝,ブレーキが故障したため回送扱いとなった安藤坂上からの電車が暴走し,早稲田から錦糸堀に向かう電車の側面に激突し,ブレーキが故障していた電車の監督運転士が即死,錦糸堀行き電車の乗客約30名が重軽傷を負ったというものである.
その安藤坂.画面手前が大曲,坂を登り切ったところが伝通院前.これだけの坂道をブレーキなしで転がりだしたら,止まるわけもなかろう.
それにしても東京の市電は,今思うと“よくもまぁ”という急勾配が多かったように思う.例えば九段,例えば泉岳寺から伊皿子を経て魚藍坂……カツミ模型を思い出す方も多いだろう!……とか.僕が知らないだけで,ほかにもたくさんあったはず.そして今でも王子駅前から飛鳥山へ,そして大塚駅前から向原への上り坂などが……
さてこの大曲を走っていた電車はどこからどこへ向かっていたのか……東京の方はすぐに“あそこは○系統が……”とおっしゃるのだが,“余所者”の僕にはちんぷんかんぷん.
にわか仕込みで申し上げるならば,白鳥橋を渡っていたのが早稲田車庫から本郷三丁目や上野広小路を経て厩橋に至る39系統,神田川沿いに走っていたのが高田馬場から早稲田経由飯田橋,九段下,小川町から大手町,呉服橋を経て茅場町に達していた15系統なのだそうだ.停留所名は,僕にも馴染みのある名前を列挙しただけなので,必ずしも正確ではない.
ちなみに39系統と15系統は,ともに昭和43/1968年9月28日の廃止である.
この大曲一帯には,古くから牛込という地名がある.牛込の都電といえば,2006年に刊行したレイルのNo.55(在庫僅少)に河村かずふささんが記してくださった“牛込の電車”を思い出す.なにしろ地元,牛込の生めれと育ちであるものだから,昭和10年代から実に詳しく思い出を語ってくださった.その稿の中に1枚,このブログの2枚目の写真とほぼ同じ角度……,まさに大曲の分岐を安藤坂に向かう39系統の3000形3231を披露してくださっている.
さて現代の白鳥橋.
実に綺麗な石畳である,
線路敷断面.レールの底面は,見えていない.
さて,橋と都電の線路跡といえば,4年前のお茶の水橋での発掘を思い出す.都電の廃止時には,レールを撤去するのが原則ではあるものの,そのまま存置して上からアスファルトを被せただけ,という例も数多い.また,橋梁ではレールを撤去してしまうと,構造が大きく変ってしまい,工事が大掛かりになるから……という理由もあるようだ.
ちなみに白鳥橋は,いつもの歴史的鋼橋集覧によれば,完成は昭和11/1936年,橋長は29.15m,鈑桁で,製作所は不明とされている.
今回の工事は,神田川の整備ではあるのだが,高速道路の高架橋の改修も関連しているというのを,どこかで見た気がするのだが,ちょっと発見することができなかった.
ちなみに白鳥橋は完全に新しく掛け替えられる.完成はおよそ3年後の予定とのこと.
皆さんのお目当ては,道路橋の掛け替え工事中に“発掘”された線路跡の観察.9月27日に東京都から“神田川整備工事(その43)その2において発見された都電の遺構を公開します”という発表があったからである.
僕も,なんとか時間のやりくりをつけて,初日に参加してきた.
頭上を首都高速道路が走り,その下を神田川が流れる.ここが“大曲”.高架道路の向うには,かつて同潤会江戸川アパートや観世会館があり,そして都電……東京市電が走っていた.その高架道路の下の橋を渡って画面手前にも線路があり,その線路跡が,今回発掘されたものである.
その橋の名前は“白鳥橋(しらとりばし)”.この神田川には,江戸川橋から飯田橋に掛けて,何本もの橋があり,上流から華水橋,掃部橋,古川橋,石切橋,西江戸川橋,小桜橋,中ノ橋,新白鳥橋,白鳥橋,新隆慶橋,隆慶橋と続き,飯田橋に至る.
実はこのあたり,小桜橋の真向かいに,出版物の流通を扱う“取次”の大手であるトーハンという会社があって,今の仕事をはじめて以来,東京出版販売という名前の頃から,ほとんど毎月,いや,かつては毎週のように通い詰めで,それは半世紀を経た今も続いているから,僕にとっては,大いにお馴染みの地域なのである.
そればかりではない,石切橋の少し下流左岸には太洋社があって,そこからほんの少し北へ上がれば大阪屋東京支店があった.大阪屋は,栗田出版販売という会社と合併後に,楽天のグループ入りして楽天ブックスネットワークという名前で存続している.しかし太洋社は出版物の流通業界再編によって姿を消してしまった.
あ,忘れてはいけないこの地域の会社に,つい最近“トッパン”と名前をかえた凸版印刷がある.中ノ橋の北詰にあって,今は本社事務所やトッパンホール,印刷博物館などが聳え立つ.
閑話休題
線路は神田川左岸から白鳥橋を渡って右にカーブ,目白通りを早稲田車庫に向かっていた.これだけの急曲線だから,もちろん全て溝付きレール.白鳥橋を渡らない線路もあって,分岐があった.
白鳥橋の南詰から見た線路跡.画面奥の坂道は安藤坂.こちらに向けて複線間隔が拡がっているのが解る.
この白鳥橋付近では,東京市電の歴史に残る大事故が発生している.
時は昭和8/1933年7月3日の朝,ブレーキが故障したため回送扱いとなった安藤坂上からの電車が暴走し,早稲田から錦糸堀に向かう電車の側面に激突し,ブレーキが故障していた電車の監督運転士が即死,錦糸堀行き電車の乗客約30名が重軽傷を負ったというものである.
その安藤坂.画面手前が大曲,坂を登り切ったところが伝通院前.これだけの坂道をブレーキなしで転がりだしたら,止まるわけもなかろう.
それにしても東京の市電は,今思うと“よくもまぁ”という急勾配が多かったように思う.例えば九段,例えば泉岳寺から伊皿子を経て魚藍坂……カツミ模型を思い出す方も多いだろう!……とか.僕が知らないだけで,ほかにもたくさんあったはず.そして今でも王子駅前から飛鳥山へ,そして大塚駅前から向原への上り坂などが……
さてこの大曲を走っていた電車はどこからどこへ向かっていたのか……東京の方はすぐに“あそこは○系統が……”とおっしゃるのだが,“余所者”の僕にはちんぷんかんぷん.
にわか仕込みで申し上げるならば,白鳥橋を渡っていたのが早稲田車庫から本郷三丁目や上野広小路を経て厩橋に至る39系統,神田川沿いに走っていたのが高田馬場から早稲田経由飯田橋,九段下,小川町から大手町,呉服橋を経て茅場町に達していた15系統なのだそうだ.停留所名は,僕にも馴染みのある名前を列挙しただけなので,必ずしも正確ではない.
ちなみに39系統と15系統は,ともに昭和43/1968年9月28日の廃止である.
この大曲一帯には,古くから牛込という地名がある.牛込の都電といえば,2006年に刊行したレイルのNo.55(在庫僅少)に河村かずふささんが記してくださった“牛込の電車”を思い出す.なにしろ地元,牛込の生めれと育ちであるものだから,昭和10年代から実に詳しく思い出を語ってくださった.その稿の中に1枚,このブログの2枚目の写真とほぼ同じ角度……,まさに大曲の分岐を安藤坂に向かう39系統の3000形3231を披露してくださっている.
さて現代の白鳥橋.
線路敷断面.レールの底面は,見えていない.
さて,橋と都電の線路跡といえば,4年前のお茶の水橋での発掘を思い出す.都電の廃止時には,レールを撤去するのが原則ではあるものの,そのまま存置して上からアスファルトを被せただけ,という例も数多い.また,橋梁ではレールを撤去してしまうと,構造が大きく変ってしまい,工事が大掛かりになるから……という理由もあるようだ.
ちなみに白鳥橋は,いつもの歴史的鋼橋集覧によれば,完成は昭和11/1936年,橋長は29.15m,鈑桁で,製作所は不明とされている.
今回の工事は,神田川の整備ではあるのだが,高速道路の高架橋の改修も関連しているというのを,どこかで見た気がするのだが,ちょっと発見することができなかった.
ちなみに白鳥橋は完全に新しく掛け替えられる.完成はおよそ3年後の予定とのこと.