上野駅.多くの関東地方の人々にとっては,さまざまな思いが交錯する駅の一つに違いなかろう.それは,例えば遠い故郷から東京へとたどり着いた最初の駅であるという感慨だったりするわけだが,日本では数少ない,行き止まり式のターミナル駅であるという構造も,印象を深めている要因となっているかもしれない.
そんな上野駅に関する写真や物語は,世の中に数多あり,レイルでも例えばNo.81では“上野駅発着の夜行客車列車と機関車”と題して東北,上越各方面の写真と列車運転,そして牽引機などをお目に掛けた.
それから12年を経ての上野駅特集.レイルNo.132 としての今回は新井由夫さんが幼少のころから撮り溜めた,上野駅の日常風景……客車特急“はつかり”に始まり,新幹線開業前を中心として,最後は“北斗星”で締めくくられる.
客車特急“はつかり”.牽引機はC62 7.砂撒管が1本だけボイラーケーシングの外側に配されている異端機である.新井さんが中学2年生の時の撮影.昭和35/1960年8月 写真:新井由夫
“はつかり”は高架ホームに出入りしていた.地平ホームの風情を味わうことができるのは,おもに東北本線の長距離列車……常磐線の列車も一部は地平ホームではあったが.
上野駅地平ホームで華やかなのは485系ボンネット特急列車がずらりと並ぶ光景だが,日常の列車として,急行列車を忘れることはできない.写真は仙台行き急行“第3まつしま”.昭和41/1966年8月29日 写真:新井由夫
上野駅でもうひとつ,趣味的に忘れられないのが推進運転.欧州大陸の頭端駅では列車の到着後すぐに入換機がやってきて引き上げ,牽引機はすぐそのあとを追ってゆく……という方式が多いけれど,上野駅では長らく,客車に簡易ブレーキ弁を取り付けての推進運転が行なわれてきた.
1403列車“第2ざおう・第2いなわしろ”と行き会う尾久客車区への推進運転列車“第2おいらせ”.昭和43/1968年8月18日 写真:新井由夫
この写真を見て,三浦 衛さんは記憶をたどり,鉄道ジャーナル誌の昭和43/1968年11月号に見開きで掲載されていた……と,知らせてくださった.新井さんは,このころ鉄道ジャーナル紙で活躍しておられたのである.
いや,上野駅に関するレポートを続けていると,レイルNo.132の再現になってしまうから,続きは現物をご覧いただくこととして,次の話題へ.
ヒギンズさんの東武鉄道である.カラー写真は数えきれないほどの作品がある東武鉄道だが,モノクロの数は多くない.だから“点描”としたのだが,少数精鋭というか,見事に昭和30年代の東武を活写している.
中でも大好きなのが,この業平橋の写真.電車は元のデハ10…5310系の2連.側扉間の川板荷小気味よく切り上げられた姿こそ,僕にとっては東武電車である.業平橋 昭和35/1960年12月26日 写真:J. W. HIGGINS
高架化工事がたけなわの業平橋……ではなく今ではとうきょうスカイツリー駅の,往年の姿を偲ぶことができる作品でもある.
しんがりは,高見彰彦さんの“昭和前半期の 青梅線古写真”.
上野と業平橋という東京東郊のターミナルに伍しての,東京西郊の鉄路の,買収前後の情景を現代に蘇らせてくださった.
お話は御嶽駅が中心だが,終点である氷川…今の奥多摩駅の本屋にまつわる謎解きも,興味深い.
お目に掛ける写真は昭和28/1953年初の氷川駅本屋.太平洋戦争中に,よくもまぁ,こんなしゃれた駅舎を建てたものである.写真:佐藤進一
そして梨森武志さんと堀田和弘さんから寄せられた,ヒギンズさんの長崎電軌と熊本市電,熊本電鉄に関する稿も,“補足”ではあるのだけれど,それだに終わらせるのはもったいない,という内容である.
と,最初から最後まで,息を抜くことができない,レイルNo.132のご紹介であった.
今や,次のNo.133の追い込み真っ盛り.これもまた,迫力満点の“自由が丘”である.乞うご期待!
そんな上野駅に関する写真や物語は,世の中に数多あり,レイルでも例えばNo.81では“上野駅発着の夜行客車列車と機関車”と題して東北,上越各方面の写真と列車運転,そして牽引機などをお目に掛けた.
それから12年を経ての上野駅特集.レイルNo.132 としての今回は新井由夫さんが幼少のころから撮り溜めた,上野駅の日常風景……客車特急“はつかり”に始まり,新幹線開業前を中心として,最後は“北斗星”で締めくくられる.
客車特急“はつかり”.牽引機はC62 7.砂撒管が1本だけボイラーケーシングの外側に配されている異端機である.新井さんが中学2年生の時の撮影.昭和35/1960年8月 写真:新井由夫
“はつかり”は高架ホームに出入りしていた.地平ホームの風情を味わうことができるのは,おもに東北本線の長距離列車……常磐線の列車も一部は地平ホームではあったが.
上野駅地平ホームで華やかなのは485系ボンネット特急列車がずらりと並ぶ光景だが,日常の列車として,急行列車を忘れることはできない.写真は仙台行き急行“第3まつしま”.昭和41/1966年8月29日 写真:新井由夫
上野駅でもうひとつ,趣味的に忘れられないのが推進運転.欧州大陸の頭端駅では列車の到着後すぐに入換機がやってきて引き上げ,牽引機はすぐそのあとを追ってゆく……という方式が多いけれど,上野駅では長らく,客車に簡易ブレーキ弁を取り付けての推進運転が行なわれてきた.
1403列車“第2ざおう・第2いなわしろ”と行き会う尾久客車区への推進運転列車“第2おいらせ”.昭和43/1968年8月18日 写真:新井由夫
この写真を見て,三浦 衛さんは記憶をたどり,鉄道ジャーナル誌の昭和43/1968年11月号に見開きで掲載されていた……と,知らせてくださった.新井さんは,このころ鉄道ジャーナル紙で活躍しておられたのである.
いや,上野駅に関するレポートを続けていると,レイルNo.132の再現になってしまうから,続きは現物をご覧いただくこととして,次の話題へ.
ヒギンズさんの東武鉄道である.カラー写真は数えきれないほどの作品がある東武鉄道だが,モノクロの数は多くない.だから“点描”としたのだが,少数精鋭というか,見事に昭和30年代の東武を活写している.
中でも大好きなのが,この業平橋の写真.電車は元のデハ10…5310系の2連.側扉間の川板荷小気味よく切り上げられた姿こそ,僕にとっては東武電車である.業平橋 昭和35/1960年12月26日 写真:J. W. HIGGINS
高架化工事がたけなわの業平橋……ではなく今ではとうきょうスカイツリー駅の,往年の姿を偲ぶことができる作品でもある.
しんがりは,高見彰彦さんの“昭和前半期の 青梅線古写真”.
上野と業平橋という東京東郊のターミナルに伍しての,東京西郊の鉄路の,買収前後の情景を現代に蘇らせてくださった.
お話は御嶽駅が中心だが,終点である氷川…今の奥多摩駅の本屋にまつわる謎解きも,興味深い.
お目に掛ける写真は昭和28/1953年初の氷川駅本屋.太平洋戦争中に,よくもまぁ,こんなしゃれた駅舎を建てたものである.写真:佐藤進一
そして梨森武志さんと堀田和弘さんから寄せられた,ヒギンズさんの長崎電軌と熊本市電,熊本電鉄に関する稿も,“補足”ではあるのだけれど,それだに終わらせるのはもったいない,という内容である.
と,最初から最後まで,息を抜くことができない,レイルNo.132のご紹介であった.
今や,次のNo.133の追い込み真っ盛り.これもまた,迫力満点の“自由が丘”である.乞うご期待!