とれいん2025年1月号は,もうご覧いただけただろうか.200頁を超す超特大号の,ほぼ全てが東急電車で埋め尽くされている.
僕は例によってMODELERS FILEを担当したのだけれど,そのテーマは,西武池袋線沿線住民にもなじみ深い5050系と,9000系に次ぐ古参の存在となった1000系の各譲渡先での活躍振り.
5050系は,実はこれまでも何度か扱おうと思ったことがある.でも,少なくとも母体となっている田園都市線の5000系を含めた全体としては,バリエーションが豊かでありすぎて,とても僕の手には負えない.では身近な存在である5050系に限れば……とは思うものの,断片的には観察しているものの,全体像はつかみきれない.
そんな中,解説をお引き受けくださったのが金子智治さん.鉄道友の会の会報である“RAIL FAN”誌で東急電車の年次報告を続けておられるオーソリティである.
そこに,本誌ならではの真横や屋根上写真,そして東急電鉄から提供していただいた資料などを組み合わせて,堂々32頁のMODELERS FILEに仕上がった次第.
もうひとつの1000系譲渡車は,実は東急電鉄に残る1000系のバリエーションを網羅して,各地に譲渡された車輛たちをトピックスとして採り上げる予定であった.
ところが取材を始めてみたら,譲渡車のバリエーションがとても興味深い展開であることを再認識してしまい.主客転倒してしまったのである.
そのようなことであるから,実際にはもっとも変化に富んでいるはずの伊賀鉄道へは取材にお邪魔することかなわずになってしまった.でも,いつも助けていただいている土屋隆司さんご撮影の写真と,かつて伊賀鉄道から提供してもらった写真で,なんとか,全ての編成を揃えることができた.
ということで,9月には手始めとして一畑電車を訪問することになった.
この鉄道はC57やD51を追って山陰に通い詰めていたころ,何度か訪問したことがある.今は弘南鉄道にいるED222の牽く貨物列車も,かろうじて走行風景を捉えることができた.まだ電化当初の古豪が主力だった時代である.山陰から蒸機の煙が消えてからは足が遠のいてしまったけれど,京王電鉄の5000系が譲渡されて間もない頃に再訪している.
でも,今回はそれ以来のことだから,ほぼ20年振りということになる.それにしても,273系取材でこの春に20年ぶりの再訪を果たした出雲に,同じ年の秋にまた旅することになろうとは,思いもよらぬことであった.
今は雲州平田という名前となった,かつての平田市の駅に到着したのは9月13日のお昼前.東急1000系や新造車7000系の投入の経緯など興味深いお話を聞かせていただいたあと,昼食をはさんで午後からの撮影取材が予定されていた.
雲州平田の車庫は,建物などは記憶のままだけれど,居並ぶ電車は全て,初めての出会いである.
検修庫の横の建屋にひっそりとたたずんでいたこの電車,デハニ53だけが,僕の知っている一畑電車だった.
なにより目新しいのがこの電車,7000系である.JR四国7000系電車の車体をベースにしてオリジナル仕様の機器類を組み合わせた,模型的にいえば“キットメーキング”.とても素敵なアレンジであると,現車を見て再認識したことである.来年にはマイナーチェンジしてデュアルシートを備えた8000系もデビューする.
雲州平田の車庫に欠かせない歴史的アクセサリー.蔦に覆われた煉瓦造りの給水塔である.当然のことながら電化前の施設だから,今は大井川鐵道の新金谷駅前にある“プラザロコ”に展示されている“いずも”も,この給水タンクから水を注がれていたわけである.感慨一入.
車庫での写真撮影は,線路を跨ぐ橋は数が少ないということで,屋根上はパンタグラフの点検台から撮影させていただくなど,みなさんの協力のおかげで無事に終了.その頃には,9月半ばの出雲だというのにジリジリと暑さを振りまいていた太陽も西に傾いていた.
そして翌日は沿線での撮影.ロケハンを兼ねて,松江しんじ湖温泉まで一往復……してる間にもうお昼.まだ降りたことのなかった一畑口でスイッチバックと廃線跡を,ちらっと観察.
草むした線路敷きと古色蒼然の古レール製架線柱.それに対してダンパ式の架線張力調整装置のモダンさが絶妙の取り合わせ.画面奥が一畑薬師である.
駆け足で川跡へ向かい.1000系の3並びを捕まえる.本文で何とか使いたかったのだけれど,限られたスペースでは,叶わなかった.
そして,ずっと気になっていた川跡駅ホーム上屋の古レールを観察.年を経るに従って塗装が厚くて銘の確認が難しくなっている昨今だが,これは鮮明である.でも,ボーフム(BOCHUM) 1880年??? 明治13年である.
一畑軽便鉄道の最初の開業が大正2/1913年のことだから,自前の古レールであるはずがない.ではどこから持ってきたのか? 最初の機関車はコッペル製だから,ドイツ製品を扱っていた商社が古レールも輸入して供給?うむ.
ほかにも1906年とも読める銘もあったが,これも正体不明…….
などと楽しく悩んでいるうちに,出雲市から乗るべき特急“やくも28号”の発車時刻が迫ってしまった.
玉造温泉を過ぎて乃木までの間,ついさっきまでいた宍道湖の対岸を眺めていたら,後方から“またおいで”といわんばかりの日射しが…….
というところで,今年のブログはおしまい.1年間,ご愛読をありがとうございました.新しい年も,どうかご支援賜りますよう.
皆様のもとに,平穏な新年が到来することを,心からお祈り申し上げます.
僕は例によってMODELERS FILEを担当したのだけれど,そのテーマは,西武池袋線沿線住民にもなじみ深い5050系と,9000系に次ぐ古参の存在となった1000系の各譲渡先での活躍振り.
5050系は,実はこれまでも何度か扱おうと思ったことがある.でも,少なくとも母体となっている田園都市線の5000系を含めた全体としては,バリエーションが豊かでありすぎて,とても僕の手には負えない.では身近な存在である5050系に限れば……とは思うものの,断片的には観察しているものの,全体像はつかみきれない.
そんな中,解説をお引き受けくださったのが金子智治さん.鉄道友の会の会報である“RAIL FAN”誌で東急電車の年次報告を続けておられるオーソリティである.
そこに,本誌ならではの真横や屋根上写真,そして東急電鉄から提供していただいた資料などを組み合わせて,堂々32頁のMODELERS FILEに仕上がった次第.
もうひとつの1000系譲渡車は,実は東急電鉄に残る1000系のバリエーションを網羅して,各地に譲渡された車輛たちをトピックスとして採り上げる予定であった.
ところが取材を始めてみたら,譲渡車のバリエーションがとても興味深い展開であることを再認識してしまい.主客転倒してしまったのである.
そのようなことであるから,実際にはもっとも変化に富んでいるはずの伊賀鉄道へは取材にお邪魔することかなわずになってしまった.でも,いつも助けていただいている土屋隆司さんご撮影の写真と,かつて伊賀鉄道から提供してもらった写真で,なんとか,全ての編成を揃えることができた.
ということで,9月には手始めとして一畑電車を訪問することになった.
この鉄道はC57やD51を追って山陰に通い詰めていたころ,何度か訪問したことがある.今は弘南鉄道にいるED222の牽く貨物列車も,かろうじて走行風景を捉えることができた.まだ電化当初の古豪が主力だった時代である.山陰から蒸機の煙が消えてからは足が遠のいてしまったけれど,京王電鉄の5000系が譲渡されて間もない頃に再訪している.
でも,今回はそれ以来のことだから,ほぼ20年振りということになる.それにしても,273系取材でこの春に20年ぶりの再訪を果たした出雲に,同じ年の秋にまた旅することになろうとは,思いもよらぬことであった.
今は雲州平田という名前となった,かつての平田市の駅に到着したのは9月13日のお昼前.東急1000系や新造車7000系の投入の経緯など興味深いお話を聞かせていただいたあと,昼食をはさんで午後からの撮影取材が予定されていた.
雲州平田の車庫は,建物などは記憶のままだけれど,居並ぶ電車は全て,初めての出会いである.
検修庫の横の建屋にひっそりとたたずんでいたこの電車,デハニ53だけが,僕の知っている一畑電車だった.
なにより目新しいのがこの電車,7000系である.JR四国7000系電車の車体をベースにしてオリジナル仕様の機器類を組み合わせた,模型的にいえば“キットメーキング”.とても素敵なアレンジであると,現車を見て再認識したことである.来年にはマイナーチェンジしてデュアルシートを備えた8000系もデビューする.
雲州平田の車庫に欠かせない歴史的アクセサリー.蔦に覆われた煉瓦造りの給水塔である.当然のことながら電化前の施設だから,今は大井川鐵道の新金谷駅前にある“プラザロコ”に展示されている“いずも”も,この給水タンクから水を注がれていたわけである.感慨一入.
車庫での写真撮影は,線路を跨ぐ橋は数が少ないということで,屋根上はパンタグラフの点検台から撮影させていただくなど,みなさんの協力のおかげで無事に終了.その頃には,9月半ばの出雲だというのにジリジリと暑さを振りまいていた太陽も西に傾いていた.
そして翌日は沿線での撮影.ロケハンを兼ねて,松江しんじ湖温泉まで一往復……してる間にもうお昼.まだ降りたことのなかった一畑口でスイッチバックと廃線跡を,ちらっと観察.
草むした線路敷きと古色蒼然の古レール製架線柱.それに対してダンパ式の架線張力調整装置のモダンさが絶妙の取り合わせ.画面奥が一畑薬師である.
駆け足で川跡へ向かい.1000系の3並びを捕まえる.本文で何とか使いたかったのだけれど,限られたスペースでは,叶わなかった.
そして,ずっと気になっていた川跡駅ホーム上屋の古レールを観察.年を経るに従って塗装が厚くて銘の確認が難しくなっている昨今だが,これは鮮明である.でも,ボーフム(BOCHUM) 1880年??? 明治13年である.
一畑軽便鉄道の最初の開業が大正2/1913年のことだから,自前の古レールであるはずがない.ではどこから持ってきたのか? 最初の機関車はコッペル製だから,ドイツ製品を扱っていた商社が古レールも輸入して供給?うむ.
ほかにも1906年とも読める銘もあったが,これも正体不明…….
などと楽しく悩んでいるうちに,出雲市から乗るべき特急“やくも28号”の発車時刻が迫ってしまった.
玉造温泉を過ぎて乃木までの間,ついさっきまでいた宍道湖の対岸を眺めていたら,後方から“またおいで”といわんばかりの日射しが…….
というところで,今年のブログはおしまい.1年間,ご愛読をありがとうございました.新しい年も,どうかご支援賜りますよう.
皆様のもとに,平穏な新年が到来することを,心からお祈り申し上げます.