とれいん2025年1月号のための取材こぼれ話,第1回目として一畑電車の様子をお届けしてから,早いもので4週間が過ぎてしまった.1月ももう下旬である!
さてその2回目は,一畑の翌週にお邪魔した,元の上田交通,今の上田電鉄である.
“上田交通といえば丸窓電車”というのは,遠い昔のイメージであって,1,500Vへの昇圧に際して東急電鉄から青ガエルこと5000系(と,5200系)が導入されたのは昭和61/1986年のこと.もう39年の歳月が経っている.導入時から同じ時間を遡れば昭和22/1947年! 当時,昭和22年のことをどのように思っていたか思い浮かべていただければ,その“長さ”を実感していただけることだろう.
その後だって,冷房化で7200系が登場したのが平成5/1993年.さらにインバータ化で現在の1000系がお目見えしたのが記事にある通り平成20/2008年……と変遷している.
で,僕自身はといえば,丸窓電車の頃には一度か二度,ちらっと訪問したに過ぎず,5000系を見に行った記憶は……あまりない.デハ5001とデハ5201の里帰り輸送は2泊3日で追い掛けたが.同じ年に友人たちと7200系を撮影し……ほぼそれ以来.いや,どこかへ行く途中でデビューして間もない1000系の姿は撮った.今回の記事には使うことができなかったが.
変わらないのは別所温泉駅の風情.むしろ,往年より整備が行き届いて美しいかもしれない.2024-9-23
駅構内にはモハ5252が大切に保存されている.もともとはモハ5251と並んでいたのだが,平成23/2011年に近隣のさくら国際高校へ移転している.
駅前広場.真正面に見える“二幸”の看板は喫茶室なのだが,本体は“二幸園”という,付近一帯に大きな松茸山を持つ,松茸料理専門店.
松茸料理は,下之郷駅から車で約10分のところにあるのだそうだ.駅前では喫茶と,そして季節には松茸の直売も行なっている.訪問時には“今年はちょっと遅くて……”という状態だったが,それでも店内にはその日の朝に採れたばかりの立派な松茸が…….う~~ん……あ,電車が来ちゃう!
下之郷駅の傍らには貨物扱いホームと上屋が……ではなく,かつて存在した西丸子線のホームが整備の上で残されている.いや建物は現役である.
写真入りの説明板.終点西丸子駅から数百メートル(?)の位置には,信越本線大谷からの丸子線の終点である丸子町駅があった.このあたり一帯は,極めて密な鉄道網が存在したのである.
下之郷の車庫内にはデハ5251も保存されているので,1000系撮影のあとに少しスナップをさせていただいた.折りしも車庫の公開に備えて車体の清掃が行なわれ,前面のカバーが取り外されていたのが幸運であった.
その丸子町の上田市丸子文化会館向かいには,元来は丸子線所属だったED25が保存されている.1970年代,つぼみ堂模型店から製品化され,モデラーにはお馴染みだった機関車.早朝に家を出て別所線に向かう途中の寄り道で,ほぼ30年振りの再会を果たした.
撮影取材は上田電鉄の皆さんのご協力のお陰で順調に進んだ.天候も,ほぼ僕に味方をしてくれたが,肝心な時に雲がやってくるという事態は,避けられない.
2日目の朝,リバイバル塗装(ラッピング)編成を待っていた時も,そうだった.
そこで,晴れれば逆光になるポイントに咲き乱れていたコスモスとオレンジのきれいな花……帰宅後に調べたら,これもコスモスの一種でキバナコスモスというのだそうだ……の傍らを通過する姿を捉えることにした.神畑-寺下
電車を待つ間,目の前がそば畑であるらしいことにも気づいた.花が満開になる前のようで,ちょっと自信はなかったが,“加美幡そば”という看板が建っているから間違いはなかろう.
でも,これまた帰宅後に“加美幡そば”で検索してみても,出てこない.どうやらそば屋さんの名前ではなく,地域振興を目的としたブランド名?のようである.
夕方近く,所期の目的を果たして帰路についた僕だが,もうひとつ見なくちゃならない保存車が残っていた.とれいん誌の2005年5月号(通巻365号)で“保存車輛めぐり 旧線路脇に保存された上田交通モハ5253 長野計器株式会社丸子電子機器工場”と題し,脇が紹介してくれた車輛である.
長野計器の工場正門前に保存されているモハ5253.ようやく念願を果たすことができた.もう車内の公開時間は過ぎていたので外観だけではあるものの,20年を経ても美しく保たれている姿を確かめて,今度は本当に家路についたのだった.画面左端の道が旧線路敷である.
あ,前の日に悩んで迷った松茸は,結局のところ,ご覧の通り,我が家の食卓上で記念写真を撮ることに,なり,ました.はい.
でもまだ,ちょっと心残りが,上田のお酒を買って帰る暇がなかったこと……と思っていたら,なんと,上田が江古田にやってきてしまったのだ.
それは10月6日のできごと.かつて区役所の証明書類発行場所だったスペースが長らく空いていて,どうするのだろうと思っていたところへの入居だった.
お店の名前は“UEDA Nerima BASE”.何年か前から石神井公園駅の近くで営業していたのだが,交通至便ということで引っ越ししてきたとのこと.写真は今日の午後に撮影したばかりの,最新の姿である.
正式名は,信州上田物産館.酒はもちろん,蕎麦や味噌やリンゴやシイタケにパンに飴にベーコンに…….ちなみにシイタケは“傍陽”の産だった.ここの読者なら,フリガナを振る必要はあるまい.なにしろ上田交通傍陽線であるから.“ジャケ買い”してしまったのは,いうまでもないこと.ちなみに正月に開けたお酒は別の店で買い求めたものだが,同じ酒蔵のお酒は,ここでも扱っている.
これから先,上田はずっと身近な存在であり続けることになりそうである.
さてその2回目は,一畑の翌週にお邪魔した,元の上田交通,今の上田電鉄である.
“上田交通といえば丸窓電車”というのは,遠い昔のイメージであって,1,500Vへの昇圧に際して東急電鉄から青ガエルこと5000系(と,5200系)が導入されたのは昭和61/1986年のこと.もう39年の歳月が経っている.導入時から同じ時間を遡れば昭和22/1947年! 当時,昭和22年のことをどのように思っていたか思い浮かべていただければ,その“長さ”を実感していただけることだろう.
その後だって,冷房化で7200系が登場したのが平成5/1993年.さらにインバータ化で現在の1000系がお目見えしたのが記事にある通り平成20/2008年……と変遷している.
で,僕自身はといえば,丸窓電車の頃には一度か二度,ちらっと訪問したに過ぎず,5000系を見に行った記憶は……あまりない.デハ5001とデハ5201の里帰り輸送は2泊3日で追い掛けたが.同じ年に友人たちと7200系を撮影し……ほぼそれ以来.いや,どこかへ行く途中でデビューして間もない1000系の姿は撮った.今回の記事には使うことができなかったが.
変わらないのは別所温泉駅の風情.むしろ,往年より整備が行き届いて美しいかもしれない.2024-9-23
駅構内にはモハ5252が大切に保存されている.もともとはモハ5251と並んでいたのだが,平成23/2011年に近隣のさくら国際高校へ移転している.
駅前広場.真正面に見える“二幸”の看板は喫茶室なのだが,本体は“二幸園”という,付近一帯に大きな松茸山を持つ,松茸料理専門店.
松茸料理は,下之郷駅から車で約10分のところにあるのだそうだ.駅前では喫茶と,そして季節には松茸の直売も行なっている.訪問時には“今年はちょっと遅くて……”という状態だったが,それでも店内にはその日の朝に採れたばかりの立派な松茸が…….う~~ん……あ,電車が来ちゃう!
下之郷駅の傍らには貨物扱いホームと上屋が……ではなく,かつて存在した西丸子線のホームが整備の上で残されている.いや建物は現役である.
写真入りの説明板.終点西丸子駅から数百メートル(?)の位置には,信越本線大谷からの丸子線の終点である丸子町駅があった.このあたり一帯は,極めて密な鉄道網が存在したのである.
下之郷の車庫内にはデハ5251も保存されているので,1000系撮影のあとに少しスナップをさせていただいた.折りしも車庫の公開に備えて車体の清掃が行なわれ,前面のカバーが取り外されていたのが幸運であった.
その丸子町の上田市丸子文化会館向かいには,元来は丸子線所属だったED25が保存されている.1970年代,つぼみ堂模型店から製品化され,モデラーにはお馴染みだった機関車.早朝に家を出て別所線に向かう途中の寄り道で,ほぼ30年振りの再会を果たした.
撮影取材は上田電鉄の皆さんのご協力のお陰で順調に進んだ.天候も,ほぼ僕に味方をしてくれたが,肝心な時に雲がやってくるという事態は,避けられない.
2日目の朝,リバイバル塗装(ラッピング)編成を待っていた時も,そうだった.
そこで,晴れれば逆光になるポイントに咲き乱れていたコスモスとオレンジのきれいな花……帰宅後に調べたら,これもコスモスの一種でキバナコスモスというのだそうだ……の傍らを通過する姿を捉えることにした.神畑-寺下
電車を待つ間,目の前がそば畑であるらしいことにも気づいた.花が満開になる前のようで,ちょっと自信はなかったが,“加美幡そば”という看板が建っているから間違いはなかろう.
でも,これまた帰宅後に“加美幡そば”で検索してみても,出てこない.どうやらそば屋さんの名前ではなく,地域振興を目的としたブランド名?のようである.
夕方近く,所期の目的を果たして帰路についた僕だが,もうひとつ見なくちゃならない保存車が残っていた.とれいん誌の2005年5月号(通巻365号)で“保存車輛めぐり 旧線路脇に保存された上田交通モハ5253 長野計器株式会社丸子電子機器工場”と題し,脇が紹介してくれた車輛である.
長野計器の工場正門前に保存されているモハ5253.ようやく念願を果たすことができた.もう車内の公開時間は過ぎていたので外観だけではあるものの,20年を経ても美しく保たれている姿を確かめて,今度は本当に家路についたのだった.画面左端の道が旧線路敷である.
あ,前の日に悩んで迷った松茸は,結局のところ,ご覧の通り,我が家の食卓上で記念写真を撮ることに,なり,ました.はい.
でもまだ,ちょっと心残りが,上田のお酒を買って帰る暇がなかったこと……と思っていたら,なんと,上田が江古田にやってきてしまったのだ.
それは10月6日のできごと.かつて区役所の証明書類発行場所だったスペースが長らく空いていて,どうするのだろうと思っていたところへの入居だった.
お店の名前は“UEDA Nerima BASE”.何年か前から石神井公園駅の近くで営業していたのだが,交通至便ということで引っ越ししてきたとのこと.写真は今日の午後に撮影したばかりの,最新の姿である.
正式名は,信州上田物産館.酒はもちろん,蕎麦や味噌やリンゴやシイタケにパンに飴にベーコンに…….ちなみにシイタケは“傍陽”の産だった.ここの読者なら,フリガナを振る必要はあるまい.なにしろ上田交通傍陽線であるから.“ジャケ買い”してしまったのは,いうまでもないこと.ちなみに正月に開けたお酒は別の店で買い求めたものだが,同じ酒蔵のお酒は,ここでも扱っている.
これから先,上田はずっと身近な存在であり続けることになりそうである.