既に見てくださっている方も多いと思うが,とれいん誌4月号の表紙を飾った京福電気鉄道……嵐電のモボ1.構想の発表は2023年5月30日のことだった.これまでのおとなしいデザインから一転してモダンな,しかしどこか古典的な香りも漂う完成予想図を見て,現社の落成を心待ちにしていた電車である.
 しばらく前から採用されている“京紫”という色が新しい電車のデザインに,どのようにマッチングするのか……それも大いに興味があった.

そして昨年の12月,いよいよ搬入との報を聞いて,ほかのことを抛り出してでも京都まで行きたかったけれど,目前に山ほど積み挙がった仕事の前にはそれもままならず,ただ取材の段取りを算段するのが精いっぱい.
 そうこうしているうちに年が改まって令和7年.営業運転開始は2月28日と決まり.鉄道趣味誌向けの報道公開はその直前になりそうだとのお話をいただいた.そのほかの仕事との兼ね合いを考えたら,取材行はどうしても“弾丸ツアー”とならざるをえないことが判明した.
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発表から22ヵ月後にようやく果たすことができた“ご対面”.奇しくも隣で整備中の電車は入れ替わりに引退するモボ101形だった.2025-2-26

……で,打ち合わせ途中で気づいたのが,嵐電の沿線に歩道橋ってあったかなぁ,ということ.試運転は国道との立体交叉がある北野線は走らない…….となると……思い余って京福電鉄に相談してみたところ,西院(さい)に隣接する自社保有の建物から撮影すればよいだろうというご案内をいただいた.では報道公開の時に……と思っていたら,試運転はその前に終えてしまう……(中略)……再び思い余って京都市内にお住いの福田静二さんにお願いすることになった.その結果が…….
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使わなかったカットをお目に掛けよう.試運転は西院と帷子ノ辻の間で実施されていて,宇多野はおろか,北野線はまったく足を踏み入れないということだったので,ならば,と,広報のみなさんの,格段のお計らいの賜物であった.写真:福田静二
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30年前に取材したモボ21形.やってきたのはモボ27.詳細図面は当時の武庫川車両工業のスタッフの方が,黎明期のCADを駆使して描いてくださった.久しぶりのご対面だが,気がつけば台車もパンタグラフも,そして行先表示装置も更新されている.

さて,モボ1“KYOTRAM”そのものについては,本誌をとくとご覧いただくこととして(!),モボ27の背後に見える,四条通の“四条交差踏切道”は,片側2車線という広い道路ながらも,長らく機械式の警音器と交通信号機だけで遮断桿のない踏み切りとして知る人ぞ知る存在だった.去年の春に遮断桿を取り付けるというので,一部で大いに話題になったものである.
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これがその四条交差踏切道.車庫から嵐山方面への出庫に際してはこの踏切道まで引き上げる必要があって,この時も105が回送で出ていくところだった.ちなみにホームがあるビルが…….

そういえば鐘はどこにあるんだったか.ひとつは通りの北側,線路の西側にあった.上の写真に写っている警報機の向こう側“嵐電 西院駅”といういう表示の左側に見える電柱の陰に隠れている.もうひとつは,通りの南側,線路の東側にあった.

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歩道用遮断機の根本に隣接して建っている電柱を少し見上げると,“解”の標識,投光器に続いて……黒い鐘が見えるだろう.
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銘が見える角度からのクローズアップ.銘は信号機器メーカーである京三製作所の“KYOSAN”のように見えるが,どうだろう.

午後3時半,無事に撮影取材を終えて向かった先は平安神宮
 レイルNo.116で“1冊丸ごとN電を”を組むきっかけとなっがN2号電車である.2月の17日から20日に掛けて,恒久的な保存に向けて移動した姿を見たかったから.これも実はお誘いをいただいていたのに,叶わなかったできごとだった.
 工事のため,既にシートで覆われてるかも……ということだったが,結果はご覧の通り.
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立派な覆い屋が完成していた.そして電車が鎮座していて……でも,肉眼ではしっかりと見えた車体も,写真では難しい.
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この写真で,かろうじてお面の輪郭と前窓,腰板の“2”という数字が読めるだろうか.


ということで,大忙しながらも,京都のモダンとクラシックを堪能できた1日となった.
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締めくくりは久しぶりの,たなかの柿の葉すしと,
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途中,満足と疲れでうとうとしているうちに,あっという間に東京着.そうしたら,本当の締めくくりは東海道本線のホームにいた.
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“サンライズ出雲”.乗ったのは一畑電車取材の時だから,まだ半年も経ってないのに,ずいぶん前のことのように感じるのは……あまりにもたくさんの出来事の“お陰?”であろう.そういえば乗車記をまだどこにも書いてない.いずれそのうち…….