とれいん5月号,21日の発売なので“もうご覧いただけただろうか”ということはできない.でも,ほどなく目にしていただけると思うので,ちょっと早い,取材余話を…….報道公開の模様は2月13日付のここでご紹介してはいるが.(※リンク追加と発売日がきたので関連記述修正)
東武鉄道野田線……今はアーバンパークラインという愛称で呼ばれるこの路線は,大正中期の北総鉄道による船橋-柏間の開業に始まり,昭和5/1930年の春日部(当時は粕壁)と清水公園の間の開業をもって現在の体系が出来上がった路線である.その間には全線電化,社名は総武鉄道から東武鉄道へと変遷を重ねている.
この路線の景色にはそれぞれ風情があるけれど,僕がとりわけ好きなのが藤の牛島と南桜井の間.初めて訪問したのは8000系の取材時だっただろうか.
今回も真横写真などを撮影するために何度か訪れた.記事のタイトル写真もこの区間である.ただし,撮影は土屋隆司さんである.
これはトップナンバーに取り付けられたデビュー記念のヘッドマーク.光線状態といい,表紙にどうだろうとは思ったほど.でも,架線柱の映り込みなどが気になって,候補にはならなかったカット.
同じポジションから体の向きを変えて春日部方面を見た風景.やってきたのは,いまや古豪といってよい8000系.車号が5桁になった後期グループとはいえそれでも今や車齢は40年を優に超す.
さて,ここまでご覧になって,察しのよい読者なら,なぜ僕がこの区間を好きなのか,その大きな要素に気づかれたと思う.庄内古川橋梁である.
橋長は31.369m,単線下路プラットトラス,製作は横河橋梁(現在の横河ブリッジ).典拠は,いつもの土木学会の歴史的鋼橋集覧である.なお,この写真では全景が見えないが,トラス桁の両側にはそれぞれ5.995mの単線上路プレートガーダーが架かっている.また画面左端には線路をくぐる車道がある.ちなみにこの写真は下流から上流に向かって撮影している.
別の日の朝に撮影した庄内古川橋梁.大正期の鉄道院標準設計であると,歴史的鋼橋集覧には記されている.
銘板.昭和四年 株式會社 横川橋梁製作所 製作 と,しっかり読み取ることができる.プレートガーダー桁にも,同じものが取り付けられている.

傍らの堤防上に立つ石碑.写真は人名が列挙された裏面で,反対面には“下郷永沼悪水路普(?)過(?)水利組合排水●記念碑 昭和五年十二月建設”と刻まれている(●は判読不能).鉄道建設と同時に進められていたと思われる,河川改修が終了した記念の碑である.
この橋梁の不思議は,ふつうの上路あるいは下路の鈑桁で済ませられる程度の川幅だと思えるのに,なにゆえ態々トラス桁にしたのか……である.その謎を解くヒントが,石碑に刻まれた“下郷永沼悪水路”という文字列に隠されているかもしれないと思うのだが,さて…….
などと思案している間も,電車は次から次へとやってくる.
8000系の若番,なおかつ列車種別・行先表示装置が幕式の編成も急行運用に……全編成が共通運用のようだから,当たり前ではあるのだが.
大宮方からは東武博物館の8111編成もやってきた.なんだかこの編成,僕が待ち構えていると,いつも後ろから姿を現わす.それにしても,5連化が完了の時には,どういう扱いをするのだろうか.

そうそう,こんなのも見つけた.田圃への取水堰である.今ではほとんどが電動での開閉になっているのに,これは古風なねじ式のまま.しかも現役のようであるのが嬉しいではないか.こういう風景といえば“蔵本村”だが,その作者である坂本 衛さんが,今月号に登場してくださっている.お楽しみに!
東武鉄道野田線……今はアーバンパークラインという愛称で呼ばれるこの路線は,大正中期の北総鉄道による船橋-柏間の開業に始まり,昭和5/1930年の春日部(当時は粕壁)と清水公園の間の開業をもって現在の体系が出来上がった路線である.その間には全線電化,社名は総武鉄道から東武鉄道へと変遷を重ねている.
この路線の景色にはそれぞれ風情があるけれど,僕がとりわけ好きなのが藤の牛島と南桜井の間.初めて訪問したのは8000系の取材時だっただろうか.
今回も真横写真などを撮影するために何度か訪れた.記事のタイトル写真もこの区間である.ただし,撮影は土屋隆司さんである.
これはトップナンバーに取り付けられたデビュー記念のヘッドマーク.光線状態といい,表紙にどうだろうとは思ったほど.でも,架線柱の映り込みなどが気になって,候補にはならなかったカット.
同じポジションから体の向きを変えて春日部方面を見た風景.やってきたのは,いまや古豪といってよい8000系.車号が5桁になった後期グループとはいえそれでも今や車齢は40年を優に超す.
さて,ここまでご覧になって,察しのよい読者なら,なぜ僕がこの区間を好きなのか,その大きな要素に気づかれたと思う.庄内古川橋梁である.
橋長は31.369m,単線下路プラットトラス,製作は横河橋梁(現在の横河ブリッジ).典拠は,いつもの土木学会の歴史的鋼橋集覧である.なお,この写真では全景が見えないが,トラス桁の両側にはそれぞれ5.995mの単線上路プレートガーダーが架かっている.また画面左端には線路をくぐる車道がある.ちなみにこの写真は下流から上流に向かって撮影している.
別の日の朝に撮影した庄内古川橋梁.大正期の鉄道院標準設計であると,歴史的鋼橋集覧には記されている.
銘板.昭和四年 株式會社 横川橋梁製作所 製作 と,しっかり読み取ることができる.プレートガーダー桁にも,同じものが取り付けられている.

この橋梁の不思議は,ふつうの上路あるいは下路の鈑桁で済ませられる程度の川幅だと思えるのに,なにゆえ態々トラス桁にしたのか……である.その謎を解くヒントが,石碑に刻まれた“下郷永沼悪水路”という文字列に隠されているかもしれないと思うのだが,さて…….
などと思案している間も,電車は次から次へとやってくる.
8000系の若番,なおかつ列車種別・行先表示装置が幕式の編成も急行運用に……全編成が共通運用のようだから,当たり前ではあるのだが.
大宮方からは東武博物館の8111編成もやってきた.なんだかこの編成,僕が待ち構えていると,いつも後ろから姿を現わす.それにしても,5連化が完了の時には,どういう扱いをするのだろうか.

※2025.04.21:最新号のリンク追加と関連記述修正