きょう,5月1日は,東急電鉄世田谷線が全通してから100周年の節目にあたる,めでたい日である.
その100周年記念日に先駆けて,4月29日の午前に,上町の車庫で祝賀の式典が行なわれた.
記念式典に臨むトップナンバー301編成.前面中央に記念のロゴマークを貼りつけている.
そのロゴのクローズアップ.“100”という数字を中心に大きく据え,周囲を世田谷線のラインカラーである黄色のラインで囲んでそのライン上に全10停留場を○で表現,そして300形301編成のイラストを描いている.

客室.301Aの天井中吊り広告はいにしえの世田谷線風景一色.登場する電車は200形をはじめ80形,70形など多彩.
対する301Bは現代の風景……少なくとも今世紀以降のカラー写真で飾られている.
この301AB編成の中吊りは5月31日までだが,前頭のロゴステッカーは,“招き猫”と“SDG's"編成を除く8本に,来年1月ごろまで貼られるという.
世田谷線に乗るのは2024年の豪徳寺初詣以来のこと.その折にはトップナンバーにお目に掛かることはできなかった.この電車の落成時には東急車輛へ駆けつけたものだが,あれからもう26年が経ったことを,車内銘板で再確認.
そういえば新造時は旧形車と併用のためステップがついていたのだが,300形化官僚に際してフラット化された……のだけれど,
生きてるじゃないか.ホーム扛上に際して全部改造されたと思っていたのは,間違いであった.
さて式典は,9時20分にスタートした.
来賓あいさつは飯島祥夫 世田谷線開通100周年記念事業実行委員会委員長に始まり,保坂展人 世田谷区長,
その100周年記念日に先駆けて,4月29日の午前に,上町の車庫で祝賀の式典が行なわれた.
記念式典に臨むトップナンバー301編成.前面中央に記念のロゴマークを貼りつけている.
そのロゴのクローズアップ.“100”という数字を中心に大きく据え,周囲を世田谷線のラインカラーである黄色のラインで囲んでそのライン上に全10停留場を○で表現,そして300形301編成のイラストを描いている.

対する301Bは現代の風景……少なくとも今世紀以降のカラー写真で飾られている.
この301AB編成の中吊りは5月31日までだが,前頭のロゴステッカーは,“招き猫”と“SDG's"編成を除く8本に,来年1月ごろまで貼られるという.
世田谷線に乗るのは2024年の豪徳寺初詣以来のこと.その折にはトップナンバーにお目に掛かることはできなかった.この電車の落成時には東急車輛へ駆けつけたものだが,あれからもう26年が経ったことを,車内銘板で再確認.
そういえば新造時は旧形車と併用のためステップがついていたのだが,300形化官僚に際してフラット化された……のだけれど,
生きてるじゃないか.ホーム扛上に際して全部改造されたと思っていたのは,間違いであった.
さて式典は,9時20分にスタートした.
来賓あいさつは飯島祥夫 世田谷線開通100周年記念事業実行委員会委員長に始まり,保坂展人 世田谷区長,
桑島俊彦 世田谷まちなか観光協会会長,大場家第16代当主 大場 信秀 一般財団法人大場代官屋敷保存会理事長,そして最後に伊藤篤志 東急電鉄株式会社代表取締役専務執行役員鉄道事業本部長と続いた.そしてテープカット…直前の撮影タイム.両脇には三軒茶屋の“三茶わん”,世田谷区商店街連合会の“が~やん”,そしてこのブログの読者にもおなじみの東急電鉄“のるるん”が勢揃い!
そして中村雄治 東急電鉄世田谷線管区区長による合図により招待客を乗せた記念列車は下高井戸目指して出発!
僕たち報道陣は折り返しの列車で三軒茶屋へ.その車内では中村管区長と松陰神社宮司である齋藤憲輝さんのスピーチが行なわれ……あっという間に終着駅.

齋藤宮司による松陰神社にまつわるスピーチ.撮影場所は,ちょうど松陰神社の停留所到着時であった.
さて時計を数時間ほど巻き戻した朝7時半,僕は渋谷駅西口の銀座線高架下にいた.頭上には,かつて玉電の線路が通っていた場所である.そこからほど近いバス乗り場には“渋23系統”祖師ヶ谷大蔵行きの東急バスが.
大改造中の渋谷駅前広場.仮の5番乗り場で発車を待つ東急バス.白色LEDだからと気を許してシャッタースピードを確かめないままに撮影したら,ご覧の通り.全く読むことができなかった.
このバスに乗った狙いは,玉電跡を垣間見ること.最初は道玄坂を上がり切る寸前のこのスロープ.かつては勾配が逆で,画面奥の渋谷駅方向に向かって下り坂だった.そしてその坂道には玉電の線路が.写真左端には与謝野晶子の歌碑が見える.
次はここ.国道246号である.この道のどこかに玉電の線路が敷かれていたわけだが,今となってはさっぱり.そして画面右側の弧を描く壁の向こう側に玉電の大橋車庫があった.
大橋の次の停留場は池尻.今では統合されて新玉川線……田園都市線の“池尻大橋”になってしまったが,バス停は,いにしえと変わらず大橋と池尻が独立している.
三軒茶屋(さんげんじゃや)で国道と分岐した世田谷通り.電車はこのあたりで専用軌道になっていた.
ということで,今回の,玉電を偲びつつ世田谷線を訪問する散歩は,おしまい.バスを降りて式典取材の集合場所へ向かった僕である.
そして中村雄治 東急電鉄世田谷線管区区長による合図により招待客を乗せた記念列車は下高井戸目指して出発!
僕たち報道陣は折り返しの列車で三軒茶屋へ.その車内では中村管区長と松陰神社宮司である齋藤憲輝さんのスピーチが行なわれ……あっという間に終着駅.

さて時計を数時間ほど巻き戻した朝7時半,僕は渋谷駅西口の銀座線高架下にいた.頭上には,かつて玉電の線路が通っていた場所である.そこからほど近いバス乗り場には“渋23系統”祖師ヶ谷大蔵行きの東急バスが.
大改造中の渋谷駅前広場.仮の5番乗り場で発車を待つ東急バス.白色LEDだからと気を許してシャッタースピードを確かめないままに撮影したら,ご覧の通り.全く読むことができなかった.
このバスに乗った狙いは,玉電跡を垣間見ること.最初は道玄坂を上がり切る寸前のこのスロープ.かつては勾配が逆で,画面奥の渋谷駅方向に向かって下り坂だった.そしてその坂道には玉電の線路が.写真左端には与謝野晶子の歌碑が見える.
次はここ.国道246号である.この道のどこかに玉電の線路が敷かれていたわけだが,今となってはさっぱり.そして画面右側の弧を描く壁の向こう側に玉電の大橋車庫があった.
大橋の次の停留場は池尻.今では統合されて新玉川線……田園都市線の“池尻大橋”になってしまったが,バス停は,いにしえと変わらず大橋と池尻が独立している.
三軒茶屋(さんげんじゃや)で国道と分岐した世田谷通り.電車はこのあたりで専用軌道になっていた.
ということで,今回の,玉電を偲びつつ世田谷線を訪問する散歩は,おしまい.バスを降りて式典取材の集合場所へ向かった僕である.
※2025.05.02:式典での来賓あいさつ順序訂正