レイルのNo.134は4月に刊行された.
著者である工藤寛之さんが本文で,そして僕もあとがきに記したのだけれど,なにしろ20年以上,いや,四半世紀にも及ぶ構想期間を経ての大作.連載にするのはあまりにも惜しすぎる……ということで,通天閣から二度か三度飛び降りる覚悟での,“全部が阪堺電車”となった.
工藤さんにはそれでもなお,さまざまな方面で無理をお願いせざるを得なかった.表紙やグラフの組み立ても,提案してくださったプランを,主に販売面での配慮から,大幅に手を加えてしまった.
さらに校正の最終段階では,進行の日程の都合から多忙なお仕事の邪魔をしてしまったに違いない…….
しかしともあれ,レイルNo.134は無事に予定通りに,世に出た.いつもながら,関係の皆様には,心からの感謝を申し上げます.ありがとうございました.
と……忙中閑など,あるわけもないのだけれど,いつのまにやら“モ160形に乗って春の風に吹かれないかい?”という企画が持ち上がったようで,ぜひとも来るようにとのお達しが,天上から舞い降りてきた.
そして5月17日の朝,僕は4年振り……正確には3年半振り……に阪堺電軌の我孫子道車庫にいた.
まずは車庫でこれから乗車する162を検修庫の前に引き出していただいて撮影.お目に掛けるのは,ちょっと趣を変えて,もしかしたら創業以来の構造物かもと思われる,煉瓦の土台の消火用ホース箱をあしらっての……背後に見えるのは?
昔々,鉄道模型趣味誌で写真を見て以来あこがれの車輛だったデト11.車籍は失ったものの,車庫内での入換や物品移動用として現役なのだとか.
実は僕の我孫子道での撮影は,3年半前の12月18日が最初だった.工藤さんから“西尾(克三郎)さんが撮影された車輛で,たぶん唯一の現役車輛であるモ161がクラウドファンディングで美しくなったから,個人的に組立暗箱で撮って!”という要望があり,これまたみなさんに助けていただいて実現したことである.
その時の写真は,今回“手前味噌”でモ161の各時代の姿を並べた巻頭グラフで使わせていただいた.
なお,この2021年12月18日というのは,実は僕が初めて自前の組立暗箱で鉄道車輛を撮影してから,まさに50年目の記念日だったのである.なんという偶然か…….
急行“天草”(だったと思う)に乗り,当時小倉工場長だった久保田博さんを訪ねて九州内各地の機関区での履歴簿調べについての相談をお願いし(もちろん前もって手紙を遣り取りしての訪問である),その帰り道で門司機関区を訪問,履歴簿閲覧を終えてから,目の前にいる何輛かのD51や9600を撮影させていただいたのだった.
とにかく西尾さんの形式写真に憧れて,乏しい小遣いを無理やり算段して手に入れた暗箱とジッツォーのコンパクト三脚と数枚のフィルムホルダーを抱えての,形式写真撮影の旅の最初であった…….さらにその日の最初のカットが,レイルNo.94で“手前味噌”した,D51 45の写真だったのである.
その時点,まだ工藤さんとは出逢っていない.“近頃,工藤君という若い熱心なのが(交通)科学館にしょっちゅう遊びに来ててなぁ”と西尾さんからお話があって……たぶん1980年前後のこと.その後も,始終会っていたわけではないが,連絡は密で,以来……気づいたら40年を超すお付き合いとなっていた.
そして今回の刊行というわけである.3年半前の撮影で“希望通りにきたんやから(なんと偉そうな!),今度は工藤さんが“阪堺電車史”を仕上げる番やでぇ”と強力に背中を押させていただいた結果ではある.
続いて353.日が射していないことを逆手にとって,前照燈がシールドビーム化されている阿倍野側を押さえる.この辺りは阪堺電車を隅から隅まで知り尽くしている工藤さんならのアレンジメントである.画面左手奥に見えるのは?
構内入換車TR1である.この日の構内には他にも現存する160形がずらりと並び,また汽車会社の意欲的設計の台車を履く502なども勢揃い.あっという間に退出時間が迫ってしまった.
その隙に,工藤さんが西尾さんから譲り受けた,往年のM-1用ズイコー50ミリF1.8を僕の最新鋭機に装着して試し撮り.オリンパスのレンズをニコンのミラーレス用マウントに適合させるアダプターが販売されているのだそうである.便利なというか,訳わからん時代だ.
貸切電車は浜寺駅前が出発地.移動途中で昼食を摂り,車中での“あて”を仕入れてから海道畑駅跡付近で回送電車を待ち構える.
雨が止み,薄日も射すほどに回復した中,海道畑駅跡を横目に浜寺へ向かう162.電車の右奥に見える古い古いガーダーと煉瓦積みの橋台の手前が駅跡である.レイルでは12頁から13頁にかけての米本義之さん撮影になる159の写真に見える煉瓦積み橋台とガーダー桁である.
そしていよいよ“遠足”の始まり.
この日,この場所にいないハズ,という方はおられなかったようなので,大っぴらに皆さんの嬉しそうなお顔をお目に掛ける.話題は阪堺電車から,世の中の森羅万象,果てしなく広がった.上の写真の左手前は,今日の段取りを組み立ててくださった阪堺電軌の松本さん.勤務が明けての参加である.ありがとうございました!

表紙の161を運転していた阪堺電軌の金子さんも駆けつけてくださった.まったく嬉しいことである.
発売直後から1週間,天王寺駅前と我孫子道ではこんな風景を見ることができた.DTP担当の脇がポスター用として自社広告をアレンジし,工藤さんが印刷を発注したものである.そのおかげもあって,天王寺や難波界隈の本屋さんからは何度も追加注文をいただくことができた.掲示中の情景を見ることができなかった僕のために工藤さんが4月26日に撮影してくださったものである.柱の古レールがホーム上屋の証し.18時過ぎ,2度目の恵美須町到着で長い長い4時間の旅はおしまい.お疲れさま…….
で,終わるはずもなく,天下茶屋の夜は賑やかに更けてゆくのであった.
それにしても,予備機材の携行もなく,いろんなことを考えない,気の赴くままの撮影行の,なんと楽しかったことか.いや,これは内緒の話しなのだが.そして,仕事のときも,楽しみながら撮ってる,というのもホントのことである(きっぱり).その違い,解ってくださいますよね.
そして最後にお知らせ
第27回「路面電車まつり」
1.実施日時 2025年6月7日(土) 9時30分~15時30分
雨天決行(但し催事内容は変更)/荒天中止
※入場無料、最終入場15時30分
2.場所 あびこ道車庫(阪堺線:あびこ道駅下車すぐ)
3.内容
(1)グッズ販売
(2)部品販売(一部オークション形式)
(3)ステージイベント(予定)
(4)協賛企業などのPRブース・似顔絵コーナー(有料)【初開催】
(5)忘れ物傘・駅弁・飲食販売(キッチンカー)・参加店舗の商品販売
とのことである.詳しくは阪堺電軌のウェブサイトを,どうぞ! そして奮ってのご参加を!
著者である工藤寛之さんが本文で,そして僕もあとがきに記したのだけれど,なにしろ20年以上,いや,四半世紀にも及ぶ構想期間を経ての大作.連載にするのはあまりにも惜しすぎる……ということで,通天閣から二度か三度飛び降りる覚悟での,“全部が阪堺電車”となった.
工藤さんにはそれでもなお,さまざまな方面で無理をお願いせざるを得なかった.表紙やグラフの組み立ても,提案してくださったプランを,主に販売面での配慮から,大幅に手を加えてしまった.
さらに校正の最終段階では,進行の日程の都合から多忙なお仕事の邪魔をしてしまったに違いない…….
しかしともあれ,レイルNo.134は無事に予定通りに,世に出た.いつもながら,関係の皆様には,心からの感謝を申し上げます.ありがとうございました.
と……忙中閑など,あるわけもないのだけれど,いつのまにやら“モ160形に乗って春の風に吹かれないかい?”という企画が持ち上がったようで,ぜひとも来るようにとのお達しが,天上から舞い降りてきた.
そして5月17日の朝,僕は4年振り……正確には3年半振り……に阪堺電軌の我孫子道車庫にいた.
まずは車庫でこれから乗車する162を検修庫の前に引き出していただいて撮影.お目に掛けるのは,ちょっと趣を変えて,もしかしたら創業以来の構造物かもと思われる,煉瓦の土台の消火用ホース箱をあしらっての……背後に見えるのは?
昔々,鉄道模型趣味誌で写真を見て以来あこがれの車輛だったデト11.車籍は失ったものの,車庫内での入換や物品移動用として現役なのだとか.
実は僕の我孫子道での撮影は,3年半前の12月18日が最初だった.工藤さんから“西尾(克三郎)さんが撮影された車輛で,たぶん唯一の現役車輛であるモ161がクラウドファンディングで美しくなったから,個人的に組立暗箱で撮って!”という要望があり,これまたみなさんに助けていただいて実現したことである.
その時の写真は,今回“手前味噌”でモ161の各時代の姿を並べた巻頭グラフで使わせていただいた.
なお,この2021年12月18日というのは,実は僕が初めて自前の組立暗箱で鉄道車輛を撮影してから,まさに50年目の記念日だったのである.なんという偶然か…….
急行“天草”(だったと思う)に乗り,当時小倉工場長だった久保田博さんを訪ねて九州内各地の機関区での履歴簿調べについての相談をお願いし(もちろん前もって手紙を遣り取りしての訪問である),その帰り道で門司機関区を訪問,履歴簿閲覧を終えてから,目の前にいる何輛かのD51や9600を撮影させていただいたのだった.
とにかく西尾さんの形式写真に憧れて,乏しい小遣いを無理やり算段して手に入れた暗箱とジッツォーのコンパクト三脚と数枚のフィルムホルダーを抱えての,形式写真撮影の旅の最初であった…….さらにその日の最初のカットが,レイルNo.94で“手前味噌”した,D51 45の写真だったのである.
その時点,まだ工藤さんとは出逢っていない.“近頃,工藤君という若い熱心なのが(交通)科学館にしょっちゅう遊びに来ててなぁ”と西尾さんからお話があって……たぶん1980年前後のこと.その後も,始終会っていたわけではないが,連絡は密で,以来……気づいたら40年を超すお付き合いとなっていた.
そして今回の刊行というわけである.3年半前の撮影で“希望通りにきたんやから(なんと偉そうな!),今度は工藤さんが“阪堺電車史”を仕上げる番やでぇ”と強力に背中を押させていただいた結果ではある.
続いて353.日が射していないことを逆手にとって,前照燈がシールドビーム化されている阿倍野側を押さえる.この辺りは阪堺電車を隅から隅まで知り尽くしている工藤さんならのアレンジメントである.画面左手奥に見えるのは?
構内入換車TR1である.この日の構内には他にも現存する160形がずらりと並び,また汽車会社の意欲的設計の台車を履く502なども勢揃い.あっという間に退出時間が迫ってしまった.
その隙に,工藤さんが西尾さんから譲り受けた,往年のM-1用ズイコー50ミリF1.8を僕の最新鋭機に装着して試し撮り.オリンパスのレンズをニコンのミラーレス用マウントに適合させるアダプターが販売されているのだそうである.便利なというか,訳わからん時代だ.
貸切電車は浜寺駅前が出発地.移動途中で昼食を摂り,車中での“あて”を仕入れてから海道畑駅跡付近で回送電車を待ち構える.
雨が止み,薄日も射すほどに回復した中,海道畑駅跡を横目に浜寺へ向かう162.電車の右奥に見える古い古いガーダーと煉瓦積みの橋台の手前が駅跡である.レイルでは12頁から13頁にかけての米本義之さん撮影になる159の写真に見える煉瓦積み橋台とガーダー桁である.
そしていよいよ“遠足”の始まり.
この日,この場所にいないハズ,という方はおられなかったようなので,大っぴらに皆さんの嬉しそうなお顔をお目に掛ける.話題は阪堺電車から,世の中の森羅万象,果てしなく広がった.上の写真の左手前は,今日の段取りを組み立ててくださった阪堺電軌の松本さん.勤務が明けての参加である.ありがとうございました!

発売直後から1週間,天王寺駅前と我孫子道ではこんな風景を見ることができた.DTP担当の脇がポスター用として自社広告をアレンジし,工藤さんが印刷を発注したものである.そのおかげもあって,天王寺や難波界隈の本屋さんからは何度も追加注文をいただくことができた.掲示中の情景を見ることができなかった僕のために工藤さんが4月26日に撮影してくださったものである.柱の古レールがホーム上屋の証し.18時過ぎ,2度目の恵美須町到着で長い長い4時間の旅はおしまい.お疲れさま…….
で,終わるはずもなく,天下茶屋の夜は賑やかに更けてゆくのであった.
それにしても,予備機材の携行もなく,いろんなことを考えない,気の赴くままの撮影行の,なんと楽しかったことか.いや,これは内緒の話しなのだが.そして,仕事のときも,楽しみながら撮ってる,というのもホントのことである(きっぱり).その違い,解ってくださいますよね.
そして最後にお知らせ
第27回「路面電車まつり」
1.実施日時 2025年6月7日(土) 9時30分~15時30分
雨天決行(但し催事内容は変更)/荒天中止
※入場無料、最終入場15時30分
2.場所 あびこ道車庫(阪堺線:あびこ道駅下車すぐ)
3.内容
(1)グッズ販売
(2)部品販売(一部オークション形式)
(3)ステージイベント(予定)
(4)協賛企業などのPRブース・似顔絵コーナー(有料)【初開催】
(5)忘れ物傘・駅弁・飲食販売(キッチンカー)・参加店舗の商品販売
とのことである.詳しくは阪堺電軌のウェブサイトを,どうぞ! そして奮ってのご参加を!