“夢空間”と聞いて,あなたは何を思い浮かべるだろうか.住宅関係の会社や音楽関連の団体などでも使われている名詞であある.でもしかし,このブログを読んでいる方の多くは“あの客車ね”と思ってくださることだろう.
今を去ること30余年前,国鉄が分割民営化されて間もないころ,JR東日本では次世代寝台列車のありかたを模索していた.前年に来日して日本中を駆け巡ったワゴン・リ客車による“オリエント急行(NIOE)”のコンセプトからも大きなヒントを得て影響を受けつつ,さまざまなアイデアが部内で議論されていた.中には車輛を外国から輸入するという提案もあったようである.
それらの中から産み出されたのが,3輛の特別な客車であった.その名が“夢空間”なのである.
折りしも開催された“横浜博覧会”の展示品として桜木町駅前広場に飾られているのを見学したのが,僕にとっての“夢空間”客車との最初の出会いだった.
博覧会終了後は海浜幕張駅の駅前でも展示され,しばらく間を置いた1992年,ようやく客車として活躍を始めることができた.
……そのあたりの経緯やエピソードは,語り始めるときりがない.今日のお話は,“夢空間”の現在を探検してきた,そのレポートである.
今を去ること30余年前,国鉄が分割民営化されて間もないころ,JR東日本では次世代寝台列車のありかたを模索していた.前年に来日して日本中を駆け巡ったワゴン・リ客車による“オリエント急行(NIOE)”のコンセプトからも大きなヒントを得て影響を受けつつ,さまざまなアイデアが部内で議論されていた.中には車輛を外国から輸入するという提案もあったようである.
それらの中から産み出されたのが,3輛の特別な客車であった.その名が“夢空間”なのである.
折りしも開催された“横浜博覧会”の展示品として桜木町駅前広場に飾られているのを見学したのが,僕にとっての“夢空間”客車との最初の出会いだった.
博覧会終了後は海浜幕張駅の駅前でも展示され,しばらく間を置いた1992年,ようやく客車として活躍を始めることができた.
……そのあたりの経緯やエピソードは,語り始めるときりがない.今日のお話は,“夢空間”の現在を探検してきた,そのレポートである.
大きな仮囲いの向こう,画面左端を,車体が銀色で腰掛が黄色い電車が駆け抜けてゆく.
などという謎かけをしなくても,とれいん誌を愛読してくださっている方なら,既に先刻ご承知のことだろう.
今日,8月7日の午前,昨年秋に埼玉県三郷市の“ららぽーと新三郷”から東京都清瀬市に移設保存展示されることが発表され,今年1月21日から翌日に掛けて移送されたオハフ25 901とオシ25 901を見てきたのである.
とはいえ,最初にお目に掛けた写真の通り,表からは何が何やら状態.だから“探検”とならざるを得ないのである.
最初はオシ25 901の展望室側.全体塗装が終わった状態.
車体の塗装は傷みが激しかったが,全剥離してみたら構体そのものの傷みはそれほどでもなくて,まずは一安心だったという.
ゴールド帯の貼り付け作業真っ盛りであった.位置決めは慎重の上にも慎重を期して…….
オシ25で気になったのが,床下機器の名称標記.
どうみても国鉄書体ではないので質問してみたら“少なくとも三郷にあった時からこの書体だったんです”とのこと.オリジナルに忠実に整備するという方針で進めてますから,これは仮ではなく本番です”とのこと.
車輛そのものの整備を担当しているのは日本電装株式会社.東武鉄道をはじめとする各社の車輛整備や更新,改造作業を受け持っているから,聞き覚えのある方も多いだろう.僕にとっては,レイルのNo.91で紹介した,復元された伊香保電車27号の工事を担当した会社としての印象が強い.記事化に際しては丹念に,なおかつ数えきれないほどのカットが撮影された,復元途上の写真もたくさん掲載した.それらは渋川市の提供となっているが,実際には施工担当である日本電装によって記録撮影されたものであった.作業担当も,花上嘉成さんに執筆していただいた記事では“埼玉の久喜にある工場”としか記されていないけれど,落成式典には同社の社長も参加しておられるわけで,間違いなく日本電装のことであった.
続いてオハ25 901.こちらはライニングなどのラッピングもほぼ完了状態.作業のための冷風送り込みの必要から,2輛は少し離した状態で留置されていたので,普段は見ることのできない妻のディテールも観察することができた.
美しい飾り文字も忠実に再現.
そして内部.各種装備品はもちろん,内壁なども,ほぼ全て取り去って入念に整備中.最初はオシ25.
厨房.こちらはもともとがステンレス材で構成されていたので,現役時代の面影を残している.
展望ダイニングルーム.尾燈やテールサインの燈具を内側から見るチャンスなど,稀にしかない.
などという謎かけをしなくても,とれいん誌を愛読してくださっている方なら,既に先刻ご承知のことだろう.
今日,8月7日の午前,昨年秋に埼玉県三郷市の“ららぽーと新三郷”から東京都清瀬市に移設保存展示されることが発表され,今年1月21日から翌日に掛けて移送されたオハフ25 901とオシ25 901を見てきたのである.
とはいえ,最初にお目に掛けた写真の通り,表からは何が何やら状態.だから“探検”とならざるを得ないのである.
最初はオシ25 901の展望室側.全体塗装が終わった状態.
車体の塗装は傷みが激しかったが,全剥離してみたら構体そのものの傷みはそれほどでもなくて,まずは一安心だったという.
ゴールド帯の貼り付け作業真っ盛りであった.位置決めは慎重の上にも慎重を期して…….
オシ25で気になったのが,床下機器の名称標記.
どうみても国鉄書体ではないので質問してみたら“少なくとも三郷にあった時からこの書体だったんです”とのこと.オリジナルに忠実に整備するという方針で進めてますから,これは仮ではなく本番です”とのこと.
車輛そのものの整備を担当しているのは日本電装株式会社.東武鉄道をはじめとする各社の車輛整備や更新,改造作業を受け持っているから,聞き覚えのある方も多いだろう.僕にとっては,レイルのNo.91で紹介した,復元された伊香保電車27号の工事を担当した会社としての印象が強い.記事化に際しては丹念に,なおかつ数えきれないほどのカットが撮影された,復元途上の写真もたくさん掲載した.それらは渋川市の提供となっているが,実際には施工担当である日本電装によって記録撮影されたものであった.作業担当も,花上嘉成さんに執筆していただいた記事では“埼玉の久喜にある工場”としか記されていないけれど,落成式典には同社の社長も参加しておられるわけで,間違いなく日本電装のことであった.
続いてオハ25 901.こちらはライニングなどのラッピングもほぼ完了状態.作業のための冷風送り込みの必要から,2輛は少し離した状態で留置されていたので,普段は見ることのできない妻のディテールも観察することができた.
美しい飾り文字も忠実に再現.
そして内部.各種装備品はもちろん,内壁なども,ほぼ全て取り去って入念に整備中.最初はオシ25.
厨房.こちらはもともとがステンレス材で構成されていたので,現役時代の面影を残している.
展望ダイニングルーム.尾燈やテールサインの燈具を内側から見るチャンスなど,稀にしかない.
続いてオハフ25.半円状のバーカウンターとその天井.天井は凝りに凝った部材の組み合わせにより構成されている.側窓の部分にある曲線を描いたレールはカーテン用ではなく内窓の開閉用ガイドレール.
内張を外してみると,各所に普通の車輛メーカーでは使わなさそうな部材が存在し,さらには基本的な構造材に追加したような梁や骨を見ることができる.百貨店の松屋が担当した内装デザインを実現するための苦労の跡なのだろうか.
天井の骨と断熱材.そして内装のために追加されたと思われる部材の数々.アングルやチャネルは解るとして,電線管を配したり,カウンターの天井を支えるために取り付けられているのは,丸棒である.
化粧室の床.模擬タイルの周囲に張られた大理石状の部材は,なんと,クロスなのだそうだ.水回りにクロスは,車輛屋さんなら使わないだろう…….
今後,上屋とプラットホームの工事を行なうとのことである.これからも折に触れてご紹介するチャンスがあるかもしれない.乞うご期待!
内張を外してみると,各所に普通の車輛メーカーでは使わなさそうな部材が存在し,さらには基本的な構造材に追加したような梁や骨を見ることができる.百貨店の松屋が担当した内装デザインを実現するための苦労の跡なのだろうか.
天井の骨と断熱材.そして内装のために追加されたと思われる部材の数々.アングルやチャネルは解るとして,電線管を配したり,カウンターの天井を支えるために取り付けられているのは,丸棒である.
化粧室の床.模擬タイルの周囲に張られた大理石状の部材は,なんと,クロスなのだそうだ.水回りにクロスは,車輛屋さんなら使わないだろう…….
今後,上屋とプラットホームの工事を行なうとのことである.これからも折に触れてご紹介するチャンスがあるかもしれない.乞うご期待!
また,今後,資金調達のためにクラウドファンディングの実施が計画されている.こちらは清瀬市のウェブサイトに,ご注目!
ということで,清瀬市の経営政策部未来創造課とシティプロモーション課の皆さんのご案内のもと,たっぷり1時間以上も,夢空間の探検を楽しんで(!?)きた,今日の僕であった.
そうだっ! 肝心なことを書き忘れるところだった.この保存展示場所は,清瀬市の清瀬中央公園である!
※2025.08.08:今後の展開予定についての記述一部修正










