え?そんなことあるのかい?
いや,初めてなんです.
いや,初めてなんです.
なにしろ京阪電車沿線育ちには大阪市でも南の方は難波まで,和歌山方面に用事があるときは阪和線だったもので……仕事ではなく南海電鉄本線の電車を撮影するのは.
それは今年の春,5月17日のことだった.記憶力のよい方(ここの読者は,ほとんど全部がそうであろう) ならば思い出していただけるだろう(ちょっと変な日本語).この日は,阪堺電軌我孫子道車庫での“レイルNo.134発刊記念モ161形撮影会及び貸し切り電車乗車会”.
そのために前日から大阪入りしていた僕であった.宿は南海電車石津川駅近く.天気は折悪しく雨.でも,そんなことは構っていられない.約束の時刻よりちょっと早めに宿を出て“行き掛けの駄賃”よろしく,篠突く雨の中で石津川のホームに立つ,僕なのであった.
最初に現れたのは12000系“サザン・プレミアム”.登場直後にMODELERS FILEとして記事化したものの,僕が実物を見たのは甲種輸送の途上だけだった.
2022年1月号の南海特集では,12000系の姉に当たる10000系を採り上げた.その取材途上では何度も遭遇しているが,行動は本来の目的に集中せざるを得ず,難波駅で折り返し待ちの内外を少し観察することしかできなかった.
だから,ちゃんと走っている姿を見るのは,この時が最初というわけである.
難波方4輛の普通車は9503だった.1985年デビューの界磁チョッパ車である.西武2000系と同じ制御システムだが,こちらはオールステンレス製! シャッタースピードは1/500秒.12000系のLEDは少し文字が欠けたが,こちらは大丈夫だった.
続いて姿を見せたのは8300系の回送.折りしも難波行きとの出会いとなった.LEDは少し文字が欠ける.12000系とは製造所が違うのだけれど,採用しているLEDのメーカーが同じなのだろうか.
その8300系トップナンバーに乗って堺に移動.特急に抜かれるというので待っていたら見慣れない電車が……
まるでスイスMOBのプルマン車かと思ったら,まさにゴールデンパス急行と姉妹提携のMOB色だった.
南海電車の車庫といえば京阪沿線生まれの僕にも,天下茶屋か住之江かと刷り込まれている.高架化されて久しいが,車庫設備は生きていてそればかりか検車区も健在であると,そのぐらいは勉強して知っている(えばることではない).
この日,ホームに近い線路に留置されていたのは1506の編成だった.その隣にはラピート第6編成が.さらに奥には7138が顔をのぞかせていた.
1506というのは1000系の第6編成,和歌山市方先頭車.ちょっと遠いけれど,普通の南海標準色で装われている.でも実はステンレス鋼製車である……現代では京急1000形や相鉄12000系で“ステンレス鋼製車に全面塗装しました!”とうたわれているが,30年以上も前に実現してしまっている強者(?)である.
7100系は昭和40年代に,最初は非冷房で登場した古参車.でも,いまもなお南海本線では未だに製造数の約1/3である50輛以上の勢力を保っているという.
そしてこの駅で南海本線と別れを告げて我孫子道の阪堺電軌車庫まで徒歩移動.
地図に拠れば,ほぼ1本道だから,迷うこともなかろうと適当に歩き出したら,古の栄華を物語る文化財級の,しかし普通に実用されている建物が次々と……
屋根は波トタンに葺き替えられているが,元は店舗だったと思われる,ほとんど壁のない1階とその上,中二階(厨子二階(つしにかい)というのだそうだが)の虫籠窓(読みは むしこまど だそうである)といい,もしかしたら江戸期の建物ではないかと思うほど.でも実用されている様子.
さらに詳しく観察を重ねると,玄関口の柱には牛乳配達のための箱が下げられているし,手前の角にはさすがに用途廃止の様子ではあるもののコンクリート製防火用水の升があり…….
漆喰壁の土蔵とか縦羽目板と土壁を組み合わせた塀とか,下見板と屋根の間は銅板が葺かれていたり…….こちらの虫籠窓は,さらに丈が長くて立派である.地面にエアコンの室外機が置かれているのが,なによりの“生きている建物”の証拠.
信号機の横の標識が車両直進のみとなっているのは,右は一方通行の出口であり,左には“安立(あんりゅう)商店街”が拡がっているから.
で,帰宅後に調べてみたら,この安立商店街という通りは,紀州街道……太閤秀吉の時代の住吉街道そのものなのだそうである.道理で.
と,時空間をさまよっているうちに,阪堺線の踏切に突き当たった.右に少し歩けば,そこが我孫子道の電停である.
我孫子道を発車する天王寺駅前行きの604.
ここで物語は振出しに戻る なのだが,撮影記はその2に続く,のかな?続きました.
それは今年の春,5月17日のことだった.記憶力のよい方(ここの読者は,ほとんど全部がそうであろう) ならば思い出していただけるだろう(ちょっと変な日本語).この日は,阪堺電軌我孫子道車庫での“レイルNo.134発刊記念モ161形撮影会及び貸し切り電車乗車会”.
そのために前日から大阪入りしていた僕であった.宿は南海電車石津川駅近く.天気は折悪しく雨.でも,そんなことは構っていられない.約束の時刻よりちょっと早めに宿を出て“行き掛けの駄賃”よろしく,篠突く雨の中で石津川のホームに立つ,僕なのであった.
最初に現れたのは12000系“サザン・プレミアム”.登場直後にMODELERS FILEとして記事化したものの,僕が実物を見たのは甲種輸送の途上だけだった.
2022年1月号の南海特集では,12000系の姉に当たる10000系を採り上げた.その取材途上では何度も遭遇しているが,行動は本来の目的に集中せざるを得ず,難波駅で折り返し待ちの内外を少し観察することしかできなかった.
だから,ちゃんと走っている姿を見るのは,この時が最初というわけである.
難波方4輛の普通車は9503だった.1985年デビューの界磁チョッパ車である.西武2000系と同じ制御システムだが,こちらはオールステンレス製! シャッタースピードは1/500秒.12000系のLEDは少し文字が欠けたが,こちらは大丈夫だった.
続いて姿を見せたのは8300系の回送.折りしも難波行きとの出会いとなった.LEDは少し文字が欠ける.12000系とは製造所が違うのだけれど,採用しているLEDのメーカーが同じなのだろうか.
その8300系トップナンバーに乗って堺に移動.特急に抜かれるというので待っていたら見慣れない電車が……
まるでスイスMOBのプルマン車かと思ったら,まさにゴールデンパス急行と姉妹提携のMOB色だった.
南海電車の車庫といえば京阪沿線生まれの僕にも,天下茶屋か住之江かと刷り込まれている.高架化されて久しいが,車庫設備は生きていてそればかりか検車区も健在であると,そのぐらいは勉強して知っている(えばることではない).
この日,ホームに近い線路に留置されていたのは1506の編成だった.その隣にはラピート第6編成が.さらに奥には7138が顔をのぞかせていた.
1506というのは1000系の第6編成,和歌山市方先頭車.ちょっと遠いけれど,普通の南海標準色で装われている.でも実はステンレス鋼製車である……現代では京急1000形や相鉄12000系で“ステンレス鋼製車に全面塗装しました!”とうたわれているが,30年以上も前に実現してしまっている強者(?)である.
7100系は昭和40年代に,最初は非冷房で登場した古参車.でも,いまもなお南海本線では未だに製造数の約1/3である50輛以上の勢力を保っているという.
そしてこの駅で南海本線と別れを告げて我孫子道の阪堺電軌車庫まで徒歩移動.
地図に拠れば,ほぼ1本道だから,迷うこともなかろうと適当に歩き出したら,古の栄華を物語る文化財級の,しかし普通に実用されている建物が次々と……
屋根は波トタンに葺き替えられているが,元は店舗だったと思われる,ほとんど壁のない1階とその上,中二階(厨子二階(つしにかい)というのだそうだが)の虫籠窓(読みは むしこまど だそうである)といい,もしかしたら江戸期の建物ではないかと思うほど.でも実用されている様子.
さらに詳しく観察を重ねると,玄関口の柱には牛乳配達のための箱が下げられているし,手前の角にはさすがに用途廃止の様子ではあるもののコンクリート製防火用水の升があり…….
漆喰壁の土蔵とか縦羽目板と土壁を組み合わせた塀とか,下見板と屋根の間は銅板が葺かれていたり…….こちらの虫籠窓は,さらに丈が長くて立派である.地面にエアコンの室外機が置かれているのが,なによりの“生きている建物”の証拠.
信号機の横の標識が車両直進のみとなっているのは,右は一方通行の出口であり,左には“安立(あんりゅう)商店街”が拡がっているから.
で,帰宅後に調べてみたら,この安立商店街という通りは,紀州街道……太閤秀吉の時代の住吉街道そのものなのだそうである.道理で.
と,時空間をさまよっているうちに,阪堺線の踏切に突き当たった.右に少し歩けば,そこが我孫子道の電停である.
我孫子道を発車する天王寺駅前行きの604.
ここで物語は振出しに戻る なのだが,撮影記はその2に続く,のかな?続きました.







