もう3週間前になった,“初めての撮影 南海電車 その1(?)”のブログ.
無事に“レイルNo.134発刊記念モ161形撮影会及び貸し切り電車乗車会”を終えた翌日は,ちょっと朝寝坊させてもらって……それでも10時過ぎには南海電鉄石津川から電車に乗って天下茶屋経由今宮戎駅のホームにいた僕である.
最初……でもないけれど……やってきたのは,何とも派手な50000系ラピート.万博協賛ラッピングを施された第1編成であった.
前の日にはスイスのゴールデンパス急行ラッピング編成と遭遇したのだったが,万博開催中でもあり,空港特急ということで,積極的にラッピングを施しているようだ.
続いてやってきたのは泉北高速鉄道ではなくて南海の7500系と5500系.塗装こそ泉北時代のままだが,側面の社名表記は“SEMBOKU”から“NANKAI”に変更済み.余談だが背景に見える黄色地に赤く“玉出”とある看板は,南海沿線に本拠を持つ,安売りで有名なスーパーマーケットの天下茶屋店のものである.
泉北高速鉄道……最初の社名はまったく鉄道を連想させない大阪都市開発だった……は,今年4月1日に南海電鉄と合併して社名が消滅.奇しくもこの春は東でも新京成電鉄が京成電鉄に合併されている.
車体色はどうなるのかと思っていたら,8月には5500系のうち1編成が南海色になったという報せがあった.明るい地色に青系の帯は変わらないものの,黄色が加わり,一方では大胆な太い斜め帯が消えたことで,さぞや印象が変わったことと思う.
停車中にストライプなど観察していたら,背後からやってきたのが.10000系“サザン”.
難波方に併結の一般車はリバイバル塗装の7169編成だった.そんな編成が去年の8月から走っているのは,知識としては知っていたが,当然のことながら実見するのは初めて.掲げられた副標には“創業140周年”の文字が.
それから10分も経たないうちに,今度は高野線から銀色一色の電車が姿を見せた.
南海電鉄初のステンレス車である6000系のトップナンバーである.昭和37/1962年のデビューだから,齢63歳.かなり姿を減らしているとはいえ,矍鑠たるものである.こちらも創業140周年の副標を掲げていた.
この6000系がほかの6000系とどう違っているのかといえば,前面や側面の帯を全部外して新造時に近い姿に復していること.一昨年の9月にこの姿となった.車掌側の列車種別・行先表示装置や貫通扉の車号表示は業務上必要だからやむを得ないが,それでも1980年代半ばの冷房化あたりまで遡っていることになる.ちなみに6001編成は4輛で,橋本方2輛(6905+6016)も帯を外してリバイバル仕様となっている.
銀色に続いて赤い電車が見えた……
30000系“こうや”だった.僕の子供に時代には“こうや号”といえば1編成しかなくて冬には運休してしまう,本当に特別な列車だったのだが,今では通年運行である.30000系が製造されたのは昭和58/1983年.冬期運休は,もう40年前のことである.
ちなみに冬は見ることができない“こうや号”,まあるい前面と大きな窓を写真で見て大好きになり,小学校の林間学校の折に途中駅で行違った折,“それっ”と撮影したら,目の前に校長先生が…….60年前のことである.これが,僕の南海電車初撮影.しかしあくまでも高野線であるからして,昨日が“初めての南海本線撮影”というのは嘘偽りのないことなのである.
ちなみにその当時,普通列車は1251形が全盛で,急行に湘南顔の21001系という時代.僕たちの貸切電車はもちろん1251形だった.
そうこうしているうちに6001編成が折り返してきたと思ったら万博ラッピングの50000系も難波からやってきた.そろそろ河岸を変える?と,一瞬気を緩めた隙に姿を見せたのが……
台湾ラッピングの8300系8309編成.画面左端には通り過ぎたばかりの万博ラッピング50000系が見える.
で,この編成,運転室側面になにやら突起が.ホーム状態監視カメラである.そういえば今年3月から南海本線でワンマン運転を始める,とのアナウンスがあったのを思い出した.
それにしてもJRでも私鉄でも,近年のワンマン運転対応車両には,みんな同じ形のカメラが装着されている.多分,同じメーカー製なのだろう.
と考えているうちに
昨日,ちょっとだけ見たゴールデンパス急行ラッピングの50000系50004編成がやってきた.似合うじゃないか,と,全景を見て改めて思ったことである.
10000系“サザン”のリバイバルカラー編成には出会えなかったが,これは2022年1月号の南海特集取材で撮影できているから,よしとしよう.ならば“一巡した”と判断して次の目的地へと向かった……いや,さて,どこへ行こうか.
無事に“レイルNo.134発刊記念モ161形撮影会及び貸し切り電車乗車会”を終えた翌日は,ちょっと朝寝坊させてもらって……それでも10時過ぎには南海電鉄石津川から電車に乗って天下茶屋経由今宮戎駅のホームにいた僕である.
最初……でもないけれど……やってきたのは,何とも派手な50000系ラピート.万博協賛ラッピングを施された第1編成であった.
前の日にはスイスのゴールデンパス急行ラッピング編成と遭遇したのだったが,万博開催中でもあり,空港特急ということで,積極的にラッピングを施しているようだ.
続いてやってきたのは泉北高速鉄道ではなくて南海の7500系と5500系.塗装こそ泉北時代のままだが,側面の社名表記は“SEMBOKU”から“NANKAI”に変更済み.余談だが背景に見える黄色地に赤く“玉出”とある看板は,南海沿線に本拠を持つ,安売りで有名なスーパーマーケットの天下茶屋店のものである.
泉北高速鉄道……最初の社名はまったく鉄道を連想させない大阪都市開発だった……は,今年4月1日に南海電鉄と合併して社名が消滅.奇しくもこの春は東でも新京成電鉄が京成電鉄に合併されている.
車体色はどうなるのかと思っていたら,8月には5500系のうち1編成が南海色になったという報せがあった.明るい地色に青系の帯は変わらないものの,黄色が加わり,一方では大胆な太い斜め帯が消えたことで,さぞや印象が変わったことと思う.
停車中にストライプなど観察していたら,背後からやってきたのが.10000系“サザン”.
難波方に併結の一般車はリバイバル塗装の7169編成だった.そんな編成が去年の8月から走っているのは,知識としては知っていたが,当然のことながら実見するのは初めて.掲げられた副標には“創業140周年”の文字が.
それから10分も経たないうちに,今度は高野線から銀色一色の電車が姿を見せた.
南海電鉄初のステンレス車である6000系のトップナンバーである.昭和37/1962年のデビューだから,齢63歳.かなり姿を減らしているとはいえ,矍鑠たるものである.こちらも創業140周年の副標を掲げていた.
この6000系がほかの6000系とどう違っているのかといえば,前面や側面の帯を全部外して新造時に近い姿に復していること.一昨年の9月にこの姿となった.車掌側の列車種別・行先表示装置や貫通扉の車号表示は業務上必要だからやむを得ないが,それでも1980年代半ばの冷房化あたりまで遡っていることになる.ちなみに6001編成は4輛で,橋本方2輛(6905+6016)も帯を外してリバイバル仕様となっている.
銀色に続いて赤い電車が見えた……
30000系“こうや”だった.僕の子供に時代には“こうや号”といえば1編成しかなくて冬には運休してしまう,本当に特別な列車だったのだが,今では通年運行である.30000系が製造されたのは昭和58/1983年.冬期運休は,もう40年前のことである.
ちなみに冬は見ることができない“こうや号”,まあるい前面と大きな窓を写真で見て大好きになり,小学校の林間学校の折に途中駅で行違った折,“それっ”と撮影したら,目の前に校長先生が…….60年前のことである.これが,僕の南海電車初撮影.しかしあくまでも高野線であるからして,昨日が“初めての南海本線撮影”というのは嘘偽りのないことなのである.
ちなみにその当時,普通列車は1251形が全盛で,急行に湘南顔の21001系という時代.僕たちの貸切電車はもちろん1251形だった.
そうこうしているうちに6001編成が折り返してきたと思ったら万博ラッピングの50000系も難波からやってきた.そろそろ河岸を変える?と,一瞬気を緩めた隙に姿を見せたのが……
台湾ラッピングの8300系8309編成.画面左端には通り過ぎたばかりの万博ラッピング50000系が見える.
で,この編成,運転室側面になにやら突起が.ホーム状態監視カメラである.そういえば今年3月から南海本線でワンマン運転を始める,とのアナウンスがあったのを思い出した.
それにしてもJRでも私鉄でも,近年のワンマン運転対応車両には,みんな同じ形のカメラが装着されている.多分,同じメーカー製なのだろう.
と考えているうちに
昨日,ちょっとだけ見たゴールデンパス急行ラッピングの50000系50004編成がやってきた.似合うじゃないか,と,全景を見て改めて思ったことである.
10000系“サザン”のリバイバルカラー編成には出会えなかったが,これは2022年1月号の南海特集取材で撮影できているから,よしとしよう.ならば“一巡した”と判断して次の目的地へと向かった……いや,さて,どこへ行こうか.
ここまで,1時間足らずでの成果であった.
※2026.02.05:リンク追加






