さて12月も中旬である.レイルは1月刊行予定のNo.137が編集作業の大詰めを迎えて,とれいん誌に掲載するための予告広告を作成したところで,いつものように前回のレイルNo.136を振り返ってみることにする.

“久し振りに多種多様な稿の乗り合わせ”であったと記したNo.135だが,今回はそれにもまして,幅広い題材を楽しんでいただくことになった.
 冒頭は,No.129で東洋活性白土のドコービル復活記録を纏めてくださった高橋卓郎さんからの“父親が撮影した写真アルバムを整理していたら,鉄道情景がたくさん見つかりました”と,提供してくださった昭和中期の鉄道情景を披露することになった.
 各地の,日常の鉄道情景,なかでも,僕が知らない東京都電の情景には心惹かれるものがあり,巻頭グラフとして展開しました.

一定以上の年齢で東京にお住まいの方ならすぐにわかっただろう,この写真の撮影地解明に時間を費やさせられた.皇居周辺であることは間違いないのだけれど,さて.桜田門にしては“門”が見えないし,線路の具合も違うようだ…….
 正解は赤坂見附.ベテランの都電ファンでもある諸河久さんや,うちの平井に訊ねたら,一目見て“赤坂見附だよ”と.
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写っているのは渋谷と須田町を結んでいた10系統の6000形.その経路を辿っても,この風景が思いつかなかった.“敗因”は,手前左からの線路が回り込んできた線路と“合流”すると思い込んだこと.実際には“交叉”して,手前の線路は溜池に向かい,回り込んだ線路は渋谷へ向かうのだった.今ではビルが建て込んでいる上に立体交叉の高架橋があって面影がない……僕は,その風景しか知らないのだった.昭和29/1954年4月 写真:高橋志郎

都電の写真では,本になってから気づいた失敗もあった.
 渋谷の都電ターミナルは東口にしかないと思っていたから,というのが“敗因”.
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だから画面右に回り込んでくる線路は宮益坂を下りてきたものと思い込んでいた.けれど,むしろ西口が本来のターミナルであって,東口は昭和32/1957年に完全整備されたものだったということに,本が出来上がった“直後”に気づいてしまったのだった.だから,この写真の都電の線路は山手線を潜っているのだ.見える交叉点は,今の“スクランブル交叉点”そのものということ.写真:高橋志郎

写真説明の“左ページの写真と同じポジション”であるわけはなく,撮影年代も,昭和20年代末,ということになる.

高橋さんのお父様のアルバムは,まだまだ全貌が知れない.“続き”をお楽しみに!

続く稿は,同じく高橋卓郎さんから提供していただいた,協三工業のメーカー写真群.国鉄の貨車など,“氏素性”が明らかな車輛は後回しにして,少なくとも僕にとっては正体不明か,それに近い車輛をお目に掛けた.謎解きを募集中である.ぜひとも情報提供をいただきたいと思う.

第三番目は,堀内ぶりるさんによる発見と,そこから発展したフランス製ドコービル機の謎解き.折りしもNHKの朝の連続ドラマでテーマとなっている小泉八雲の研究がその発端.
 八雲の焼津時代を調べていた資料の中に“YAIDZU”という名前のドコービルが潜んでいたというのである.そこで宮田寛之さんが,来歴が知られていなかったこの機関車についての考察を展開してくださることになった.
 件の写真は焼津市歴史民俗資料館が快く提供してくださったおかげで掲載することができた.残念ながら原版は存在していないようで,複写されたデジタルデータではあったものの,データが比較的大きいサイズだったので,“YAIDZU”の銘板を読み取ることができる大きさまで引き伸ばすことができた.
 太田裕二さん所蔵になる楠木製作所のドコービル系機関車組立図も,蒸気機関車ファンには見逃すことができない貴重資料である.

四番目.それは東海道本線にティンバートレッスルを架けようという,荒唐無稽な,しかし,秘密裡ながらも現実に計画されたお話の謎解き.著者は西 和之さん.
 詳しくは本文をお読みいただくとして,空襲によって東海道本線の鉄橋が失われる事態を想定し,応急のティンバートレッスルを架けようという構想.構想だけではなくて実際に用地買収が行なわれ,路盤整備から,大井川では橋脚の建設まで進んだ……
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昭和21/1946年3月26日に米軍機によって撮影された大井川上空.西さんが加筆された“D”のポイントには橋脚らしき影が見える.写真:国土地理院提供

五番目!
留萠駅である.今や鉄道のない町になってしまった留萌だが,かつては石炭や海産物の出荷で大賑わいしていた.僕も昭和48/1973年夏,D61を撮りたくて,旭川から一日を費やして訪れたことがある.なんとも不思議な線路配置の駅だよなぁと思いはしたが,深く調べることもなく歳月が経ってしまっていた.
 その成り立ちと変遷について調べられたのが豊岡 潔さん.
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昭和41/1966年3月10日の留萠駅.向こうに見えるのは,のちに羽幌線の乗り場となる,手塩炭礦鉄道のホームである.撮影者である佐藤進一さんは留萠本線のホームに立っている.その間を結ぶのが画面右端に見える長い跨線橋ということになる.写真:佐藤進一

そして六番目は阪堺電車No.134で健筆を奮ってくださった工藤寛之さんの筆は止まることを知らず,今回は西尾克三郎さんが撮影された日の大和川検車区の様子を活き活きと再現された.
 蒸気の時代の編集統括である林 嶢さんからはからは,沿線で過ごした青春時代の思い出と情景写真が寄せられた.どちらも,百年を数える阪堺電車の歴史の一齣を,後世に残すために欠かせない資料となることだろう.
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昭和41/1966年元日の住吉鳥居前.周囲の建物やホームの構造は変化しているものの,おお賑わいの人々の明るい表情は変わらない.そしてなにより,電車にすら,No.134でお目に掛けた,令和7/2025年1月3日に深尾 丘さんが撮影撮影された情景にも面影が濃く遺されているのが,大きな驚き.写真:林 嶢

締めくくりとなる七番目は,久し振りの外国の話題である台湾の製糖会社線.
 ここでは少し“手前味噌”もさせていただいたが,主眼は桟敷正一朗さんによる台湾製蒸気機関車の素性解明.
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台湾鉄路局斗南駅に隣接していた台湾糖業鉄道駅に停車中のCタンク機378.僕も隣りにいて一緒に撮影していたのだが,全体に角を丸めた異様な風体に興味をそそられたものである.1977年3月10日 写真:桟敷正一朗

今回のグラフ構成に際して“あの時の写真を……”とお願いしたら“実はあの機関車の素性が判明してまして”と,驚きの言葉が返ってきた.ならば,とお願いしたのが,掲載写真と図面なのだが,さらに驚くことに,台湾国家鉄道博物館に同形機が保存されていることと,その写真を提供できるという.それが見開きでお目に掛けた,ピカピカの376号機である.いやはや,世の中の動きは編集者の思いを超えて果てしなく進展しているようである.
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やはり一緒に旅をした青栁 明さん撮影の,蒸機が牽くサトウキビ列車.僕はといえば……
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こんなのも写している.正体不明なのだが,つい先日,太田裕二さんと会った時に“解明中”と聞かされた.発表の日を,心待ちにしている,僕である.

ということで,引き続いて1月刊行予定のNo.137ではなにが飛び出してくるか,心待ちにしていただけますよう!

※2025.12.12:タイトル一部修正