何ヵ月かに一度,東京の豊洲へ行く用事がある.いや豊洲市場ではない.レイルNo.125で紹介した鉄道省400形が保存されている芝浦工業大学附属中学高等学校でも,芝浦工業大学豊洲キャンパスでもない.仲間内の集まりのためである.
つい先日も地下鉄の豊洲駅に降り立ったのだけれど,その時に思い出したことが一つ……かつての東京都港湾局専用線の晴海橋梁が整備されて遊歩道になっていたことを,そして公開直後の9月には早々に訪問していたことを…….
この晴海橋梁,並行する道路橋を通るたびに気にしていたのだけれど,そばへ寄っての観察は果たせていなかった.東京港には芝浦埠頭線に跳上橋があって,そこは撤去前に訪問して写真撮影した記憶がある.
しかし晴海橋梁は……と思っていたら,9月5日付で東京都から(出典としてのURL=https://www.metro.tokyo.lg.jp/information/press/2025/09/2025090519 今後変更あるいは削除される可能性があるのでリンクは張りません),“旧晴海鉄道橋が春海橋公園遊歩道として生まれ変わります!”というリリースが出た.さらに9月22日には加藤製作所から“旧晴海鉄道橋に当社の 昭和 33 年製 機関車の解説 パネル が 展示”というリリースも発表された.これはいかねば!である.
で,やってきました晴海橋梁.本当は越中島貨物駅から廃線を辿りつつの訪問が,趣深くてよいのだけれど,今回は地下鉄月島から…….目の前には石川島播磨重工の大工場が展開していたはず……しばし行けば,越中島貨物駅である.折りしも夕涼みの遊覧船が通過して行った.
この橋梁,いつもの土木学会“歴史的鋼橋集覧”によれば,開通は昭和32/1957年,橋長は58.8m,単線下路ローゼ橋,設計は国鉄,製作は東京石川島,施工は東鉄工業とある.
ローゼとはドイツの技術者の名前であるLohseに由来するそうで,そういえばドイツのストラクチャー製品に似たような形態のアーチ橋があったような…….でも専門的には,なんだかいろいろ複雑な分類があり,バリエーションも多く,また,ドイツでは“ローゼ桁”という呼び方はしないとかなんとか…….難しい.
桁の端部と支承の拡大.アーチ部の末端の反向曲線が美しい.桁の下部に設けられた灰色の函は地震などによって桁が落ちるのを防ぐ対策部材,その左手の2本の円筒はライトアップのための照明装置である.
豊洲側の袂には説明板が建っていた.C56なんて走ってたっけ?というのはともかく,背後の“東京都港湾局専用線の車両たち”には,正しく新小岩の8620形が描かれている.
内燃機関車は詳細不詳のB型に続いて日本輸送機(ニチユ)のD25-2,加藤製作所のD25-3,日立のD60-4と連なる貨車群が並べられている.
そして掲示板の裏側に,加藤製作所製D25-3の写真と番号板,東京都の都章が取り付けられていた.
その全景.右上に写真と略歴が紹介されている.
写真と略歴を紹介したプレートのクローズアップ.
続いて,遊歩道としての晴海橋を渡ってみることにする.
全面が板張りとなっていて安心して歩くことができる.その隙間にはレールが埋め込まれている.ところどころにはガラスを張った窓が設けられており,水面……枕木や梁を観察することができるように工夫されている.空が反射して写真撮影は難しい.
たどり着いた月島方.かつて,画面奥には側線群が展開し,その先は晴海埠頭まで達していた.
こちら側の袂には,日立製D60-4についての説明板が建てられていた.
気がつけば黄昏が近づいていた.そしてライトアップも始まった.さきほどまでは撮りづらかったガラス窓の奥の様子も,このように見通すことができるようになっていた.
トラスを抜けて再び豊洲方を見渡す.この橋梁が遺されていなければ,ここに線路が存在していたことは,まったく忘れ去られてしまっただろう.しばし感慨に浸ってしまったことである.
つい先日も地下鉄の豊洲駅に降り立ったのだけれど,その時に思い出したことが一つ……かつての東京都港湾局専用線の晴海橋梁が整備されて遊歩道になっていたことを,そして公開直後の9月には早々に訪問していたことを…….
この晴海橋梁,並行する道路橋を通るたびに気にしていたのだけれど,そばへ寄っての観察は果たせていなかった.東京港には芝浦埠頭線に跳上橋があって,そこは撤去前に訪問して写真撮影した記憶がある.
しかし晴海橋梁は……と思っていたら,9月5日付で東京都から(出典としてのURL=https://www.metro.tokyo.lg.jp/information/press/2025/09/2025090519 今後変更あるいは削除される可能性があるのでリンクは張りません),“旧晴海鉄道橋が春海橋公園遊歩道として生まれ変わります!”というリリースが出た.さらに9月22日には加藤製作所から“旧晴海鉄道橋に当社の 昭和 33 年製 機関車の解説 パネル が 展示”というリリースも発表された.これはいかねば!である.
で,やってきました晴海橋梁.本当は越中島貨物駅から廃線を辿りつつの訪問が,趣深くてよいのだけれど,今回は地下鉄月島から…….目の前には石川島播磨重工の大工場が展開していたはず……しばし行けば,越中島貨物駅である.折りしも夕涼みの遊覧船が通過して行った.
この橋梁,いつもの土木学会“歴史的鋼橋集覧”によれば,開通は昭和32/1957年,橋長は58.8m,単線下路ローゼ橋,設計は国鉄,製作は東京石川島,施工は東鉄工業とある.
ローゼとはドイツの技術者の名前であるLohseに由来するそうで,そういえばドイツのストラクチャー製品に似たような形態のアーチ橋があったような…….でも専門的には,なんだかいろいろ複雑な分類があり,バリエーションも多く,また,ドイツでは“ローゼ桁”という呼び方はしないとかなんとか…….難しい.
桁の端部と支承の拡大.アーチ部の末端の反向曲線が美しい.桁の下部に設けられた灰色の函は地震などによって桁が落ちるのを防ぐ対策部材,その左手の2本の円筒はライトアップのための照明装置である.
豊洲側の袂には説明板が建っていた.C56なんて走ってたっけ?というのはともかく,背後の“東京都港湾局専用線の車両たち”には,正しく新小岩の8620形が描かれている.
内燃機関車は詳細不詳のB型に続いて日本輸送機(ニチユ)のD25-2,加藤製作所のD25-3,日立のD60-4と連なる貨車群が並べられている.
そして掲示板の裏側に,加藤製作所製D25-3の写真と番号板,東京都の都章が取り付けられていた.
その全景.右上に写真と略歴が紹介されている.
写真と略歴を紹介したプレートのクローズアップ.
続いて,遊歩道としての晴海橋を渡ってみることにする.
全面が板張りとなっていて安心して歩くことができる.その隙間にはレールが埋め込まれている.ところどころにはガラスを張った窓が設けられており,水面……枕木や梁を観察することができるように工夫されている.空が反射して写真撮影は難しい.
たどり着いた月島方.かつて,画面奥には側線群が展開し,その先は晴海埠頭まで達していた.
こちら側の袂には,日立製D60-4についての説明板が建てられていた.
気がつけば黄昏が近づいていた.そしてライトアップも始まった.さきほどまでは撮りづらかったガラス窓の奥の様子も,このように見通すことができるようになっていた.
トラスを抜けて再び豊洲方を見渡す.この橋梁が遺されていなければ,ここに線路が存在していたことは,まったく忘れ去られてしまっただろう.しばし感慨に浸ってしまったことである.









