前回,大阪環状線野田駅から新大阪駅へ 2025年5月18日 昼と題して大阪環状線の野田駅から新大阪駅経由,おおさか東線のJR野江までの行程をお話ししたのが2月5日のこと.もう3ヵ月近くが過ぎ去った.そのお話の最後に“それはまた,そのうちに……いつのことだ?”と記した“いつ”が,今日ということになる.
京阪電鉄の野江は,隣の関目や京橋ほどではないけれど,本当に小学校に上がる前からお馴染みの駅である.とりわけ京橋方には城東貨物線との立体交叉があって,そのすぐそばには複々線が複線になる蒲生信号場……いや蒲生信号所か……があり,そのすぐそばに跨線歩道橋が設けられていたものだから,京橋駅までの複々線が完成する前には,何度か通った記憶がある.
最初に姿を見せたのは,今や京阪電車の主力となった13000系4輛編成.背後に見えるのが城東貨物線.跨線歩道橋はその向こう側にあったのだが,15年ほど前に当時の社長の鶴の一声によって撤去され,現存しない.
蒲生信号所といえば,縁起でもないといえばいえる話しながら,昭和41/1966年だったかの列車追突事故を忘れることができない.その頃には沿線住まいではなくなっていたものの,小さい頃から馴染みのあった場所だけに,ショックは大きかった.
この前年には伏見稲荷駅で市電との衝突があり,また近鉄の河内国分駅では11月に追突……と,事故続きの関西私鉄であった
さて気を取り直して現代の野江駅.
続いて姿を見せたのが最後の卵形車体,そして初の冷房車,さらには初の7輛固定編成車として登場した2400系.クーラーキセがやや丸みを帯びた2次車の2454編成である.思わず身を乗り出しての撮影となった.
それにしても登場は昭和44/1969年,2次車はその翌年だけれど,それでももう齢56である.かつて“1900型が50年選手で……”と騒いでいたのが夢のよう.今年の春には寝屋川車庫で解体待ちという報告があるようだから,これが最後の出会いとなった……でも第1編成と第5編成はまだ現役らしい.
特急車8000系も,平成元/1989年のデビューから数えて今年で37年目.
その8000系も,37年の間には2階建車の組み込み,塗装変更,大規模更新,テレビカーの廃止,プレミアムカーの組み込みと変遷を重ねてはいるものの,端正な顔立ちに変わりないのが嬉しい.しかし驚いたのは,5年ほど前にLEDへと交換された列車種別と行先表示装置が,1/250秒のシャッタースピードにも耐えられず,文字が欠けたこと.
そして現れたのが万博ラッピングの3000系3005編成.
それにしても,好き嫌いは別としても華々しいカラーリングである.シャッタースピードを1/125秒にしたら,ようやく文字を読むことができるようになった.
振り返ってプレミアムカーを.昨年10月には2輛に増強されたから過去の姿ということになる.いや,もちろん万博ラッピングは解除されているわけだけれど.
プレミアムカーの組み込みに際しては複雑な編成の組み換えが実施されているようで,13000系は中途半端(失礼!)な数で新造され……その全貌は,今や余所者となった僕には到底把握しきれない.
締めくくりは,今年1月15日のここで“京阪 南海 JR東日本 JR四国……ホーム状況確認用車外カメラ あれこれ」と題して紹介した,ホーム状況確認用カメラ付きの13000系.
13044編成の大阪方先頭車のカメラ.“安全確認カメラ”と表示ステッカーが貼られている.カメラのキセが塗装されているのが,ほかの例とは大きく異なるところ.
時に15時5分.南海,JR西日本と続いての万博関連ラッピング編成を捕まえるという目的は果たした.同行の友は,これからまだ京都へ深追いするという.一方で僕は,翌日の予定のこともあって,ここで店じまい.京橋へ戻って新大阪発東京行きの指定席を確保したのであった.
これで,ようやくおしまい.本当に長い1日であったこと.





