2024年8月2日,“引退した8500系が4両編成になって復活します”とのリリースが東急電鉄から発表された.以来1年と9ヵ月.ようやく本当に“復活”して営業運転を行なった.
さすがに定期運用ではなく,しかも田園都市線ではなくて東急こどもの国線での多客にそなえた臨時電車として,ではあるが,でも,動態保存にふさわしい使用方法だろうと,僕は思う.
さすがに定期運用ではなく,しかも田園都市線ではなくて東急こどもの国線での多客にそなえた臨時電車として,ではあるが,でも,動態保存にふさわしい使用方法だろうと,僕は思う.
長津田検車区で実施された報道公開の様子は4月9日付のここでご紹介した
レイルNo.102“こどもの国線の半世紀とその前史”での,関田克孝さんの稿によれば,この線の建設時には,当時の鉄道友の会の鷹司平通さんが“歴史的な保存車や,近々(当時)半分以上整理される御料車を走らせる線にしたいと,提案した”と述べられていたそうである.それから60年を経て,具体的な車輛は違っても“歴史的な保存車が走る線”という,鷹司さんの夢がかなったことになる.恂に意義深いことといえよう.
その初日の5月2日,いかにも春らしい陽射しに誘われて,東急こどもの国線に出向いてきた.
最初は恩田の駅の外れの踏切近く.朝早くなら順光になるはずのこのポジションだが,僕が到着した10時過ぎには,お日様は既にほぼ正面まで回り込んでいた.けれどステンレス鋼無塗装車体ならではの反射によって,なんとかおかしくならないように4輛全体を収めることができた.途中の信号ボックスの存在までは贅沢をいうまい.
臨時電車が出動するのは朝8時過ぎ.だから一番に出動していれば……なのだが,僕の主な目的は,先日の長津田検車区では撮影することができなかった屋根上を記録しておくこと.
長津田駅のすぐ近くの陸橋でその目的を果たしてからの移動なので,この時刻になってしまった次第.
本当は朝早くに来なければならなかった場所はもうひとつ.長津田検車区での公開ではこどもの国方(中央林間方ともいう)山側は完全逆光だったので,思うような編成写真が撮れなかったのだけれど……こどもの国線の東側から撮れば,少なくとも側面に陽は当たる.
ということでのカット,手前まで引っ張ったら画面の右側に踏切の踏切動作反応燈……特殊信号発光機が写り込んでしまった.
この日は定期列車も,通常ならY00系の2輛編成であるところ,2ユニットを組んで4輛編成での運転だった.通例のことではあるものの,前回,2024年秋の“東急電車まつり”では駅での撮影ばかりだったから,今回はちゃんと記録しておきたい.
春先にきれいに手入れされた築堤上の草が早くも成長してはいたが,なんとか順光での撮影ができた.そういえば,前回とは編成順序が逆のような気がする.
お昼過ぎ,何度目かの撮影ポイントと恩田駅との行き来で,ふと思いついた.東急テクノシステムの構内に教習用として留置されている8603との並びも撮らなくちゃと.
本来の車体断面である8608と,いわゆる軽量車体である8537の違いを……と思ったのだけれど,この角度では,ちょっとわかりづらかった.反省.
長津田駅でのスナップ.貫通扉上のLED表示装置では“長津田”は表示されたのだが,“こどもの国”はないようだった.だからこの日も“臨時”を表示していた.運行番号は186.
ここで,またもや,ふと気づいたのが,このホーム上屋の柱.古レールである.
こどもの国線用ホームの全部ではなく,中間部の一部分だけというのが,ちょっと不思議.
さきほどのレイルNo.102の頁を繰ってみれば,どうやら,こどもの国線専用ホームが建設された昭和45/1970年の時点では,この古レールの部分にだけ,上屋があったようである.
1936年1月(左)と1937年5月の銘が読める.ともに八幡製鉄所製の37キロレール.
その他にもいくつかの銘を読むことができたが,いずれも同年代の八幡製のようだった.
さてまた電車に乗って……東急ワンデーパスを使えば乗り放題……恩田へ.
かつて関田さんをはじめとする東急ファンのお歴々がこぞって通った大築堤を行く8500系4輛編成.手前の道では皆さん三々五々,それぞれのポジションで和気藹藹の撮影風景だった.
続いて,前面が赤帯で側面に青帯を纏った,新しい姿の8537の力走風景を狙ってみた.
……このあと,またもや恩田の駅へ戻って踏切近くで8637を撮影し,僕の,春の大型連休中の1日だけのカメラハイクは終わったのだった.
レイルNo.102“こどもの国線の半世紀とその前史”での,関田克孝さんの稿によれば,この線の建設時には,当時の鉄道友の会の鷹司平通さんが“歴史的な保存車や,近々(当時)半分以上整理される御料車を走らせる線にしたいと,提案した”と述べられていたそうである.それから60年を経て,具体的な車輛は違っても“歴史的な保存車が走る線”という,鷹司さんの夢がかなったことになる.恂に意義深いことといえよう.
その初日の5月2日,いかにも春らしい陽射しに誘われて,東急こどもの国線に出向いてきた.
最初は恩田の駅の外れの踏切近く.朝早くなら順光になるはずのこのポジションだが,僕が到着した10時過ぎには,お日様は既にほぼ正面まで回り込んでいた.けれどステンレス鋼無塗装車体ならではの反射によって,なんとかおかしくならないように4輛全体を収めることができた.途中の信号ボックスの存在までは贅沢をいうまい.
臨時電車が出動するのは朝8時過ぎ.だから一番に出動していれば……なのだが,僕の主な目的は,先日の長津田検車区では撮影することができなかった屋根上を記録しておくこと.
長津田駅のすぐ近くの陸橋でその目的を果たしてからの移動なので,この時刻になってしまった次第.
本当は朝早くに来なければならなかった場所はもうひとつ.長津田検車区での公開ではこどもの国方(中央林間方ともいう)山側は完全逆光だったので,思うような編成写真が撮れなかったのだけれど……こどもの国線の東側から撮れば,少なくとも側面に陽は当たる.
ということでのカット,手前まで引っ張ったら画面の右側に踏切の踏切動作反応燈……特殊信号発光機が写り込んでしまった.
この日は定期列車も,通常ならY00系の2輛編成であるところ,2ユニットを組んで4輛編成での運転だった.通例のことではあるものの,前回,2024年秋の“東急電車まつり”では駅での撮影ばかりだったから,今回はちゃんと記録しておきたい.
春先にきれいに手入れされた築堤上の草が早くも成長してはいたが,なんとか順光での撮影ができた.そういえば,前回とは編成順序が逆のような気がする.
お昼過ぎ,何度目かの撮影ポイントと恩田駅との行き来で,ふと思いついた.東急テクノシステムの構内に教習用として留置されている8603との並びも撮らなくちゃと.
本来の車体断面である8608と,いわゆる軽量車体である8537の違いを……と思ったのだけれど,この角度では,ちょっとわかりづらかった.反省.
長津田駅でのスナップ.貫通扉上のLED表示装置では“長津田”は表示されたのだが,“こどもの国”はないようだった.だからこの日も“臨時”を表示していた.運行番号は186.
ここで,またもや,ふと気づいたのが,このホーム上屋の柱.古レールである.
こどもの国線用ホームの全部ではなく,中間部の一部分だけというのが,ちょっと不思議.
さきほどのレイルNo.102の頁を繰ってみれば,どうやら,こどもの国線専用ホームが建設された昭和45/1970年の時点では,この古レールの部分にだけ,上屋があったようである.
1936年1月(左)と1937年5月の銘が読める.ともに八幡製鉄所製の37キロレール.
その他にもいくつかの銘を読むことができたが,いずれも同年代の八幡製のようだった.
さてまた電車に乗って……東急ワンデーパスを使えば乗り放題……恩田へ.
かつて関田さんをはじめとする東急ファンのお歴々がこぞって通った大築堤を行く8500系4輛編成.手前の道では皆さん三々五々,それぞれのポジションで和気藹藹の撮影風景だった.
続いて,前面が赤帯で側面に青帯を纏った,新しい姿の8537の力走風景を狙ってみた.
……このあと,またもや恩田の駅へ戻って踏切近くで8637を撮影し,僕の,春の大型連休中の1日だけのカメラハイクは終わったのだった.








