いまや雑誌も書籍も、ほとんどがコンピュータを使ってデザインされ、そのデータから直接印刷される時代ですが、こうなったのもここ10年ほどのことです。
私が初めてコンピュータというものに触れたのは、今の会社(つまりエリエイです)に入社する直前、まだ大学生だったときに「当社でオフィス・コンピュータ というものを導入することになった。ついては新入社員のお前が勉強してこい」ということで、コンピュータ導入元だった日本橋の丸善が主催する教室に10日 間ほど通った時で、1973年のことです。用途は、当時の主な事業だった呉服染め物の工程、原価管理でした。
当社が導入したのは、三菱電機の製品でMELCOM 83という機械でした(画像はこちらからhttp://museum.ipsj.or.jp/computer/office/0045.html。 ただし当社のマシンには写真左の大きな磁気テープ装置は付いていません)。今で言うメモリーというものが全くなく、ドラム状のハードディスク(磁気ドラム と言います)にプログラムもデータも記憶するという代物。入力装置はタイプライター状のキーボードとテンキー、それと紙テープリーダだけです。出力装置は シリンダ状のタイプヘッドがくるくると動く、メカニカルタイプライターと紙テープパンチャーで、数字が12桁だけの放電管表示装置はあったものの、文字の 表示できるビデオディスプレーなど全くありません。出力できるのは英数字とカタカナだけです。でも、この当時は紙テープに空いた穴を見て、中身が判るのが 当たり前という時代ですから、普通の人から見たコンピュータは、魔法の箱だったかもしれませんね。
プログラムは10進数12桁で表される機械語でしか作れません。教室ではプログラムシートなる用紙を渡され、ここに数字をシコシコと書き込んで、最後にテンキーから機械に入力するのです。
この文章をウィンドウズのエディターから入力している今から考えると、隔世の感がありますね。
この機械にまつわるもので唯一手元にある「三菱小型電子計算機MELCOM-83 命令コード表」というカードをお目に掛けましょう。

プログラム作成に携わった方ならおわかりになると思いますが、JAMP命令はあるものの、サブルーチンコール命令がない、という恐ろしく使いづらい命令セットだったことを思い出してしまいました。
私が初めてコンピュータというものに触れたのは、今の会社(つまりエリエイです)に入社する直前、まだ大学生だったときに「当社でオフィス・コンピュータ というものを導入することになった。ついては新入社員のお前が勉強してこい」ということで、コンピュータ導入元だった日本橋の丸善が主催する教室に10日 間ほど通った時で、1973年のことです。用途は、当時の主な事業だった呉服染め物の工程、原価管理でした。
当社が導入したのは、三菱電機の製品でMELCOM 83という機械でした(画像はこちらからhttp://museum.ipsj.or.jp/computer/office/0045.html。 ただし当社のマシンには写真左の大きな磁気テープ装置は付いていません)。今で言うメモリーというものが全くなく、ドラム状のハードディスク(磁気ドラム と言います)にプログラムもデータも記憶するという代物。入力装置はタイプライター状のキーボードとテンキー、それと紙テープリーダだけです。出力装置は シリンダ状のタイプヘッドがくるくると動く、メカニカルタイプライターと紙テープパンチャーで、数字が12桁だけの放電管表示装置はあったものの、文字の 表示できるビデオディスプレーなど全くありません。出力できるのは英数字とカタカナだけです。でも、この当時は紙テープに空いた穴を見て、中身が判るのが 当たり前という時代ですから、普通の人から見たコンピュータは、魔法の箱だったかもしれませんね。
プログラムは10進数12桁で表される機械語でしか作れません。教室ではプログラムシートなる用紙を渡され、ここに数字をシコシコと書き込んで、最後にテンキーから機械に入力するのです。
この文章をウィンドウズのエディターから入力している今から考えると、隔世の感がありますね。
この機械にまつわるもので唯一手元にある「三菱小型電子計算機MELCOM-83 命令コード表」というカードをお目に掛けましょう。

プログラム作成に携わった方ならおわかりになると思いますが、JAMP命令はあるものの、サブルーチンコール命令がない、という恐ろしく使いづらい命令セットだったことを思い出してしまいました。