もうひと月近くも前になるが,レイルの76号が出来上がって,好評発売中である.
 今回のメインは,かつて北九州で交流電化区間の立役者として活躍したED72とED73.
寝台特急から貨物列車まで,オールマイティだったこの機関車が,国鉄線上から姿を消してどのぐらいの年月が経っただろうか.
  僕が初めて九州へ行ったのは昭和44/1969年春のこと.しかし,午前中に糸崎でC59やC62を撮影し,午後遅くになって若松機関区を訪問してC55 やD50を撮影したところで日没.どこに泊ったかという記憶はすぐには甦らないけれども,恐らくはユースホステルのお世話になったのだろう.翌朝には日豊 本線の客車急行で鹿児島へ移動しており,ED72やED73に対面した記憶がない.
 次の九州訪問は昭和46/1971年春.この時は小倉をベースにして北九州に何日か滞在したとはいえ,大分へ日帰りしたり,貝島炭砿や直方機関区で煙三昧だったから,出会ってはいるのだろうけれども,残っているネガに,この機関車の写真はない.
 この年には,夏にも学校のクラブの合宿旅行で北九州から西九州を一周している.その時のネガに,ようやく,貨物列車を牽いて熊本駅に到着するED72 18の姿があった.

強 く印象に残っているのは,“とれいん”で九州特集を組むことになった折り,今でいうMODELERS FILE…当時は単純明快“模型製作資料”だった…の取材のために門司機関区で屋根上などの各部分を取材,併せて両形式を1輛ずつ引っ張り出してもらって 組立暗箱で形式写真も撮影したことだろう.その時は鹿児島本線の海老津にも出かけ,城山峠を行くED72やED73も記録している.今回,いささか手前味 噌だとは思いつつも掲載したのが,その時の形式写真というわけである.

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城 山トンネルに入らんとするED72 14.下り貨物列車牽引.本来ならば寝台特急を牽く姿を記録すべきだったのだろうが,この頃の九州ではヘッドマーク掲出が省略されていたのがつまらなく て,あえて早起きしなかったのかもしれない.昭和51/1976年7月23日 写真:筆者

今回のレイルでは,久保 敏さんが 独特のスタイルに着目して“鳩胸機関車”というタイトルを付けてくださった.確かに,他の国鉄電気機関車にはない姿態だった.運転席への太陽光の影響を少 なくするためとか,運転室機器を効率的に配置するためとか,実用的な面だけではなく,“見栄え”という要素を重要視してのデザインであることは間違いな く,久保さんの稿では触れられていないが,熱心な趣味人であり,建築デザインがご本業だった萩原政男さんの提案だったという.
 グラフ頁では,地元のベテランファンである加地一雄さんや関 崇博さんをはじめ,多くの方のご協力を得て,このユニークな機関車の,誕生から終焉まで,ほぼ全てのシーンをお目に掛けることができたと思う.

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やっぱり寝台特急はこうでなくては,という姿.加地一雄さん撮影による下り“みずほ”の門司駅出発風景.牽引機はED73 21.昭和40/1965年2月28日

ED72・ ED73に続く国鉄電気機関車は,非貫通タイプでは正面窓をやや上方に傾けるスタイルこそ踏襲されたものの,腰部は垂直となって強烈な印象は薄れた.重連 運転に備えて貫通扉を設けた形式では,窓部も含めて垂直になって,いよいよおとなしいスタイルになってしまった.
 もうあんな電気機関車は登場しないだろうと思っていたら……JR貨物で最初の新設計機となったEF200とEF500から“鳩胸”となった.
 その流れは続き,交直流機の決定版としてデビューしたEF510はJR東日本でも導入することになって,かつて僕が見ることができなかった“鳩胸機関車がヘッドマークを掲げて寝台特急を牽く”という光景が復活したのである.

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現代の“鳩胸機関車”EF510.JR東日本で導入した500番代は“北斗星”と“カシオペア”を牽いており,かつての僕の夢が,少し形を変えてではあるが,叶ったことになる.写真:筆者

なお,このレイルNo.76ではその他にも,続々発掘される“テルハのある風景”,そして21世紀になお中国大陸に残る蒸気機関車のレポートを掲載しています.
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