今年の春に引退した西武鉄道のE31形電気機関車.関東の大手私鉄では,最後の現役電気機関車だったのだが.そのお別れイベントの模様は,本誌の5月号で紹介しているので,ご記憶の方も多いことだろう.
お別れイベントの数日前には鉄道趣味月刊誌向けの報道公開があり,武蔵丘の車両基地へ撮影にお邪魔した.その折に“どこかへ譲渡の予定は?”とお尋ねしたところ,“実は今,お話が進んでいるところがありまして……”ということだった.さぁそれはどこだろう.弘南がラッセルの後押し用に持っているED33も古いよなぁ,そういえば,あれも西武がらみ…どころか,元は武蔵野のデキカだよ,置き換えにE31というのも因縁めいていいかも.身近なところで秩父鉄道は…あの鉱石列車を牽くにはちょっと力が足りないんじゃないかい?三岐鉄道然り……などと妄想を楽しんでいたら,なんと9月7日付けで西武鉄道から報道関係機関に対して“E31形電気機関車譲渡について”というリリースが配布されたのだった.
そこには,
“このたび西武鉄道ではE31型電気機関車3両を大井川鐵道(本社:静岡県島田市)に譲渡いたします”
と,記されていた.
なんと.

武蔵丘車両基地でのE31形.手前がE32で,次位がE33.E34は1輛単独での撮影ポジションに置いてくださっていた.2010-3-25
このE31という機関車には思い出がたくさんある.中でも,今はレイルロードを主宰する高間恒雄さんとともに,出来上がって間もない姿を所沢の車両基地(西武の呼称では車両管理所)で撮影取材,彼が詳細図面を描き起こして本誌に掲載できたのは忘れられない仕事のうちの一つである.そういえば,その頃はまだ,西武鉄道の本社は池袋にあったのだった.所沢車両管理所は,今の本社社屋と隣接する一帯に展開されていたわけだから.
一方でこのE31という機関車は,熱心な機関車ファンから見れば,憎き存在でもあった.なんといっても,この4輛の登場によって,辛うじて工事列車用として生き永らえていた古典輸入機関車たちが引導を渡されてしまったわけだから.
でも僕は,この機関車が好きである.とりわけ塗装デザインは秀逸だと思う.電車用の台車を活用しているのだから,当然車体裾は低い位置にある.普通ならば,ダックスフントのような,なんともしまりのないスタイルになるところ,裾を広い幅の黒に塗ることによって腰の低さをカムフラージュして,立派に見せているのだから.
そんなこの機関車にも,引退の時期がやってきた.しかしそのまま廃車解体とならずに,4輛のうちの1輛は西武鉄道自身で保存,残り3輛が第二の働き場所を確保できたのは,なんともめでたいことであった.
先のニュースリリースによれば,大井川鐵道への旅立ちは9月10日夜とのこと.なんとも発表から搬出までの急であることか.10月号の締切間際ではあったけれど,なんとか無理矢理に受け持ちセクションを仕上げ,搬出場所である横瀬に出掛け,そして,ついさきほど,戻ってきたというわけである.

無事に積み込みを終えたE31形3輛.電気機関車3輛まとめての陸送というのは,これまでにも希有の事例ではなかろうか.

初秋の秩父山中の暗闇の中,先陣を切って出発するE32.撮影に際して,後続のトラックやトレーラーのヘッドライトでこの機関車を照らすという,僕の我が侭な演出提案を,輸送を受け持つ西武運輸と奥井組のクルーの皆さんは快く承諾してくださった.感謝感謝である.
受け入れ側の大井川鐵道では,9月9日付けで“西武鉄道より電気機関車を導入”と報道機関向けにプレスリリースを配布した.それによれば,今回の購入は,老朽化している同社の既存電気機関車の若返りをはかるのが目的だという.いわれてみれば,大阪セメントの日立製50t機“いぶき”501も車齢は50年をとっくに越している.大井川へ行ってからですら10年である.
もっとも同鉄道では,現有の3輛をすぐに廃車にしてしまうこということではなく,“他で余剰になった機関車を,とにかく確保しておきたい”という気持ちからの購入とのこと.だから,“将来的にはその置き換え用”,“稼動時期は決まっておりません”と,リリースにも記されている.
さて,いつごろ,どのような姿で川根路を走りはじめるのか.また楽しみが増えた.

横瀬車両基地の建屋の中で,ED10とともに佇むE31.生誕の地で大切にされ続けて欲しいものである.
※レオレオさんのコメントにありますとおり,今回の[プレスリリース]は,西武鉄道,大井川鐵道ともに,ウェブサイトには掲載されていません.そこで,[発表]を,[報道機関向けに配布]と加筆修正しました.