関東地方は,9月に入ったというのに真夏と変らない……それ以上の暑さが続いている.
 こんな暑さでは,蒸気機関車を撮影しに行ったって,煙なんて期待できないよ,というわけで,このところ秩父鉄道にはご無沙汰となっていた.ご存じの方はご存じの通り,秩父一帯は盆地の底に位置しているものだから,夏は結構暑いのである.涼しさを求めるならば,もっと奥の小鹿野,あるいは山を越して信州まで出向かねばならない.
 そんなこともあって,東北方面へ目新しい機関車の撮影に通っていたら,熱心な読者である荒木 徹さんからE-メールが飛んできた.曰く,
秩父鉄道のC58が,形式表記なしのナンバープレートに付け替えて運転されたんですよ”
 C58 363という機関車が製造された時代…昭和19/1944年には,形式表記入り番号板の規程は既に廃止されていた.しかも戦争末期の物資不足により,代用資材によるプレートしか取り付けられていなかったはず.だから,砲金製の立派な形式入りプレートというのは,国鉄蒸機の現役時代を知る者にとっては,なんとなく違和感ある姿だったのである.
 では行かねば,と思ったら,写真も送ってくださったので,ここでお目にかける次第.

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きちんとした図面に基づいて製作されたのだろう,まさに“本物”のプレートである.C58の場合,1号機からしばらくは形式入り番号板で製造されたが,すぐに規程が改定されたので,形式標記なしの機関車のほうが圧倒的に多い.そもそも,C58のボイラーには,アルファベット+形式2桁+番号3桁という長い番号にさらに形式表記が加わった番号板は,やや重くてバランスを欠くような気がする.写真:荒木 徹

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キャブも,まさにいい感じではないか.区名札の“高”の隣に,ちゃんと運用札が入っているのが嬉しい.今のように情報が豊かでなかった時代には,この札を見て,運用を知ったものである.JRの現役機で,今もなおこの運用札を挿している配置区所はあるのだろうか.写真:荒木 徹

荒木さんの便りの最後には,このような一節があった.
“(C58の切り取りデフは)標準デフのステーを活用してのデフ換装なので純然たる門デフとは印象が異なる形になってしまいましたが,原型のナンバープレートとの組み合わせになると,ちょっとかつての志布志の424号機や427号機を思い起こさせる(とはいっても実見してはいませんが)感じを受けました.”

実は僕も志布志のC58は,あまり記憶にない.宮崎県植樹祭の御召列車運転の際に,志布志まではC11を追って出掛けているのだけれど,その奥,今は亡き志布志線には出向いていないから.C58の424や427といえば戦後製だから,363とは,ちょっと趣が異なるのだけれど,荒木さんの言わんとするところはよくわかる.なにしろこの2輛のC58は,門鉄デフを取り付けていた,数少ないC58なのである.

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広瀬川原の車両基地に隣接する土手から撮影された形式写真.あえてモノクロで掲載しているのは,僕ではなく撮影者である荒木さんのお遊び.このブログの読者で志布志のC58をご存じの方は,どのぐらいおられるだろうか.