先週の末,JR東日本の新幹線400系電車がさよなら運転を行なった.E3系の2000番代が増備されつつあり,間もなく姿を消すであろうことは判っていた.けれど,それがこの4月のことであり,さらには僕が南東北に出かける(どんな内容かは近日号をお楽しみに)ことになっていた週末に運転されるということは,ウカツにも認識していなかったのだ.
 仕事が終わって東京へ戻る途上,E3系に統一された米沢ー福島間を見ようと寄り道してみたら,記念列車はとっくに通過したはずの時間帯(土曜日も日曜日も,朝に新庄を出て昼に東京へ到着するスケジュールだった)なのに,沿線にはカメラを持ったファンの姿が…….“回送がさっき通過したんですよ”ですと.
 知っていればそれに間に合うスケジュールを組んだのだけれど後の祭.まぁ,新幹線の場合はヘッドマークが付くわけでもなく,ましてや回送ともなれば,いつ撮ったか判らない写真になるに過ぎないから,と,少し負け惜しみ.

それにしても時間がたつのは早いもの.試作車を仙台で撮影したのが,つい先日のように思えてならない.暦を繰ってみれば,その試作車をもとに量産仕様が決定され,営業運転を開始して,そうして新庄への延長があり,合わせて塗色が変更され……と,それなりの時間が経ってはいるのだ.

438-1
9年半前の仙台総合車両所.秋の夕日に輝く車体がとても印象的だった.流線形車体の先頭カバーを開閉式として連結器を収納し,分割併合運転を行なうのは日本で初めてだった.そもそも“新在直通”ということばはこの時に生まれたものである.

438-2
運転室脇の楕円窓が特徴的だった試作車.車輛の直前がよく見えるように,という実用面の目的はともかく,デザイン的にはホクロみたいで大好きだったのだが,量産仕様では廃止され,試作車も標準化改造で埋められてしまった.

この400系は,さまざまな意味で話題が豊富だった.新在直通,新幹線の駅での分割併合運転ということはもちろん,試作車を仙台までの輸送では,日立製作所の笠戸工場を出発,兵庫で川崎重工に取り込んで川崎重工製車輛を併結,さらに川崎貨物駅では逗子から運ばれて来た東急車輛製と合流してようやく1編成となり,そこから東北本線を経由して岩切へ,という,いにしえの“多層建急行”のような方法が採られたのだった.量産車は編成ごとにメーカーが振り分けられたから,それぞれのメーカーから岩切まで直行となり,そしてE3系では甲種輸送ではなくなった.

438-3
夕日に映えるE3系1000番代.赤岩からの坂道を一気に駆け下って庭坂の大築堤を通過するところ.奥羽本線のこの区間は,EF71やED78の撮影に始まり,400系,719系5000番代,そして進藤義朗さんの著書“奥羽本線福島・米沢間概史”の纏めを担当するなど,思い出がいっぱい詰まっている