きょうは建国記念日.残念ながらスキーヤー以外には恵まれない天候となった地域が多いようで,東京も朝からどんよりと厚い雲が空を覆っていた.
 でも,僕にとっては束の間の息抜きができる貴重な休日ということで,朝から近郊へ気晴らしの撮影に出掛けたのだった.しかしそんな時に限って,夕方には雨も降りはじめ,さらにみぞれ模様となったので,早々に退散してきたのだが,戻ってきたら,いつも中京方面の取材をお願いしている伊藤博康さんから,表題の写真が届けられていた.
 きょうは名古屋も最初は曇り空,後にはどしゃぶりとなったそうだが,そんな中で,JR東海が建設を進めているJR東海博物館(仮称)で展示保存するため,C57 139とケ90がクレーンで吊られ,トレーラーに乗せられたのだという.
 実はつい先日,2月8日には名古屋市の東山総合公園で長らく保存されていたC62 17号機……日本の蒸気機関車の速度記録保持機だ……の搬出が行なわれたばかりなのである.その模様は,今月発売のとれいん3月号でお目に掛けることにしており,既に印刷が始まっているところなのだ.
 同じ週に,2輛もの大型蒸機の搬出が行なわれるとは,豪勢というかなんというか.しかも1月19日には群馬県の華蔵寺公園からC61 20が運び出されているから,ほんの一月の間に,3輛もの大型蒸機に対して,新しい保存へのアクションが起こされたことになる.まことに喜ばしいことと思う.

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吊り上げられたC57 139の上廻り.かつてのお召し装飾は,どこまで復元されるだろうか.

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こちらは下廻り.今回の搬出作業は,報道関係者への取材設定が行なわれなかったので,寄せていただいた写真は,すべて敷地外の道路から撮影されたものである.また,“今日”であることは,伊藤さんが,先日来の搬出準備を目撃して予想された結果である.

C57 139が保存されていたのは,かつての中部鉄道学園.JR東海の発足後も教育施設として使われていたが,その後に移転してしまったので,保存機関車の行方を心配していたのだった.そして,ここにはもう1輛,ケ90という,国鉄籍を持つ軽便蒸機も教材として置かれていたのだった.
 大正7/1918年の大日本軌道(後の雨宮製作所)製.発注者は東濃鉄道.同社のA形1号だったもので,後に太多線となる路線で使われた.同線が大正15/1926年に買収されてケ90となったものの,昭和3/1928年には1,067mm期間に改軌されて昭和5/1930年に廃車となったものの,2輛とも浜松工場で保管され,さらに後に中部鉄道学園で展示されることになったものである.
 同形機にA形2号機,後のケ91があり,こちらはそのまま浜松工場で保存されていたが,今では浜松市中区の浜松市立県居小学校(あがたいしょうがっこう)近くにある“堀留ポッポ道”公園というか遊歩道というか,その折衷のような施設に保存されている(浜松市中区のサイト内に“中区版広報はままつ”という項目があり,その中の“バックナンバー”→平成19年06月20日号→7月のカレンダー
中区を歩く と辿ると,この施設の概要が説明されている).

ケ90は,スピードへの挑戦を主要なテーマとするJR東海博物館(仮称)としては異例の展示物である.しかし,かつて“コッペル雨宮犬の糞(by 臼井茂信氏)”と称されるほどにどこでも見ることができた雨宮の軽便蒸機も,あまりに多数であった故にか,保存機は多くない.だからこそ,今回の保存措置は,大いに喜ばしいことである.

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いかにも軽々と,という感じで吊られたケ90.大型機や新幹線車輛と同等に,大切にしていただきたいものである.