既にご覧になった方も少なくないと思うが,10月下旬にレイルの70号が出来上がり,発売中である.
今回のテーマは今のところ最後の輸入機関車である国鉄DD12とその仲間の歴史,そしてかつて大きな駅で見かけた荷役作業用施設“テルハ”のあれこれである.
“テルハについてまとめたい”というお話しを佐藤博紀さんから初めて聞かされた時,当然のように浮かんだのは,“なんでテルハ?”という疑問.“模型レイアウト上の駅に組み込みたいと思って”とのこと.しかし,もう20年以上も前に消え失せた施設なのだから,今ごろになって関心を抱いても調べようがないではないか,と,思ったら,昭和39/1964年には興味を抱き始めたというのだから流石.年季が入っているわけである.
佐藤さんがテルハに興味を持つきっかけとなったのがこの情景だそうである.列車の上を荷物が往来するなんて,知らなければ驚きの世界である.塩尻
いろいろな方に写真をお願いするに際しては,テルハというものの存在を説明するのに一苦労するかもしれないと思ったのだが,実はそれはどうということもなかった.それより,
“テルハなんてのは写したことがないから記憶してるわけがないよ.だから僕が大きな駅で撮影した写真のネガを,全部探せってことだよね”という苦笑いまじりのお言葉だった.
確かにそうなのである.皆さんには大いにお手間を掛けさせることになってしまった.けれど,その甲斐あって,北海道から九州まで,そして151系“こだま”から木造救援車までが登場する,昭和20~40年代の国鉄の大きな駅の情景写真集にもなったわけである.
旧千葉駅にあったテルハ.珍しくテルハそのものを撮影した写真……ではなく,停車中のC57がターゲットであったことはいうまでもない.けれども,立派なテルハの形式写真でもあると思うのだが.大庭幸雄さんが昭和28/1953年に撮影された作品.
実は発売後に,“こんなのも写してたよ”というお話しと写真をずいぶんと頂いている.皆さんも,時間とその気があったなら,お手元のネガをご覧いただいて,もしもテルハが写っていたら,レイル編集部までお寄せいただけると嬉しいのだが…….
背景は一面の焼け野原.鉄筋コンクリート造りの建物がある敷地は,現在の鷹取中学のあたりだろうか.それにしても戦争が終わった翌年の夏の情景を,よくぞ記録してくださったものである.西尾克三郎さん撮影
もうひとつのテーマであるDD12も,写真を集めるのに苦労した.八幡製鉄時代の姿は,紹介してくださる方があって松尾輝夫さん撮影と所蔵の写真をお目に掛けることができたが,困ったのがカラー写真.表紙に使った黒岩さんの写真も,せっかく6×9判(おそらくマミヤプレス)での撮影なのに,なぜか真正面のみ.そんなはずはなかろうと思うのだけれど,今のところ斜めからのカットは見いだせないでいる.
八幡製鉄の鉱滓線をいくD402.これも,わずか5年間の活躍期間に,よくぞ記録してくださっていた情景である.日ごろの地道な趣味活動の,大いなる成果といえよう.松尾輝夫さんの撮影.
いやはや,前々回に紹介した“とれいん”11月号の211系特集の追い込みと時期が重なったため,編集作業は時間と自分の体力と気力との闘いだったこの号ではある.けれど,出来上がって“面白かった”と皆さんから声をかけていただくと,もうそれだけで“次”への気持ちが高まるのである.なんと単純な僕であることか.